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2024年映画感想No.11 若武者 ※ネタバレあり

二ノ宮隆太郎監督らしい厭世と自己嫌悪

ユーロスペースにて鑑賞。
他の二ノ宮隆太郎監督作同様、強烈な厭世感と自己嫌悪に満ち満ちた登場人物たちが描かれている。世界がおかしいから自分の人生が壊れているのか、自分が壊れているからこの世界もおかしいのか、その行き詰まりを解決する方法が見つけられないことで破滅の予感だけが膨らんでいく危うい若さが心に残る。
胸の内側にパンパンに憎しみを抱えた坂東龍汰演じる主人公のワタルも、まるで通り魔のように他者のモラルを攻撃的する髙橋里恩演じるエイジや清水尚弥演じるミツノリも”正しさ”で自分の生きている世界をより良くすることができなくなっている人物であり、内省的か対外的かの違いこそあれ全員生きることの目的を持っていない。そうやって本質の無い空虚なリアルを生きる彼らがすぐ隣に存在するさっきまでなんの関係もなかった他人の日常にとっての新しい不条理になり、個人同士の分断だけが広がり続ける。
社会の価値観がアップデートされても彼らの人生には何の関係もないからこそ、彼らの口にする正論は前提から破綻している。エイジやミツノリのように関係ない非当事者が自分のために”正しさ”を引用して他者を攻撃するところには、論破やマウンティングという風潮に象徴される現代日本社会の貧しさが表れているように映る。終盤にエイジがすれ違った男性に因縁をつけてカウンターパンチを見舞うのだけど、自分と関係のない人に自分と関係のない論理で諍いをふっかけ、反撃を誘うことで自分の攻撃を正当化するという一連の流れがそのまま自分のためだけに他者の都合に首を突っ込む現代社会の醜悪な面の本質を表しているように感じた。

他者という不条理を抱える主人公

一方でずっと主体性のないままムスッとした顔で成り行きに付き合っているだけのワタルは内心で義理の父親への強い恨みを抱えている。エイジが何かにつけてワタルと父親の因縁をけしかけるたびに異常な反応を見せるところからも、それがワタルにとって封印したい過去であることやその過去に強烈に囚われていることが透けて見える。
実父ではないことからも「関係のない他者」との不条理な関係によってアイデンティティを歪められたままここまで来てしまった人物であるワタルは、ある意味でエイジたちと鏡合わせの存在にも思える。エイジたちが他者と関わることで能動的に自分たちの日常を歪ませようとしているのに対して、ワタルはもはや関わりの無い他者との関係によって歪んだ人生の中で身動きが取れなくなっている。そう思うと、明るい未来を信じれた頃を重ねるように幼児を見つめる目線や、その対比として完全に人生を楽しむ術を見失っている自分自身に絶望しているかのように遊具を踏みつける姿が切ない。
終盤ワタルは豊原功補演じる義父と対峙するのだけど、「お前がいると人生がきつい」という言うようにもはや自分でもその影響をどうしようもなくなっている様子が痛々しい。解放されるために自分が幸せになるのではなく、相手もろとも破滅する選択しかできない自分自身を改めて自覚してしまうような展開がやるせない。

他者を通じてしか自己定義できない人々

この映画内で他者を通じてしか自己定義できないのは決して主人公たちだけではない。働く人、道ゆく人など社会に根ざしたアイデンティティを持つ人たちも根底には「自分はまともであの人はやばい」という立ち位置で他者を見つめている。
老人ホームでお年寄りの利用者を非人間的に扱う女性スタッフも、エイジとミツノリがキスしているのを見て嘲笑する通りすがりの女性たちも、工場で上司に文句を言う派遣社員も、みんな自分は当たり前に否定されない側の人間だと思っているところが想像力に乏しい。ストレスの捌け口としての共感や優越感のために他者の尊厳を否定することが結局は自分たちの首も絞めていることに気がつかないのが、みんな等しく愚かに映る。
序盤にエイジがいう「悲劇はドラマ」という言葉は言い得て妙で、彼らが悪意たっぷりに他者と絡むほど、場面に会話劇としての面白さやどう転ぶのかわからない緊張感が生まれて映画としてどんどん目が離せなくなっていくのが皮肉で面白い。アンモラルで挑発的で、もはやピカレスクロマン的ですらある。

人それぞれの"普通"という歪み

主人公たちが普通に仕事をしている描写があることで、彼らが決して社会に適合できない異常者としては描かれていないところも鋭い印象を残す。彼らも見え方によってはそこら辺にいる普通の人であり、だからこそ特定個人が異常なのではなく誰しもが自分で思う”普通”こそが人それぞれの歪みなのだという描き方になっているように思う。
他者同士である僕たちには本質的には共通の何かなんてものはないのかもしれないし、だからこそ迂闊に共感や同意を求めることが逆に断絶を浮き彫りにするようなやり取りも多く描かれる。

画作りにも表れる分断された関係性

スタンダードサイズの画角だからこその人物や会話の切り取り方も印象的だった。この映画内では人と人が同一画面内で見つめ合うカットがほとんど無い。話者単体を映すような会話演出では一方的な会話の印象が生まれている。横並びで映し出される人物たちの間には本当に同じものを見ているのかという信用できなさが漂っている。向かい合ってお互いを理解しようとする会話の映し方は無く、文字通り目線が合わない。
この映画内で唯一登場人物同士の目が合うのはワタルがブチギレる場面であり、結局それだけがワタルと他の二人の繋がりだったのかと思うととても虚しい。ラストに全てを諦めたワタルが頭を垂れながらこぼす言葉は、この映画で唯一彼が残す前向きな言葉でありながらその映し方と悲劇的な展開が相まって皮肉にも響く。結局自分は父親と同じだということを認めるようなラストのようでもあるし、解放されることの安堵のようでもある。

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