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頑張れない辛さ

こんにちは。knot.です。何かを書きたい、という欲が止まらない!じゃあ卒論進めなさい!って感じですが、それはまた別だからやりたいこと、書きたいことを書きます。でも、何書こう?ふと思い出した「頑張れない辛さ」について書いていこうかなと思います。


頑張りすぎるなと言われた日

「頑張りすぎるな」と言われたことがあります。具体的なエピソードは思い出せないですが、受験にせよ、日々の生活にせよ、バイトにせよ、自分で自分にプレッシャーをかけ、頑張りすぎる傾向にある。私は、「完璧主義」なところがあるようで・・・。人からの期待というより、自分で自分に期待してしまうところがあるのか、と気づいたのは最近のことです。頑張ることで辛くなり、しんどくなり、逃げ出したくなる。頑張っても結果が出ないときは特に。もう少しで結果が出そうと思っても、そのもう少しに耐えることが辛くなったり。何に対しても頑張ることができるのは、私の個性で強みになり得るものだけれど、頑張りすぎることは要注意なのかもしれない。そう思うようになって、今まで頑張ってきた自分を少しだけ変えていこうと思うようになりました。

完璧主義、卒業します

勉強も頑張る、部活も頑張る、人には優しくする、とにかく気を張り続ける毎日が辛くなり、頑張らない選択をすることにしました。それまでいろいろ頑張ってきた私からしたら、大きな決断でした。この決断をしたのは、大学1年の後期辺りからでしょうか。プレッシャーを感じるバイトを思い切って辞め、「単位が取れればいい」という感覚で授業もさぼりがちに。レポートとテストは頑張るけれど、成績はどうでもいい。高校まで成績優秀を保つことで自分に個性を見出してきた私からすれば、想像できないことでしたが、頑張らないことへの挑戦は、私に新たな感覚を味わうきっかけを与えてくれました。
また、アルバイトの経験も、完璧主義の卒業に繋がりました。仕事をする、お金をもらうという経験は、アルバイトが初めて。仕事を覚えて仕事の時間はやるべきことをやるわけですが、初めてのことが最初からうまくいくはずもなく。分からないことは分からないと言わなければならない、先輩に質問をして、失敗をして仕事を覚えていく。人に何かを聞いたり頼ったりすることが苦手で、一人で完結させてきた私にとっては、苦手なことの連続で苦痛でしたが、この経験のおかげで、自分にできないことがあるのは仕方ない、という感覚が持てるようになりました。

「まあいっか。」と思える感覚

高みを望まない毎日を送ることで、できない自分やダメな自分に対し、「まあいっか。」と思えるようになりました。これは、結構大事なこと。完璧な人間はいないし、私にも苦手なことはあるし。時には逃げたっていい。できない自分も居たっていい。自分の存在を丸ごと受け止める基礎が少しずつできていく感覚がありました。自分にこれまで足りなかった感覚だったので、頑張らないこと、「まあいっか。」と思えることは、私にとっては大きな成長、収穫だったわけです。この感覚は今もあります。だいぶ自分に馴染んできています。

頑張れないことが辛くなった日

そんなふうに、頑張らないことを覚え始め、自分にとってちょうどよい過ごし方を身に付けた気でいたのですが、頑張れない辛さにぶち当たる日が来ました。大学のテスト期間のこと。課題の提出の締め切りが連続して差し迫るころ、私は完全に頑張れなくなっていました。どうしてかわかりませんが、頑張れなくなっていたのです。課題はちゃんと提出する、ある程度のレベルに仕上げることが私のスタイルでした。やっぱり勉強は頑張りたくなっていたのです。その気持ちはあるのに、なぜか頑張れない。頑張れない自分を許したくなる。頑張りすぎることをやめた私は、頑張ることを許せなくなっていたように思います。でも、頑張りたい気持ちがある。どうしたものか、どうすればいいのか、分からなくなりました。ああ、こんなに頑張れない人だったっけ、頑張りたい何かがあるのに、頑張りたいと思うことすら頑張らないようにしてしまうのか・・・。正直、自分が嫌になりました。頑張りすぎない選択、頑張らないことを意識したことで、頑張らないことにも疲れてしまったのかもしれません。
頑張れないことが辛くなりました。頑張れている人がうらやましく思えるようになりました。頑張っていたころの自分が懐かしく思えました。

頑張れない辛さとは

課題は何とか終え、単位も無事にいただけました。頑張れない期間にないような気力を絞り出し、頑張った自分を振り返って思ったこと。頑張れないときは、頑張れない辛さもある。
頑張れないことに対して落ち込んだり、焦ったり。そういう辛さは、頑張っている時の辛さとはまた違う。頑張れている時は頑張れているから、そこに対する悩みではなく、物事に対して、あるいは、自分の満足度に対しての悩みが発生することが多いと思うのですが、頑張れないときは、頑張れていないという現実と向き合ってしまう。自分を責めてしまう。そういう根本を見つめる辛さって本当に苦しい。だから、周りから見れば、とくに、頑張っている人から見れば、自業自得とか、自分の責任だとか、簡単に言えるんですけど、実はそれを一番わかっているのは自分だし、自業自得だと思ってしまうから本当に辛い。でも、本当は頑張っている。

頑張っている姿を褒めてくれる人は多いけれど、頑張れない人の方が頑張っているのかもしれない、と思う体験でした。まあ結論、生きてるだけで頑張っている。ということでしょう。

頑張れない辛さを知っている人は強いと思います。頑張るべき時に頑張れないことに対し、私は他者を責めることはできません。発破かけてやる気を出すいタイプの方もいるかもしれませんが、頑張れなくて辛い思いをしている人は、おそらくすでに頑張っているし、頑張ってきた人なのだと思います。
被多様な経験をしている人がいらっしゃいましたら、どうかご自愛ください。


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