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ついに、やりたい事に思い当たった…?

やりたい事?と、これまで

時計を作りたい。
はじめにそう思ったのは、かなり小さい頃。絵本に、時計を作る人の話があった。てんとう虫サイズの時計を作る人の話。好きだった。
大人になってふと思い出した時には、どうしてもタイトルが思い出せなかった。検索してもうまく見つけられない。もしかしたら、絵本ではなくて、児童書とかだったりするのかもしれない。

今(29歳)になってネットで検索して、時計修理技能士なんて国家資格がある事を知った。専門学校もあるみたいだ。
時計を作りたい、と、思った事はあったのに、中学や高校のころには、それを仕事にできる、なんて、思いもしなかったし、想像もできなかった。
今ほどネット環境が良くなかったし、進路指導室、なんて、行きたくもなかったし。

高校の頃の僕は、心も身体もかなりギリギリで。週5で21時半頃に帰って、24時頃に寝て、7時半頃には出かけていた。中学の時は21時には寝て、しっかり9時間は寝ていたのに!!
学費のために神経をすり減らしていた(バイトは学費がないのが知れていたので、どうにか続けさせてもらえていたけど、あまりにも使えない奴だったので、お情けでそこにいた。何ができていないのか、その時には全く理解できなかったけど、ただただダメダメだというのはわかったので、罪悪感と自己嫌悪にひたすら耐えるくらいの事しかできなかった)。
今の事すら、…まして未来の事なんて、考えることもできなかった。
未来のための学校選び、なんて、できっこなかった。

僕がやってみたいと思った事はいろいろあって、その大半を本気ではやらないできた。
たとえば、小学生の頃には数学者になりたいと思ってた事もある。トランペットもしたかったし、ドラムもしたかった。ピアノは少し習う機会があったけど、その時には興味を持てなかった。今はまた、してみたい。こんどはまじめに。ギターはやろうとしてはくじけている。一応大学のサークルでコピーバンドのギターボーカルをした事がある。一度だけ。あの時は本当に楽しかった。うたうのも好きだから、うたうのもいい。
囲碁にも、将棋にも、興味がある。あとチェスも。どれも万年初心者。ボードゲームは楽しい。
それから、工場で流れ作業の単純な仕事とかもしてみたかった。たぶん得意。これは少しやった。楽しかったけど飽きた。
塾講師は、今はもう興味が出ないな…。
ちびっ子好きだから、保育士とか?って言われた事もあるけど、そういう場所にいる大人が苦手なんだよ。…本当に。教育現場にある大人や雰囲気に、どうしようもない嫌悪感がある。
広告とかキャッチコピーなんかにも興味があったなぁ。
物書きにもなりたかった。
絵を描きたかった。描きたい絵になった事がない。
あと、写真もいい。中学の頃に、どうやったのかは忘れたけど、牛乳パックでピンホールカメラを作って一枚だけ撮った事がある。ぺらぺらの紙に、うっすら映ったベランダからの景色は、捨ててしまった。後になって、もったいなかったな、と、何度も思っている。
ボトルシップもきっといつか作りたい。帆船が好き。
下から見る飛行機が好き。紙飛行機を作るのも楽しい。
英語もできたらたのしいだろうな。ネイティヴ並みになって、映画もドラマもアニメも本も、細かなニュアンスを楽しみたい。そこまでできれば、翻訳とかの仕事があるかもしれない。
ベーゴマの大会とかないかな、とか、思ったりもする(探してはいない)。いや、なんだろう、ベーゴマをまわせる、もしくはまわしたい友達を作るとかでもいい。
スポーツだと、野球がしたかった。今までのも多分ほとんどがそうだけど、これも明らかにその時読んでた本の影響。自分は女子に分類されて、そして野球は大概男子がするもの。そんな雰囲気の中で、女子が一人もいない野球部に入る、みたいな勇気は特に持ち合わせていなかったし。言ってしまえば、その程度の事。
バスケも好きだった。得意とかではないけど。バレーは苦手。サッカーはやれたら楽しそう。卓球もわりと好き。水泳は少し苦手だったな。チビだから、ほとんど足がつかなくてこわかった。カーリングも気になる。高い所は若干苦手なんだけど、ボルダリングもしてみたい。
あ、尺八もしてみたいな。

まだ、いくらでも出てきそうだけど、キリがないので今は、これくらいにしておこう。

時計、も、そうなのだけど、興味を持ったもののほとんどが、何か物語の中で見たとか、友達とか好きな人が好きだったもの。
自分の中に、これしかない、みたいなものがあれば、まよわずにすんだのに。…とは思わない、とも、言い難い。…でもたぶん、自分にはこれしかない、なんて、僕にはきっと、ちょっとつまらない。

でもまぁさすがに、気が多すぎる。…気になっても、調べる事もしていない事がたくさんある。それどころか、少し調べては別のものをみて、一つもまともにやろうとした事はないかもしれない。
一つづつ、根気よく、続けるって事をしてこなかった。

僕は、これらの事を、ひとつも、諦めるつもりがない。
さすがに全部は無理なんじゃないかと思う。確かに、むりかもしれない。
僕は僕のやりたかった事の大半を、やる機会がないまま過ごした。その大半の理由はお金がなかったから。もしくは、それをするための知識がカケラもなかった。


竹澤汀さんとタイムカプセル、5年後の待ち合わせ、と夢

…何故、こんな事を考えていたかというと。
おちゃめできゅーとな猫好き、シンガーソングライターで、旅人。僕の人生最大の推し、竹澤汀さん。
が、理事をしている一般社団法人青草の原の、タイムカプセルの企画。手紙を埋めて、5年後にみんなで開けよう、って企画があったから。

僕は書けずにいて。もう締め切りも過ぎてしまったのだけど。
…書ける気はしなかった。でも、5年後について、少し、まじめに、考えてみる気になった。
5年後の未来を考えるのに、今を考える必要が出てきて。今を考えるのに、過去を考えていた。
過去に望んだことは、大して今になってはなかった。今望む未来は、どれだけの実現可能性があるのか。わからないなぁ…と、思う。

ただわかったのは、気が多すぎるのと、一つ一つの根気のなさ。あと機会のなさと、お金のなさ。それから、(気が多いゆえの)調べ方の甘さと、知識のなさ。

5年後に、結局なにもしていない、となるのはちょっとかなしいな。とも思う。それじゃぁこの中から、ひとつか、ふたつくらいにしぼって。…まぁ機会があるのなら別だけども。基本的にはそこに集中しよう、と、思う。

未来のためにできることは、きっと、今、確かな一歩を踏み出す事。
確かな一歩、なんてのが何かなんて、僕にはわからないし、ただもがいて、…もがいて、ただ、それだけになるかもしれない。それでも、もがこうともせずに、ほしい未来が来るだろうか??…なんてね、思った。

…で、だ。

手に職もついて、やりたい事。時計を作る!!
専門学校がある事までは調べたのだけど、さすがにお金がなさすぎるし(現在無職貯金ゼロもはやマイナス)、貯まるまでにどのくらいかかるのかわからない。他の手も調べつつ、でもまぁ、専門学校に行って一から学んでみたいというのもある。とてもある。

それでnoteを書く事にした。
サポート機能で少しでも収入なったらいいなぁ、…なんて、浅はかだろうか。でもまぁ、書くのはタダだし?
ついでに、紙では管理がめんどくさくなってる、日記でも書こうか…とか(アマプラ(無料期間)のKindleで書く習慣という本を読んだ←触発されがち)。
それと、5年後の手紙は送れなかったし。送ってないから、開封イベントには参加しないのかもしれないけど。でもまぁ、5年後に、このnoteを読もうと思う。

…あと、夢ができた。

5年後には間に合わないかもしれないけど。
竹澤汀さんとコラボして、時計のグッズを作れないだろうか…、とか。今の僕としては、笑ってしまうくらいに、かなり無謀な夢。笑。
もう一ついうのなら、…前に何かで、汀さんがヨーロッパのどこだったかののみの市か何かで購入したって言ってた、壊れた時計?の一つくらいは、修理できたりしないかなぁ、とか、思ってる。

ことごとく動機が汀さんなのがちょっとほんとおかしい。笑。

余談なのだけど。
竹澤汀さんのうたに、I Like、というタイトルの曲がある(今月28日に同タイトルのライブが予定されている!!…僕は行けないけども)。
僕はこのうたが大好きです。…いや、汀さんのうたは、どのうたも、大好きなんだけども。
その、I Like、の中で汀さんは、

"私の好きなものがただ一つだと思っているなら
それは間違いね"

I like / 竹澤汀 (身から出た唄)

と、うたっている。

考えてみたら当然なような気もするけど、でもこのうたを聴いた時に。そうか、好き、は、一つでなくていいんだ。と、妙に腑に落ちて、胸の中のもやもやがスッと晴れたような気がした。
自分の中にある、たくさんの好き、を、しっかり全部、抱いていたい。抱いていて、いいじゃないか。と、思えた。

たった一つ、揺るがない好きがある人が、それを夢として、一生の仕事、にしていたりする事に、憧れのような羨ましさを持っているのだと思う。
でもきっと、そんな風に見える人にも、もっと他の好きがあったりするのかもしれない。

小さな風の揺らぎとか、世界には好きになれるものなんて、はかりしれない程あふれているはずだよね。

と、ここまで書いて思うのだけど。
僕にとっての、たった一つ、揺るがない好き、は、きっと竹澤汀さんで間違いない。笑。

さらに余談になるけど(Twitterでもそうだけど、汀さんの話をし出すと止めどない…笑)。
時計を作る人の絵本を思い出したのも、汀さんが絵本の話をしていたから。…このnoteも、5年後に手紙を書かない?、と、汀さんが言ったから(手紙ではなくてnoteになってしまったけど)。

汀さんは、僕の中で、とても、とても大事な人です。
そのうたで、その声で、その言葉で。たくさんの僕が救われた。それは僕の中で、しっかり力になっていて、これからもきっと僕の支えになる。
たくさんの感謝と、たくさんの想いがある。

けど、それはまた、別のお話。
(noteには書かないだろうけどね!!笑)

…タラタラと書いていたら、青草の原の公式noteができていて、タイムカプセル企画のインタビュー記事が投稿されていたので、リンクを置いときますね。


おわりに

たとえば、やりたい事が見つかった時のために、お金は貯めといた方がいい、みたいな言説ってあるじゃないですか。どこのだれが言ったのかは、しらないですけど。
でもそれって理不尽じゃないですか?
そんな風に言うと、世の中には理不尽が溢れてるんだから、仕方がないとか…そんな声がきこえてきそうな気もします。

僕が高校生のころに、学費の心配なく、しっかりと今のことや未来のことについて考える事ができていたら、…なんて考えても、現実の今はどうなっていたのか、想像することもできません。
結局うだうだと何も決められなくたったっておかしくはありません。

大学を出た後に、まともに働いてお金を貯める事ができていたなら??…すくなくとも、今、やりたい事はできた??
…僕にはそうは思えないのです。…うだうだと、何もできずにいた時間がなければ、ここまで、考える、という事をしなかったと思います。…僕が高校生の頃に、ほとんど何も考える事ができなかったように、です。

人は誰もがその身一つで産まれてくるのに、学費がないと学べない、…というのは、理不尽だと僕は思います。
世の中の理不尽の一つ。確かにそうです。でももっと理不尽なのは、天災や自然災害です。人には理解しきれない自然の不可思議を探求するには、人の学びが第一のはずです。

でも、その学びの根底に、貧富の差が横たわっていては、手に入る解決策は、手に入ったかもしれない解決策のたった一部にすぎないのではないでしょうか。 
しかもこれは、人が作ってきた仕組みの問題です。変えることができる、改善の余地がある。

今見えている問題を解決して、より良い仕組みを作っても、問題はまた出てくると思います。…問題というのは、きっとどんな場所にでも存在し得ます。…それでも、その問題一つ一つを、解決できそうなものからでも解決していく、それが改善ということなのではないでしょうか。

僕がこの問題に憤るのは、自分の境遇からですが、それでもそういった、人の手で、改善できる理不尽は、徐々にでも減っていって欲しいです。

長くなってしまいましたが、こんな事をうだうだと考えている、…そんなのが、僕です。

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