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34.無意識に外国語を操るための模倣(為末大『熟達論』③「型」を読んで)

 世界陸上メダリストでオリンピアンの為末大さんが、アスリートとしての経験を踏まえて書かれた書籍『熟達論』。
 運動技能と語学の習得には共通点があると確信して書き連ねる随想兼書評シリーズ第3弾。

 前回は、技能習得のためには、遊びの気持ちを忘れず、自分の好奇心をみつめ、主体性をもつ重要性について述べられていた。
 つまり、心構えこそがスタート地点に置いて重要であるとされている。

 その次の段階について、著者は「型」の重要性を述べる。
 「型」とは、言い換えると「基本」のことである。
 「型」によって、遊びも一段上に昇華されるとしている。

 著者は「型」の習得を「無意識にできるようになること」と定義する。
その上で、次のように述べる。 

言い換えると「癖づける」ということである。ところが、人間の癖には大きな特徴がある。一度ついた癖を取り除くには、最初に癖をつけた時よりも大きな労力がかかるのだ。(pp.82-83)

為末大『熟達論』

 具体的に型をどのように手に入れるか。
 模倣が必要である。
 模倣には「観察」と「再現」の二つの段階がある。
 

観察と模倣の繰り返しで型の習得は徐々に進んでいき、最終的に無意識で行えるようになる。最初は歌詞を覚えるだけで必死だったのが、前奏のフレーズを聞くと自然に歌えるようになり、抑揚まで似せられるようになっていく。このように最終的に目指すのは無意識にできることだ。(p.92)

為末大『熟達論』

 この段階で私は、音読やシャドーイングによる発音練習を連想した。
 お経を読むかのように、寺子屋で行われた素読のように、最初は意味を考えず、文字を音声化し、あるいは聞こえてくる音を脳でとらえ口で再現する。
 これをひたすら繰り返すと、スピーキング能力向上につながる。
 これは前回でも紹介した書籍でも述べられている過程である。

 私もシャドーイングは日々の学習に取り入れているが、日々上達している実感はない。
 数カ月やっても実感はない。
 ただ、体で感じられない無意識レベルで上達していると信じて続けるしかない。
 
 著者もこの点、継続することの難しさに言及している。
 うまくいった時に喜び、失敗した時に悔しがるリアクションが大きい人ほど、「諦める傾向」にあるそうだ。
 この反応を抑える方法としてこう述べる。

それは期待しないことだ。失望は期待との落差だから、期待が大きければ失望も大きい。続けていればいつかうまくいくがすぐうまくいくとは限らない。そう考えることで、反応を小さくすることができ、ただ淡々と続けることができる。(略)
「型」の習得には才能は関係ない。ただ時間を費やせるかどうかだけなのだ。(pp.104-105)

為末大『熟達論』

 語学の習得にピッタリ当てはまる言葉だと感じた。
 やはり、運動技能を修得することと語学を修得することは共通点が多いと確信した文章である。

 ちなみに、多言語習得を可能である「ポリグロット(polyglot)」によるTEDのスピーチは興味深い。

 このスピーチの中にも、言語習得のコツの一つとして「patience(忍耐)」が挙げられている。
 要は、「すぐ身につけられないから、我慢して続けることって大事だよね」と述べられている。

 模倣の在り方については、現在は京都大学教授を務める柳瀬陽介『模倣の原理と外国語習得』広島修道大学総合研究所(1994年)でも述べられている。
 Amazonでは入手できないが、この書では、模倣の在り方について、「自分言葉として」語ることが必要であると述べている。
 自分の考え、自分の感情を反映させた言葉であるべきだと主張されている。
 自己学習の参考になる助言である。

 我慢して継続性を実現し、意識できなかったことが無意識でもできるようになったとき、どうなるのか。
 どのような世界が待っているのか。

 それは次の「観」に記されている。

(④「観」へ続く)

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