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2023年映画感想No.10:別れる決心(原題『Decision to Leave』)※ネタバレあり

ジャンルにおける見事な最新版

Filmarks一般試写会にて鑑賞。ユーロライブ。
パク・チャヌク新作。商業映画的な脚本の強さをしっかりと担保するパク・チャヌク監督らしく表面的なストーリーとしてしっかりミステリーをやってくれてもいるだけど、物語の目指す場所として謎解きの着地ではなく探偵役の刑事と容疑者の女性の関係性から見えてくるファムファタル論的な構造的問い直しがとても面白い作品だった。
監督自身が「古典的」というように物語的にはヒッチコックの系譜に連なるフィルムノワールなのだけど、そのジャンルが本質的に内包する男性史観まで批評し提示してみせる物語的視座の現代性と小道具としてスマートフォン、スマートウォッチという最新デバイスを最大限に活用する設定的な現代性があり、ガワと中身が更新されたジャンルにおける見事な最新版になっている。

主人公の目から見える物語

仕事も私生活もマンネリ気味なミドルエイジクライシスに陥る主人公チャン・ヘジュンが取り調べをした女性ソン・ソレに惹かれていく序盤は、「ヘジュンから見えるソレ」という主観性を強調する撮影が常に関係性や進行する物語への信用できなさを生み出している。
ヘジュンが最初にソレを視界に捉える場面の映し方からして明らかに不自然なのだけど、その後も「見えない裏側」があることを象徴的に浮かび上がらせるような撮影が常に人物を捉えどころのない印象にしている。ここまで人をまっすぐ見ることができない作品も珍しいと思う。
また匂い、音といった画面には映らない要素を介した描写によって二人が感じている物事には常に「分かり合えなさ」が横たわっているように感じられる。ソレが中国人であることで話す言葉にもディスコミュニケーションが内包されており、あらゆる設定においてそれを確認しようもない絶対的な信用できなさが漂っている。

不自然な展開の官能サスペンス

独りよがりに暴走するヘジュンがどうソレと接近するのかが真意不明な危うい官能性を持ってサスペンスフルに描かれるのだけど、割と早い段階からヘジュンの不自然な行動がソレ本人にも筒抜けだし、なんならヘジュンにとって都合良いほどにその気持ちに応えてくれるようにすらなっていく。その展開としての不自然さが画面に映る物語に対する違和感として中々解消されないところが面白い。
どこまでが本当に起きていることでどこまでがヘジュンから見えている物語なのかがずっと曖昧に感じられるし、なんなら全て妄想の出来事なのかなと思ってしまうくらいなのだけど、決定的な出来事が描かれないことも含めて起きていることは全て本当なのだろうというバランスが上手く描き込まれている。
未亡人のソレと既婚者のヘジュンというそれぞれの立場もあって抗い難く惹かれてしまうプロセスが官能サスペンスとしても成立しているのだけど、そこはパク・チャヌクだけあって一筋縄ではいかない。

二人の見つめる物語の本質的な違い

ソレとの刺激的な関係によって自分の信じてきた価値観が崩れてしまったヘジュンは一度その関係を清算して妻との生活を選ぶのだけど、そこからもう一度その安定を揺さぶりに来る後半の展開が物語の見え方をより複雑にしている。
どこまでが計画的でどこまでが偶然か計りかねるな展開なのだけど、それに対してヘジュンは「そんな偶然があるんですかねえ」といい、ソレは「かわいそうな女」と表現するのがこの物語の本質的な視点の違いを象徴していると感じる。

ソレ~幻想としての"女性"

ソレは中国から密入国した社会的立場の弱い女性であり、だからこそ男性たちとの関係にはある種の渡世術が匂わされる。弱者として男性に支配された世界に生きるしかなかったソレの切実な痛みが亀裂のように物語に差し込まれるのだけど、彼女が女性性を武器にその環境や置かれた状況に順応しようとしてきた行為がヘジュンという男性の目線を介するとファムファタル的に映し出されてきたのだということが(あくまで一つの解釈としてではあるが)浮かび上がってくる。
前半と後半で同じ構図の人間関係が繰り返される構成も結局この世界から解放されないソレの苦しみが続いている結果のようでもある。ヘジュンに対する支配的な恋愛関係はある意味でバグのようなものだったのだろうしどこまでが駆け引きでどこまでが真の救いだったのかはわからないけれど、「幻想としての"女性"」としてしか生きれないことが彼女の唯一の武器であり、悲哀でもあったのだと感じるような展開だった。

ヘジュン~男らしさの欠落ゆえの破滅

一方でソレにのめり込んだ結果、ヘジュンは全てを失う。出世していく妻の傍らでエリートとしてキャリアを持て余すヘジュンの前に現れたソレはヘジュンにとって常に「事件そのもの」だった。
ソレを通じてヘジュンは警官としても男としてもアイデンティティを取り戻そうとするのだけど、そのためにすがる「警察と容疑者」というある種の支配関係の先にヘジュンはエリートの道を外れ、妻との幸せな生活を失い、最後には幻想に囚われ続ける。
前半と事件ではソレの罪を共に背負った上で離れることを選ぶのに対して、後半の事件では実行犯としての容疑が晴れた後も容疑者としてソレに付きまとう。前半ではまだ崩壊した自分を客観視できていたけれど、後半はもはや何が正常で何が異常なのかすらもわからずにソレという″物語″から抜け出せなくなっている。
彼が男性性ゆえに破滅していく様を見つめる物語としてもきちんと成り立っている。

パク・チャヌク作品らしい余韻

『別れる決心』というタイトルが誰のどのような選択なのか、悲劇とも勝ち逃げともとれるラストに鮮やかに浮かび上がる。
「未解決事件」として決定的に埋めることのできない空白がヘジュンの心には残り続ける一方で、ソレもまたどこまでも「象徴」として物語を終えることになったのだと思うと、やはり「恋愛という共幻想」はどちらにとっても呪いだったのかもしれない。
パク・チャヌクの映画を観た、という複雑な余韻。お見事な一作。

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