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カレル・カヒーニャ『ウィーンへの馬車』愛と赦しを乗せた馬車は目的地まで辿り着けない

めちゃくちゃ面白い。撮影が完了する前に当局から上映禁止とされたらしく、1966年に一度だけ上映された後、政権が崩壊する1989年まで封印されたカレル・カヒーニャの円熟期を代表する作品。"ナチは末端でもナチなのか"という戦後の欧州における一つの大きなテーマを、言語を超えた緊迫の密室劇として展開する。カヒーニャ、ハズレ無しだな。

二次大戦期のチェコの農村にて。夫を絞首刑にされたその日、ナチスの別の小隊に負傷兵ギュンターの運搬を頼まれた未亡人クリスタ。負傷兵とは別の少年くらいの若い兵士ハンスがそれに付き添って、三人を乗せた馬車が、薄暗い森の中を走り続ける。馬車にはクリスタしか知らない場所に斧が隠してあるのだが、相手は男二人だし、銃二挺にナイフ一つある兵士たちには敵わない。それを一つづつ武装解除していく。棄てたものから馬車を仰ぎ見るショットが反則的にカッコいい。

クリスタの目線を追った緊張感溢れるショットの連続で、サスペンスとしても優れている上に、チェコ人とオーストリア人なので全く言葉が通じないところから、映画全体が言語を超えた魅力を放っている。会話なんて双方が理解していないから分からなくても問題ない。加えて、音のしない森で逃げるクリスタを遠くから追うショットが、どうしてもヤン・ニェメツの『夜のダイヤモンド』のロングショット版にしか見えなくて素晴らしかった。画一的で所狭しと並んだ枝のない木々の合間から延々と向こうまで見渡せる森の絶望感も素晴らしい。

終戦の鐘が響き渡り、ハンスはナチスの腕章を外す。これで勝手に和解したしもりのハンスは両親や自宅の写真を見せたり、ドイツマルク紙幣や金時計をあげてクリスタとの融和を図ろうとするが、彼女はそんなことお構いなしに黙りこくっており、斧を近くに移動させ、コンパスも棄て去る。着実に殺しにかかっている一連の動作には無駄なショットが一切ない。

しかし、そうした行為がバレてしまってクリスタは置いていかれるが、必死に先回りして馬車を取り戻そうとする。それに対してハンスも同情というか年上の彼女に母親の面影を重ねたのか、家に帰れ!とは言うものの強硬的なギュンターへのパフォーマンスにしか見えない。ギュンターが亡くなった後、二人は再び出会う。しかし、武器を奪われたハンスは抵抗せず、逃げようともしない。ここらへんの描写は、ナチスに夫を殺されたその日のクリスタが、ナチへの恨みを若き青年の罪として変換しなかったのが非常によく分かる。二人の距離が微妙に近づきつつ離れつつ、最後には抱き合うまでに至る過程は、短いのに丁寧だった。

そして、問題の強烈なエンディングである。ハンスとクリスタが寝ている(恐らくそういう意味でも)と、パルチザンの残党に出くわし、彼らはハンスを殺してクリスタをレイプするのだ。映画的には蛇足なのかもしれないが、本質的にはカヒーニャの主張はコチラにあるのかもしれない。マルセル・オフュルスが『哀しみと憐れみ』で暴露した"レジスタンス神話"の破壊なんだろう。彼らだって、場合によっては一端のナチ兵士よりも野蛮なことをやっていたことを、白日の下にさらけ出したのだ。

"ナチは末端でもナチなのか"。彼らの罪は誰にまで問えばいいのか。永遠に解決しない問題に対して、カヒーニャは彼なりの答えを出した。

・作品データ

原題:Kocár do Vídne
上映時間:78分
監督:Karel Kachyna
公開:1966年11月11日(チェコスロバキア)

・評価:98点

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