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2024年映画感想No.6:ボーはおそれている(原題『Beau is afraid) ※ネタバレあり

「家族という呪い」についての地獄めぐり

TOHOシネマズ川崎にて鑑賞。
「家族という呪い」という過去のアリ・アスター監督作同様の主題を煮詰めた物語であり、最終的にはきっちり「最初から詰んでました」となるところまで相変わらずアリ・アスター印の絶望が堪能できる一作だった。
ボーが生まれる瞬間の主観ショットを思わせるファーストカットから彼の不幸は始まっているのだけど、そんな羊水発の因果が最終的には水の真ん中で母親に裁かれる運命までを辿ることを思うと結局ボーは最初から詰んでいたかのようにも思える。

病んだ主人公の病んだ世界

冒頭から主人公のボーが心の病のカウンセリングを受けていたりなんだかよくわからない薬を処方されていたりするので、彼の周りで起きる様々な狂った事象は病んだ彼の目から見える世界のようでもある。そのボーの壊れてしまった人生の背景には母親との関係があり、彼自身を蝕む母の支配を断ち切れない複雑な心情は冒頭のカウンセラーの「母親に死んでほしい気持ちと死んでほしくない気持ちは共存する」という言葉にも象徴されているように思う。
母親のいる実家に戻らないといけなくなったボーに次々とおかしな出来事が起きるのは、母親に会わないといけない現状がそのくらい彼にとって抑圧的状況であることを表しているようにも映る。ボーに次々と襲いかかる切実に厳しい出来事を観客も同時に目撃しているわけだけど、彼がありのままを母親に説明するとしっかり「お前何言ってるんだ」って話になってしまうのが起きる出来事を素直に現実だと受け取れないバランスを作り出しているように思う。
単純に「ヤベえ出来事が次々に起こる」という衝撃だけでひたすら圧倒されてしまうような序盤で、とにかく部屋の外は危険がいっぱいなのでボーは出来れば部屋から一歩も出たくないのだけど、かと思えば部屋の中も全然安心できない。毒蜘蛛の貼り紙や意味不明な隣人からの苦情など人を不安にさせる演出のバリエーションにアリ・アスターは相変わらず天才的な才能を発揮している。
水と一緒に飲め、と言われた薬を飲み込んでから水がないことに気づく、という一連の場面とか「芋づる式に状況が悪くなる描写」の中でも最高クラスだと思う。全てが悪夢的で最高だし、嫌だけど母親に会いに行くべきか、ここに留まり続けるべきかで悩んでいたボーが最終的に自宅にいられなくなるという状況の変化に母親の支配力という彼の逃げられない因果が重なって感じられる。
母親の訃報を知ってショックを受けながらも湯船に浸かる、という流れはなんだかんだボーが外に出なくて済んでホッとしているようにも見えるのだけど、そんな彼が家を飛び出す展開に繋げる描写のイカれっぷりにも心底慄えた。あんな場面思いつくのは狂気の沙汰だと思う。

展開のカオスと潜在意識の追求

映画が進むにつれてボーの失調していく世界の範囲が「見えている人」、「見えている場所」、「見えている世界全体」とどんどん広がっていくのも彼のトラウマを掘り進んでいく地獄めぐりのような物語を象徴的に表しているように感じられる。
怪我をした彼のことを匿ってくれる家族はとても親切なのだけど、ただ親切なだけなのにめちゃめちゃ不穏なのが面白い。一方でこの家族にも兄の戦死という破綻があり、その欠落が残された娘と夫婦の親子関係の溝になっていることが匂わされる。親の期待に応えられない娘が自傷的にボーもろとも破滅しようとするところなどそれもまたボー自身が抱えている母親との関係と相似的なコンプレックスにも感じられて、彼をおびやかす「恐怖」に必然性がある。
描写の面白さという部分では一幕目と比べて若干後退する感じもあるけれど、物語がストレスフルに停滞する展開などちゃんと違った方向からの混乱や不安を観客にも共有させるのが映画として面白い。この家族が息子代わりにしているドゥニ・メノーシェの気持ち悪い存在感など、ちゃんと画面の中に「安心できなさ」を介在させてくるのがアリ・アスターの信頼できる性格の悪さ。

男性性という背負わせれた呪い

母子家庭で育ったボーは男性性自体が呪いのように横たわる人生を歩んできたことが見えてくる。セックスをしたら死ぬ血筋だと言い聞かせられて育てられてきたらしく、自身の性的未熟に対するコンプレックスもまた母親への承認依存と直結しているように見える。
森の中の不思議な演劇で描かれる父権的な影響を探し求めているボーの姿には母親の支配を否定したい潜在意識のようなものも感じられるのだけど、彼がそれを自覚した瞬間に父親が爆発するなど「幻想は幻想だ」という後の展開への皮肉もしっかり込められているようにも思う。
なんだかんだあっても結局ボーは母親のところに引き戻されてしまうというのが、この後待っている出来事を思うとより取り付く島がない。

終盤に待っている絶望的なハシゴ外し

母は死に、昔の想い人とセックスをするという実家でのハッピーな展開も「そんな上手くいくわけないだろ」とハシゴを外されるような絶望で全て否定されるのがあまりにも不条理でポカーンとしてしまう。最初から何が起きてもおかしくない映画ではあるのだけど「そんなのありかよ」って反則を平気で犯してくるアリ・アスター。幸せの絶頂からどん底の絶望に叩き落とされたボー、不憫である。
ついに母親が登場してボーが恐れていたものといよいよ向き合わないといけないような展開になるのだけど、母親もまたボーの男性性を恐れていたことが見えてくる展開も救いがなくてグッタリした。彼女が男根主義の被害者だとするなら母親にとってもボーは呪いだったのかもしれないけれど、だからこそ最初からボーが愛情だと信じていたものなんて無かったのかもしれないというのがここまで何かを期待して頑張ってきたボーにも観客にも容赦が無い。
それにしても濡れ場では思いっきりボカシがかかるくせに化け物チンコはドドンと無修正で登場するのが意味わからなくて笑ってしまった。「あそこまで大きいと無修正でチンコを映せる」という裏技のような描写だと思った。

呪いの中に取り残されるようなラスト

ボーは最終的に自分の手で母親にとどめを刺すのだけど、そうやってたどり着いたかに見えた解放の先で、なお彼の中の母親が彼を咎め続けるという地獄のような描写で映画が終わるのもとことん救いがなくて頭を抱えてしまった。彼自身が母親との関係に対して「悪い息子だった」と思い込まされることも含めて母親の加害性の根深さを描いているラストだと感じたのだけど、母親を恐れ、苦しみながらその関係を拒絶したり求めたりすることも含めて彼の罪とされてしまうというのが本当に凶悪な呪いだと思った。

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