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リテールメディアのライバル-メーカーのお財布を狙うデジタルクーポンの憂鬱

 日本では、2020年以降、「どこで(販促対象屋号が決まっている)」と「何を(販促対象の商品)」が明確で、自社の取引先である流通小売に、お客さまを送客し、さらに自社商品を拡販する、という流通対策組織のミッションや業務目的にFITしたデジタル販促手段として、QRコード決済の仕組みを活用したデジタルクーポンの取組みが始まっています。

 今回は、メーカーと小売による共同販促広告(リテールAds)とQRコード決済事業者が展開するデジタルクーポンの差異点を、商流や商習慣の視点から確認するとともに、デジタルクーポンの事業性や定着に向けた課題を見ていきたいと思います。

 デジタルクーポンの分類や提供事業者については、前回の記事をあわせてご覧ください。


1.実は実施企業が限られている

 2020年9月に「花王商品の購入で最大40%戻ってくるキャンペーン」として第1弾が実施されて以降、PayPayと花王のタイアップは、2023年6月の第7弾キャンペーンまで断続的に実施されている他、2022年7月には、ドコモでも「花王商品・d払いでおトクキャンペーン」が実施されています。

 ここまでの3年間、QRコード決済とタイアップしたデジタルクーポンの仕組みを採用したメーカーの数は、実のところ少なく、花王、P&G、日清食品など、一部の大手企業に限られ、デジタル販促手段としてのすそ野は広がっていないように見えます。

2.メーカー視点で見たデジタルクーポン

 デジタル販促手段として、QRコード決済の仕組みを用いたデジタルクーポンを、クライアント側が採用し辛い理由はいくつか考えられますが、まずは、販促実施主体となるメーカー側の事情から読み解いてみたいと思います。

(1)持っているお財布のキャパを超える

 デジタルクーポンの建付けを考えると、デジタル販促の実施に当たり、クライアントとんるメーカーは、QRコード決済事業者に対し、「メディア掲載費(固定費)」、「表示数に応じた課金(変動費)」、「ポイント原資」等を負担する必要があります。

 本取組みの採用数が少ない理由の一つが、デジタルクーポン施策1回あたりにかかる費用が過大で、メーカーの営業企画や広域営業部門といった流通小売に向き合う組織が持つお財布のキャパシティを超えているためだと考えられます。

 自社の取引先である流通小売に、お客さまを送客し、さらに自社商品を拡販する、というミッションや業務目的を持つ営業企画のお財布で取り組もうとする場合、取引先を差別することは難しく、QRコード決済の加盟店となっている複数の流通小売を対象店舗とする形で、一定期間、全国規模で実施しようとすると、かなり大きな金額を投下する覚悟が求められます。

 このデジタルクーポン施策で、販促予算の一部が消化されてしまう場合、個々の屋号を担当する営業に割当られていた、屋号別の支援費や販促費が削られてしまう可能性があり、流通屋号を担当する営業からすれば、商談や交渉上の武器が減ることを意味します。

 また、予算内に収めるため、対象となる流通小売を限定して実施しようとする場合、デジタルクーポンの対象店舗から外れてしまったお得意さまの流通小売から「なぜうちの屋号は対象にならないのか」というクレームが発生し、営業はその説明に苦慮してしまうと考えられます。

(2)単価があわない

 デジタルクーポンは、小売側のPOSデータを元に、最終的に販売に繋がった(コンバージョンした)成果を特定することができる販促手法です。

 各メーカーでは、いままでに実施した各種販促施策の効果測定の過程で、施策を評価する物差しとして、ターゲットとするCPA(顧客獲得単価)を持っていると考えられます。
※CPA:「Cost Per Action」の略

 デジタルクーポン施策において、QRコード決済事業者が所有するWEBサイトやアプリなどのメディアを利用する際の広告費用と、商品購入時に還元される20%〜30%程度のポイント費用を、最終購買に結びついた件数で割り、1件の獲得にかかる費用を試算した場合、各メーカーが設定しているCPAと比較して、費用対効果があっていない可能性があります。

 一般的に、洗剤、石けん、歯磨き粉などの生活必需品は価格競争が激しく、利益が薄い商品です。各メーカーのクライアントが取り扱う商品の利益率や価格、販売促進予算の合計額、実施時に許容できる1件あたりの獲得単価など、いくつかの条件を満たすことができるメーカーだけがデジタルクーポン施策に参加できると考える場合、その間口は、かなり狭いのではないかと思えます。

 このような理由から、QRコード決済事業者が手掛けるデジタルクーポンの取り組みを採用し得るクライアントの絶対数は少なく、結果として、年間の広告宣伝費が700億円を超える花王や、200億円弱の日清食品など、一部の大手企業による限定的な取組みに留まっているのではないかと考えています。

3.小売視点でみたデジタルクーポン

 デジタルクーポンを配信するメディアを持つQRコード決済事業者と、販促費を負担するメーカーが契約し、メーカーと取引があり、かつ、QRコード決済の加盟店舗である流通小売を対象として実施されるデジタルクーポンは、そのビジネス構造上、メーカーが主語になる取組みであり、小売側の裁量が少ない座組みであることがわかります。

 従って、デジタルクーポンの取引構造や座組みは、小売業の立場からは決して好ましいモデルとは言えず、このような販促キャンペーンの実施をメーカーが検討している場合、その実施自体を控えるよう、申し入れを行っていてもおかしくないと考えています。

 平たい表現を使うと、「小売主語の取組みでないものはノーサンキュー」と考える理由は、誰のお財布かという点と、自律的な営業政策の阻害、という2つの視点から説明することができます。

(1)自社への支援の絶対額が減少したように映る

 メーカーの組織構造を前提に考えると、デジタルクーポンに投下される予算は、自社の取引先である複数の流通小売に、お客さまを送客し、さらに自社商品を拡販する、という流通対策や営業企画部門のお財布で実行されるものだと考えられます。

 このお財布の中には、流通横断で実行するキャンペーンのための全国施策費と、取引額や販売数量等のランクに応じて按分し、個々の小売屋号に対して設定される流通対策用の予算が同居していると考えられます。

 ここで考えるべきは、メーカーのお財布は期首に予算化されており、デジタルクーポン施策を新たに実施することになった場合、その予算が、別のお財布から出てくるわけではないということです。流通対策にかけるメーカー予算は所与の条件であり、新たな販促施策を行う場合、各小売屋号向けに設定されていた販促費が削られてしまう構造にあると理解できます。

 小売業者の視点で、この構造を捉えると、QRコード決済事業者に対し、販促原資や媒体費が支払われるということは、お財布のキャパシティが変わらない限り、メーカー営業が提示する各種支援金額や販促提案の規模の削減につながる等、小売側の裁量で使える金額が減少する可能性がある点を懸念せざるを得ません。

 本来、自社屋号に対して割付られた流通対策に関する予算の使途は、商品部や販売促進部門が、特売やチラシ広告、マストバイキャンペーン、店内ツールやPOPといった告知物の制作、店頭のデモ販売等、その時々の販促方針に応じた使い方を、小売側の意思で定め、ハンドリングすることが可能です。

 また、販促キャンペーンを告知するメディアについても、小売側の意思で、オウンドメディアや外部メディアへの出稿等、商談の過程でコントロールできていたところが、QRコード事業者が介在することにより、その自由度が失われたように映ります。

 デジタルクーポンの取組みが、QRコード決済事業者が、自屋号とメーカーの取引に割って入り、独自のルートを作り、本来小売業者のために設けられていた予算を奪おうとしているように見えていても、これはやむを得ない状況のように思います。

(2)営業政策との不一致

 QRコード決済事業者が手掛けるデジタルクーポンは、メーカー側の意思で、販促のタイミングや期間、還元するポイント等が決定されるため、対象店舗になってもらえないか、という打診が小売側へ入った際、当該小売が別のメーカーの営業と商談や施策のすり合わせの結果として定めた営業政策や拡販計画との間で、不一致が起きる可能性があります。

 メーカーの営業が提示する、当該商品の拡販に向けた小売に対する支援や販促の提案を受け、52週間のMDと連動する形で、チラシへ掲載する拡販対象商品の選定を起点として小売業の各業務は動いており、商品のMD、店頭の棚割、販促キャンペーンに関する店内露出など、各カテゴリにおける重点メーカーとその商品に関する展開が、全店で同期されるように指示が出されています。

 最悪のケースを想定すると、他のメーカーとの共同販促に関する商談が進んでいる場合、デジタルクーポンの対象屋号に関する打診を受けても、お断りをせざるを得ないケースや、他のメーカーと展開する共同販促の実施時期を調整する必要が生じるなど、営業政策を自律的にハンドリングできない部分に、ストレスを感じている可能性があります。

 また、QRコード決済事業者とタイアップしたデジタルクーポンは、基本的に、当該小売だけが対象ではなく、複数の小売を対象店舗とするメーカー主導の販促施策であることに加え、販促対象商品選定における裁量を持てず、小売側は営業上の意思を反映させづらい構造にあります。

 このように、デジタルクーポンを提供するQRコード決済事業者は、小売業の自律的な営業を制約する存在と受け取られている可能性があり、デジタルクーポンが広まらない背後にある要因の一つだと考えられます。 

4.販促成果の解像度の問題

(1)購買証明用データの粒度

 QRコード決済事業者が手掛けるデジタルクーポンについては、データ帰属の問題から、クライアントであるメーカーにとって、デジタル販促施策の効果測定という視点で物足りない部分が存在していると想定されます。

 デジタルクーポンの取組みでQRコード決済の認証の仕組みを用いる理由は、「クーポンの対象店舗」で、「対象の決済手段を用いて」、「対象商品を購入したかどうか」を確認し、後日、QRコード決済事業者が提供するポイントを「付与する対象者を特定」するため、小売側のPOSデータを預かりチェックするという、いわゆる購買証明を取得する点にあります。

 デジタルクーポンの購買証明の取得にあたり、小売業から預かるデータの粒度を考えると、以下のレベルに分けることができます。

①当該商品を購入したことがわかるレコード
②対象商品を買った人のレシート記載のレコードの全て
③対象商品を買った人の同一カテゴリ購入履歴(別商品を買った履歴含む)
④QRコード決済を利用した人の、過去、将来のお買い物履歴のすべて
⑤小売業の全POS預かり 

 後日、ポイントを付与する対象者を特定するため、という目的を考えると、QRコード決済事業者は、対象店舗を持つ小売業から、キャンペーン対象商品を購入した際のレシートのレコードデータを預かっていると考えられます。

 QRコード決済事業者は、キャンペーン参加時に、参加者から特別な規約同意を得ていない限りにおいては、上記の②のレベルで、購買証明のためのデータを預かっていると想定しています。

 この粒度でのデータを用いる場合、クライアントに対するQRコード決済事業者による効果測定のレポートは、QRコード決済アプリ上の告知やクーポン等の総接触者からみたコンバージョン率や、流通小売屋号別の送客(誘導)実績、販促施策のCPAに関するものに留まります。

 小売業から預かるPOSデータの用途は、購買証明目的に限定されていることに加え、恒常的な取組みではなく、キャンペーン実施期間分のデータに限られるため、その他の用途としては、対象商品と同一レシートに記載されている併売商品をみて、キャンペーン参加者の購買スタイルを推定するくらいでしか、利活用ができなそうです。

(2)メーカー側の期待値

 一方、デジタルクーポンを用いた全国施策を実施するメーカー側の業務目的やKPIの存在を考慮する場合、この取り組みによって、本来取得したいデータの粒度として③のレベルが求められます。

 対象商品を買った人の同一カテゴリ購入履歴を分解すると、キャンペーン参加以前に対象商品と同一カテゴリの競合商品を買った履歴や、キャンペーン参加後の購買行動についても、確認できることが、本来的には望ましいと考えられます。

 ③の粒度でPOSデータを預かることができれば、デジタルクーポン販促の実施前に、競合商品を購入した履歴がある人が、どの程度、キャンペーンを機にブランドスイッチしたのか、というチャーンインの成果や、デジタルクーポン販促実施後、リピート購入に繋がった定着率等の可視化やレポーティングが可能になります

 その点、QRコード決済事業者が手掛けるデジタルクーポンは、小売業から預かるデータの幅が狭い他、購買証明用途という制限を受けるため、本来、メーカーが知りたいレベルでの効果測定を難しくさせている側面があります。

 このあたりは、自社のお客さまの顧客IDと、販売拠点を持ち、一人ひとりの購買履歴というデータ資産を活用することで、解像度高く、販促成果を分析し、次回以降の取組みに反映することで取組みの精度を高めることができる、小売名義のメーカーとの共同販促広告(リテールAds)との差異点であり、リテールAdsの優位点であると言えそうです。

(3)踏み込んだ取組み

 デジタル販促としての効果を計るための解像度が低いことが、デジタルクーポンの採用に結び付いていない理由の一つではないかという点を説明いたしましたが、ここにきて、この課題を解消しようとする動きもみられます。

 auPAYと日清食品が、タイアップし、2023年8月1日から9月29日の間、対象加盟店の店舗にて日清麺職人をauPAYで購入すると、Pontaポイントを最大20%還元するキャンペーンでは、利用者がキャンペーンにエントリーする際、以下のとおり、POSデータ(個人関連情報)の取得とお客さまのパーソナルデータの利用目的・利用方法に関する規約への同意を求めています。

出典:麺職人ドラッグストア向けauPAYキャンペーンの参加規約

 この規約を見ると、au PAYを用いて決済したレシート記載のレコードに加え、キャンペーン参加以前に、auPAYを用いて決済した時のレコードや、キャンペーン期間が終わった後においても、対象商品以外の購買履歴を含むデータを小売業からQRコード決済事業者へ提供することへの同意を求めていることがわかります。

 本キャンペーンに参加する屋号や店舗が、サンドラッグやクスリのアオキHD、富士薬品等、一部の屋号に限られる点や、提供されるPOSデータは、auPAYを用いた支払い分に限定されるため、店頭におけるキャッシュレス比率や、そのなかで決済手段としてauPAYが選択される比率を考慮すれば、auPAYが関与する売上や預かるデータ量は限定的な規模に留まりそうですが、メーカー主語のデジタル販促が抱えていた従前の課題を解決する一助となる可能性があります。

5.まとめ

 ここまで、メーカー側の視点、小売側の視点、データの帰属と販促成果の解像度の視点から、QRコード決済事業者が手掛けるデジタルクーポンの事業性や課題について見てきました。

 このタイプのデジタルクーポンについては、現時点で、活用できるメーカーが、一部の体力がある企業に限られる他、小売とメーカー間の商流に割って入り、本来自屋号に投下され、自律的に用途を定められた可能性がある予算が、他社に獲られるようにも映るデジタルクーポンは、小売側がもろ手を挙げて賛成しないことに加え、データ帰属の視点から、メーカーが望む粒度での効果測定が難しい側面があるため、現段階では、限定的な取組みに留まってしまう可能性が高いとみられます。

 データ帰属については、明確な管理・運用ポリシーに基づく自社資産の分散回避と内製化を進める小売業の場合、自社のPOSデータを外部へ提供すること自体を忌避する可能性が高く、なんらかのブレークスルーがない限り、QRコード決済事業者によるデジタルクーポン施策を一般化させるのは難しいという印象を持っています。

 現状、デジタルクーポンが抱えている課題を解消するアプローチとして、一つには、メーカーと小売業のすり合わせを前提とし、同じ期間に、同じ方向を向いた取組みである、メーカーと小売の共同販促モデルに換えていく方法があり得ると考えています。

 メーカーの営業と小売の商品部の商談を前提として、メーカー側からデジタル販促の提案を受け、実現する際の手段として、QRコード決済事業者が提供するデジタルクーポンの仕組みを活用し、共同販促を展開する、というアプローチが成立する場合、メーカーのデジタル販促提案と、小売業の営業政策を一致させることができそうです。

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