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エストニア映画史概略(1896-)

最近個人的にブームなのがエストニア映画である。といってもライナル・サルネノベンバーとGrigori KromanovThe Last Relicしか観てないのだが、ソ連映画とも他の国の映画とも違った独特の雰囲気を纏っているのだ。この二つが特殊ということも大いに有り得るが、エストニア映画史をざっくり調べる動機には足りている。今回はそんな分量もないので単発でざっくりご紹介しようと思う。

・1896~1911

この時代、エストニアは帝政ロシアの一部だったため、"活動写真"という新技術は登場からすぐに到着した。1896年のタリンで初めて上映された映画はエジソンのキネトスコープであり、リュミエール兄弟の装置が届いたのは翌年になってからだった。それからというもの、他の欧州諸国と同様に地方からの出稼ぎ労働者が休暇に訪れる場所として人気となった。最初の劇場が出来たのは1908年で、大都市の映画館では自前のオーケストラにビュッフェやテラスまであったという。また、最初の国産映画は1908年にスウェーデン国王グスタフ5世がタリンを訪れたときのニュースリールだった。

・1912~1918

エストニアで最初に作られたドキュメンタリーは1912年に写真家Johannes Pääsukeが製作した『Utotškini lendamised Tartu kohal (Utochkin's flights above Tartu)』であり、彼は短編ドキュメンタリーを幾つか製作した後、初の短編劇映画『Karujaht Pärnumaal (Bear Hunt in the Pärnu County)』(1914)も製作している。また、Pääsukeはエストニア初となるスタジオ"Estonia Film Tartus"を設立し、自然風景についての短編や写真をエストニア国立美術館に収めていた。現在では8本の作品がアーカイブに残されている。

・1918~1940

エストニアは1918年に独立を宣言した。初の長編映画は1924年にKonstantin Märskaが自身のスタジオ"Konstantin Märska Filmiproduktsioon"で製作した『Mineviku varjud (Shadow of the Past)』だった。彼の作品では『Vigased pruudid』(1929)と『Jüri Rumm』(1929)が現存している。しかし、何本か長編劇映画は製作されたものの、市場の小ささから断念され、以降はアメリカやドイツの映画を輸入して上映されることになる。ニュースリールだけはコンスタントに作られていた。また、芸術分野では初めて検閲が導入された。

TheodorとAksella Luts夫妻の設立した"Theodor Lutsu Filmiproduktsioon"では長編ドキュメンタリーを中心に製作された。Theodor Lutsの『Noored kotkad (Young Eagles)』(1927)はエストニア映画史の中でも最重要作品と見なされている。彼はソ連統治時代以前で唯一のエストニア語オンリーの長編映画、フィンランドとの合作となった『Päikese lapsed』(1932)の監督を務めたことでも有名である。彼は同作以降はフィンランドに移住して映画監督業を続け、一生帰ることはなかった。

初めて上映されたトーキー映画はハンガリーと同じくアメリカから輸入された『The Singing Fool』で、1929年のことだった。

1930年代初頭に世界恐慌がエストニアを襲って以降、それに耐えて生き残ったスタジオのうち一番大きかったのは文化省の設立した"Eesti Kultuurfilm"だった。ここでも主にドキュメンタリーを製作しており、当時のドイツ映画のように田舎の生活や生活状況を幸福感に包んで送るような映画製作を主導していた。また、1931年に初めてアニメ映画『Kutsu-Juku seiklusi (Adventures of Juku the Dog)』(1931)が製作された。

また、ジュリアン・デュヴィヴィエ『グレート・ワルツ』に出演したミリザ・コルジャスはエストニア人オペラ歌手らしい。同作でアカデミー助演男優賞にノミネートされており、ハリウッドで成功したエストニア人の数少ない一人のようだ。

・1940~1953

1940年、エストニアはソ連に占領される。そのため、映画の製作・配給は中央集権化され、エストニアの映画館はソ連のプロパガンダ映画で溢れかえった。"Eesti Kultuurfilm"は共産党に解体され、"Kinokroonika Eesti Stuudio"と名前を変えた。その後、1941~1944年の期間はドイツに占領されるも再びソ連に占領され、エストニアは完全にソ連の一部となった。1947年には"Tallinna Kinostuudio"と名前を変えて、より中央集権化が進んだ。

この期間のエストニア映画は、オーストリア人移民のGerbert Rappaportが撮った『Elu tsitadellis (Life in the Citadel)』(1947)と『Valgus Koordis (Light in Koordi)』(1951)のみである。後者は初のカラー長編映画だった。

・1953~1991

1953年にスターリンが亡くなった後、フルシチョフ期の文化的な"雪解け"時代を迎える。映画製作者たちは自由を謳歌し、ソビエト国家映画製作委員会(Goskino)は資金を提供し、文化省のGlavlitとCPSUが公開する映画の検閲を担当した。"Tallinna Kinostuudio"は1954年に"Kunstiliste ja Kroonikafilmide Tallinna Kinostuudio"と名前を変えて劇映画やパペットアニメ映画の製作を再開・開始した。1963年には"Tallinfilm"と再び名前を変える。ニュースリールだけは地元の政府機関に一任されていた。

この時代の初頭からキャリアを始めた監督にKaljo Kiiskがいる。彼は1957年の『June Days (Juunikuu päevad)』で監督デビュー以降2006年まで監督や俳優として活動した。中でも『Dangerous Curves (Ohtlikud kurvid)』(1959)はキノパノラマで撮影された最初の映画となった。

1960年代になると、エストニア映画界には映画を学んだ若手が数的にもその美的感覚でも臨界量に到達し、自分の世界を構築し始めた。それが結実したのがEduard Bornhöheの『ガブリエル侯、或いはピリタ修道院の最期』を映画化したGrigori KromanovのViimne reliikvia (The Last Relic)(1969)だった。総計4500万人近くの観客が同作を劇場で観たという記録を打ち立てた伝説のエストニア映画となり、一部の批評家からは最初で唯一のカルト映画とも言われている。世界60カ国以上で上映され、国際的にも成功を収めた。また、Oskar Lutsの人気小説を映画化したArvo Kruusementの『Kevade (Spring)』(1969)もこの時代を代表する映画であり、下記20世紀エストニア映画のベスト10では1位に選出されている。

70年代後半から80年代に入るとGrigori Kromanov『The Dead Mountaineer Hotel (Hukkunud Alpinisti hotell)』(1979)やKaljo Kiiskの『Nipernaadi』(1983)などが興行的に成功した作品として知られている。

傑出した女性監督Leida Laiusもこの頃キャリアを始め、『Kõrboja peremees』(1979)や『Naerata ometi』(1985)で世界的にも有名になった。特に後者はベルリン国際映画祭でUNICEF賞を受賞している。また、この頃の作品として
・Peeter Simm『Ideaalmaastik (The Ideal Landscape)』(1980)
・Peeter Urbla『Ma pole turist, ma elan siin (I'm Not a Tourist, I'm Living Here)』(1988)
・Jaan Kolgerg『See kadunud tee (The Lost Way)』(1990)
・Jaan Kolgerg『Võlausaldajad (Creditors)』(1992)
などがある。

ソ連時代の有名な俳優としてはRein ArenやJüri Järvet、Leonhard Merzinなどがいる。Rein Arenはグリゴーリ・コージンツェフ『ハムレット』やBoris Durov『Pirates of 20th Century』などに出演、Jüri Järvetはアンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』やグリゴーリ・コージンツェフ『リア王』などに出演、Leonhard MerzinはArvo Kruusement『Kevade (Spring)』やグリゴーリ・コージンツェフ『リア王』などに出演してる。

・1991年以降

ソ連が崩壊してエストニアが独立を勝ち取った後、映画製作のための資金が高騰し、1990年代は急速に衰退していった。1996年には劇映画は一本も製作されず、二本のドキュメンタリー映画『Lipule... güüsile... valvel!』と『Turvalisuse illusioon』が製作されたに留まった。

1997年に文化省がエストニア映画基金を設立し、ソ連の革命をパロディにしたHardi Volmerの『Minu Leninid (All My Lenins)』を製作したことが一つのターニングポイントとなった。翌年、製作された二本の劇映画のうち、Sulev Keedusの『Georgica (Georgica)』はストックホルム国際映画祭で国際批評家連盟賞を、Prix Europeでは特別賞を受賞した。

以降は諸外国との共同制作作品が増えていくようになった。例えば、Peeter Simmの『Head käed (Good Hands)』(2001)はラトヴィアとの共同制作で、ベルリン国際映画祭でマンフレード・ザルツゲーベル賞を受賞した。ドイツ・ロシア・チェコと共同制作したArvo Ihoの『Karu süda (Hart of the Bear)』(2001)はヨーロッパ映画賞では作品賞にノミネートされ、モスクワ国際映画祭ではコンペティション部門に選出された。

最も興行的に成功した映画はElmo Nüganenの戦争映画『Nimed marmortahvlil (Names in Marble)』(2002)とRando Pettaiのコメディ映画『Vanad ja kobedad saavad jalad alla (Made in Estonia)』(2003)である。特に後者は国内で『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を上回る記録を打ち立てた。

2004年、若き二人の監督Jaak KilmiとRené Reinumägiの『Sigade revolutsioon (Revolution of Pigs)』はモスクワ国際映画祭でコンペティション部門に選出され、審査員特別賞を受賞した。

2007年、エストニアでは10本の長編映画が製作された。その中でも最も注目されたのがVeiko Õunpuuの『Sügisball』だった。同作はテサロニキ映画祭とブラチスラヴァ映画祭で監督賞、ヴェネツィア国際映画祭でオリゾンティ部門に選出された。

現在も毎年10本程度の新作長編映画が製作されている。

・批評家選出ベスト10

2002年にエストニアの批評家とジャーナリストが出した20世紀(1912~2002)ベスト10はこちら。

1. 『Spring (Kevade)』Arvo Kruusement
2. 『Madness (Hullumeelsus)』Kaljo Kiisk
3. 『The Ideal Landscape (Ideaalmaastik)』Peeter Simm
4. The Last Relic (Viimne reliikvia)Grigori Kromanov
5. 『Georgica (Georgica)』Sulev Keedus
6. 『Happy-Go-Lucky (Nipernaadi)』Kaljo Kiisk
7. 『The Dead Mountaineer Hotel (Hukkunud Alpinisti hotell)』Grigori Kromanov
Arvo Iho
9. 『The Misadventures of the New Satan
(Põrgupõhja uus Vanapagan)』Jüri Müür and Grigori Kromanov
10. 『Nest in the Winds (Tuulte pesa)』Olav Neuland

また、2011年に出された独立以降の期間(1991~2011)のベスト10はこちら。

1. 『Autumn Ball (Sügisball)』Veiko Õunpuu
2. 『1895 (1895)』Priit Pärn and Janno Põldma
3. 『Georgica (Georgica)』Sulev Keedus
3. 『Somnambulance (Somnambuul)』Sulev Keedus
5. 『In Paradisum (In Paradisum)』Sulev Keedus
5. 『Jonathan from Australia (Jonathan Austraaliast)』Sulev Keedus
8. 『Disco and Atomic War (Disko ja tuumasõda)』Jaak Kilmi
8. 『Lotte from Gadgetville and the Lotte series (Leiutajateküla Lotte/Lotte sari)』Heiki Ernits and Janno Põldma
10. 『Sky Song (Taevalaul)』Mati Kütt

・終わりに

ハンガリー映画に比べて圧倒的に資料が不足しているので、現代に近付くほどちょっと適当になってるが、どうかお気になさらず。

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