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終わらない死刑囚の刑期 執行後も社会から切り離されて 

 3月13日、従来から冤罪事件と指摘されてきた「袴田事件」の再審が決定した。検察は特別抗告を断念したという。センセーショナルなニュースで驚いた人も多かったのではないか。

 死刑という、国家が国民の命を奪う制度が根強く残る日本。その是非についてもさることながら、警察の拷問的な取り調べや検察の起訴処分=有罪という前提裁判が原因となって数々の冤罪事件が起きてきた。袴田巌さん(87)は、警察による捏造やマスコミの「犯人」吊し上げ報道を受けた末に半世紀もの時間を奪われた。無実の罪で死刑を宣告され、数十年も収監される苦しみは筆舌に尽くしがたく、当事者の心情をいかに想像したとて到底わかりうるものではないだろう。

 法務省によれば、日本では拘留中の死刑囚が106名。2000年以降の22年間で死刑を執行された者は98名に上るという(2022年7月26日現在)。とはいえ、死刑判決直後に執行される例は少なく、「判決から6か月以内に執行」というルールは守られていないのが現状だ。また、死刑執行が当人に通知されるのは当日1〜2時間前だという。先日、死刑囚2名が執行の当日告知は違憲だとして国を訴えたが、自殺を防ぐためだとして国側は反論した。国家の「極刑」であり人の命を奪う行為であるにもかかわらず、ルールはなおざり、国民への情報公開も乏しい。

参考法務省 法務大臣臨時記者会見の概要(令和4年7月26日)https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00322.html

罪を犯した人間を、死で償わせる。
国が方針を改めることがなければ、この先も国民が差し詰め支持し続けるとしたら、死刑がこれから先の未来もあり続けるとしたら、日本はまた戦争の道を進むことになるのではないか。誇張していると指摘されるかもしれないが、私は決してそう言い切ることはできないと思う。死刑も戦争も「罪」に対して憎悪で殲滅せんとする行為ではなかろうか。果たしてこれは問題解決になっているのか。

前置きが長くなったが、今回紹介するのは身寄りのない死刑囚や刑務所内で亡くなった人々の遺骨が集まる数少ない場所。豊島区にある都立雑司ヶ谷霊園について。


訪れたのは3月27日の正午前、仕事柄朝に退勤したあとだった。副都心線雑司ヶ谷駅を降り、歩いて10分弱ほどで霊園の入口に着いた。天気は曇り空、園内を歩く人もまばら。桜の木が風に靡かれる音がする程度でとても閑静な空間だ。
「そういえば月曜日の朝だ。そりゃ人いるわけないわ」桜があまりにも豪快に咲いていたので、しばらく目的を忘れてカメラに夢中になってしまった。

雑司ヶ谷霊園の入口付近。
園内は広大で10haあるという(東京ドーム4~5個分)。

実際に足を踏み入れるのは2回目だが、地図なしではあまりの広さに迷ってしまいそうになる。これほど大規模な霊園が都心に位置するものの、周辺は住宅街。隣には斎場もある。

雑司ヶ谷霊園の案内図。
法務省納骨堂は2-4を奥へ進んだ区立南池袋斎場の向かい側にある。

雑司ヶ谷霊園には一般の方に加え夏目漱石、泉鏡花、東條英機、羽仁五郎など名の知れた識者のお墓も点在している。羽仁五郎は、戦後に死刑反対を唱えた人物の1人。その後真っ向から死刑に反対し、社会を変えようとする大きな動きは見られない。

さて、2-4へと続く脇道を歩き木々に囲まれた墓石をいくつか通り抜ける。その先にあるのが法務省納骨堂だ。前回訪れたときはどこにあるのか案内してもらわなければ分からないと感じたが、迷うことなくたどり着いた。

広大な霊園の隅っこにひっそりと佇む。
入口は霊園側から見えないようになっている。

と、脇道に入った途端、突如「ウィーーン」と甲高い機械音が耳に鳴り響いた。それまで木のさえずりくらいしか聞こえなかったが、納骨堂の方から鳴っているようだ。次第に納骨堂へと運ぶ足が早くなり、身体に当たる草木に構うことなく歩を進めていく。トクントクンと心拍数が上がる。

納骨堂の外縁部を整備する男性。隣には「俱会一処」と刻まれた石碑。


驚いたことに、敷地内に人がいた。すぐに目があい、お互い怪訝そうに会釈を交わす。

男性はしゃがんだまま手袋を付けて地面を漁っていた。敷地内の草むしりをしているようだ。作業着姿で頭に白いタオルを巻きつけており、法務省の職員には見えない。 

何枚か写真を撮ったあと、男性に話しかけた。
「年に2回程度、こうして整備している。僕らは中に入らず外回りだけ」

本音をいえば、法務省の職員が来ている貴重な瞬間に立ち会えたと思ったがそこまでの運は持ち合わせていなかった。
納骨堂の入口の方にもう1人男性が立っており、高圧洗浄機で地面のコンクリートを清掃していた。作業に熱中していて私の存在に気づいていない。
敷地内の整備は法務省に委託されて行っており、彼ら以外にも木の伐採整備を請負っている事業者がいるとのことだった。確かに辺りの木々には伐採された形跡が見受けられた。

「中野刑務所所長」「中野刑務所宗教教誨師会」とある。
敷地内には他にも複数の石碑があるが外からは読めないものが多い。

納骨堂の周囲は古く錆びれたフェンスで囲まれており、一般の人は立入禁止。真っ白で殺風景な建造物の周りには石碑が点在しているが、フェンス越しでは文字すら読めないものがほとんどだ。
解読できた石には以下のように記されていた。

「昭和五四年三月二十一日建之 中野刑務所所長 中野刑務所宗教教誨師会」

戦前に設立された中野刑務所は1983年に閉鎖されている。特に治安維持法で逮捕された思想犯が多く収監されていた地。現在、跡地は中野平和の森公園として利用されている。かつて中野刑務所で亡くなった受刑者もここに眠っているということだろう。

教誨師は、死刑囚と顔を合わせることができる数少ない存在の一つだ。2018年には「教誨師」という映画が公開された。一体、人の生命を奪った者に対してどのような表情で言葉を選び、対話しているのだろうか。大変興味深い仕事ではあるものの、教誨師になるには宗教者としての道を選ぶしかない。

中野には、他にも戦前の重苦しい足跡がいくつか残っている。

中野駅北口から徒歩15分、東京警察病院の敷地内に設置されている石碑。

いま東京警察病院がある場所は、かつて軍のスパイ養成機関だった「陸軍中野学校」の跡地。私はドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(監督:三上智恵、大矢英代)を観て、初めて陸軍中野学校の存在と工作員の諜報活動の実態を知った。以降様々なドキュメンタリー映画を観てきたが、これほど衝撃を受けたドキュメンタリーは未だない。

入口の搬入車近くにあった道具箱。
箱の中に線香や香炭が見える。

少し脱線してしまったが、そもそも死刑囚の遺骨を国が管理するという法的根拠はあるのだろうかと、ふと思った。

刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成十七年法律第五十号)死体に関する措置 第百七十七条には下記のように記載されている。

「被収容者が死亡した場合において、その死体の埋葬又は火葬を行う者がないときは、墓地、埋葬等に関する法律(昭和二十三年法律第四十八号)第九条の規定にかかわらず、その埋葬又は火葬は、刑事施設の長が行うものとする」
2「前項に定めるもののほか、被収容者の死体に関する措置については、法務省令で定める。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=417AC0000000050

「その死体の埋葬又は火葬を行う者がないときは」とあるが、「他の条文に見られる「遺族等が」の記載はない。とはいえ、遺族が前提の話なのだろう。下記が法務省令・平成十八年法務省令第五十七号 刑事施設及び被収容者の処遇に関する規則)の該当部分。

(死体の埋葬等)
第九十四条 刑事施設の長が被収容者の死体の埋葬を行うときは、その死体は、刑事施設の長が管理し、又は使用する墓地の墳墓に埋葬するものとする。
2 刑事施設の長が被収容者の死体の火葬を行うときは、その焼骨は、刑事施設の長が管理し、又は使用する墓地の墳墓又は納骨堂に埋蔵し、又は収蔵するものとする。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=418M60000010057


遺族が引き取りを希望した場合を除き、引き取り手となるのは法務省というのも酷な話だ。
税金を使って管理し続けるというランニングコストや収容限度を考慮すると、負担は決して軽くはないだろう。

一方で、刑執行後も国に管理されるというのは個人的に厭悪の情を抱く。
もし私だったら、死後さえも国に管理されるなんて、本当にごめんだ。墓石はいらないから、自然豊かなところに置いてくれれば良い。
管理する国も、同様の思いではないか。

実際、死刑囚に限らず遺族が縁を切り遺骨を引き取らないケースは少なくないようだ。そうした場合、医療刑務所では焼香や火葬、遺骨の管理から埋葬まで刑務所が行っているという。(埋葬といっても自治体の運営する無縁墓地に合葬)

死刑囚の墓石や遺骨を安全に管理することができるというのは、国が管理する上でのメリットであろう。死刑囚のお墓を誰でも自由に訪れることができたなら、例えば被害者遺族や不特定者による破損行為の可能性も捨てきれない。プチ観光地化する恐れもあろう。

一生懸命撮っていたのにピンボケしてました。

とはいえ、もし遺族が考えを改めて遺骨を回収したいと希望した場合やお墓参りをしたいという友人・関係者がいる場合の対応力は脆弱だ。合葬の場合、もはやどれが誰の遺骨か判別不可能だろう。

こうして家族や社会から縁を切られた死刑囚は、刑の執行後も寄り添われることなく管理されたままだ。

当然のことながら、殺人という罪は絶対に許すわけにはいかない。
それでも、受刑者にも人権があり同じ世界で生きてきたということを忘れたくない。彼・彼女の存在自体を否定したくない。
なぜ誤った道を選んでしまったのかという素朴な疑問すら、考えなくなってしまうのではないか。それがこわい。

お葬式で参列者が故人に一方的に語り続けたり、お墓という名のコンクリート石に向かって初めて本音を吐露する権利が、死刑囚の場合には存在しないというのはいかがなものか。
利点もあるが、国が永遠に管理していくという点については議論の余地があると思う。

とはいえそもそも、身寄りのない受刑者の行き先を知る人さえ少ないというのが現状だ。死刑を執行したというテロップがテレビに流れるとき、どういった過程で刑が執行されるのか、想像するだけでいくつもの問いが生まれる。

法務大臣がハンコを押すとき、当人に執行が通知されるとき、刑務官がボタンを押すとき、そしてその後。各タイミングで疑問は尽きず不透明なことの方が膨大ではあるが、それがこの国の「極刑」=「死刑」の実態なのだ。

死刑という存在の是非について議論すら生まれにくいこの国で、少しでもこの記事が考える材料になってくれればありがたい。


<参考資料>

雑司ヶ谷霊園ホームページ
https://www.tokyo-park.or.jp/reien/park/index071.html

【老いゆく刑務所】(3)塀の中の医療
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20160923-00062077

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