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「生き生きと生きる」について

世の中「死にたい」のでなく「生き生きと生きたい」が真理の人が多いのではないかと思うんだけど、人間が「生き生きと生きる」とはどういうことか?と考えた。

草木は日光と水と空気を与えれば生き生きとする。でも人間はもっと複雑だ。なぜかは知らないけど。

人間は草木のように生命活動を維持するだけでは「生き生き」しない。ただ生命を維持しているだけなら「死んでいるのと同じこと」とさえ言えそうな気もする。


人間を人間たらしめるものは「感情」と「想像力」、そして「技術」(道具を使う)だと思っている。だけど、もうひとつあった。

それは、人間が生き生きとするのに必要なことを調べていたときに見つけた記事に書いてあった。それには3つの大事なことがあるという。

1つは人や環境との関係性があること。2つめは自己決定していること。3つめは影響を及ぼしていること。

人間はやっぱり他者との関係性のなかでしか生きられないし、単に関係性の中にいるだけでなく他人と自分が区別できていて、かつ自分がいる意味を介在させる必要があるようだ。

つまり、人間を人間たらしめるもうひとつは社会性だ。

人間が生き生きと生きるには、「感情」「想像力」「技術」「社会性」が必要なんだと思う。


「生き生きと生きる」がどういうことかのわたしなりの答えらしきものは、

一定以上の水準の生活をしながら、想像力をはたらかせつつ他の存在と関わるなかで得られる感情を感じて生きること

ということかな。よくわからない。


感覚的に、要は「生き生き」という感覚は自分以外の存在と関わるなかで感情の動きをかんじることだと思う。

人間は他の存在があることで「生き生き」できる気がする。他の存在が感情の動きに重要なのだ。


人間は○○の生き物、という言葉がたくさんあるけど、個人的には「感情の生き物」が好きだし、理性にも本能にもあらがいうる「感情」が人間の本質である気がする。


「社会性の生き物」であり「感情の生き物」である人間。面倒くさいけど、きっとそれがいいんだね




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