悪童日記

サース・ヤーノシュ『悪童日記』 土地と人間たちの寓話、或いはハンガリー近代史

2013年のアカデミー外国映画賞ハンガリー代表。ここのところ連続で6年分くらい日本公開されているのは嬉しいところだ。ハンガリーから亡命した女性作家アゴタ・クリストフの同名小説を原作としたサース・ヤーノシュの長編五作目。ナチス及びソ連時代のハンガリーを描いているのは明白だが、固有名詞には一切言及せず、力強い寓話になっている。

名前も明かされない双子の兄弟、という設定はおそらくは同一人物であったものの瓜二つのコピーを作ることで、一人では出来ないこと(肉体強化の殴り合い、老婆の運搬、仕事の分担、文字及び会話の習得など)を可能にする寓意がある。そこにもう一つ、双子がそれぞれ土地と人間を象徴しているんだろう。肉体と精神の強化=外部から与えられる刺激に鈍感になることによってナチス時代を生き抜いた双子が、"痛みには慣れたが、引き離されるのが一番つらい"と語るように、どんな状況に追い込まれても、傍から見れば"亡命すればいいじゃん"とか思ってしまうような安直な考えを完全に否定する強いメッセージなんだろう。どんな状況になろうとも、自分の土地から離れることの方が辛いのだ。これはジアド・ドゥエイリ『西ベイルート』でも、主人公の父親がレバノンから亡命するか否かを迫られた時、"アメリカは安全かもしれないが、尊厳はそこにない"という感情にも似ているかもしれない。

彼らの周りにいる人物たちも興味深い。ドイツ統治時代にドイツ人との子供を作って、双子たちに拒絶されて爆死する母親。ドイツのために戦ってソ連に追われ、亡命に失敗して爆死する父親。ハンガリーの田舎の厳しい伝統を象徴しつつ、時代と共に緩やかに死に行き、生き残った者が涙ながらに殺さざるを得なかった老婆。早い段階から進駐し、好き放題して去っていったナチス将校。強かに生き延びたのにソ連を信じたせいで死ぬことになった少女。死を予見したのか靴を託すユダヤ人の老人。ナチスに加担した宗教者。など、過激なシンボリズムに満ちている。

ただ、本作品は映画である。映画的な面白さはあったのだろうか。確かに、"私が死ねばよかった→死にたいの?→炎上する家"や"女房は?→墓を掘り返す父親"のような二コマ漫画的なカット繋ぎは面白かった。しかし、原作では双子が区別されないという素晴らしいポイントがあるのに、それが映画になって失われてしまったという点。そして、物語ることに終止して映像が美しくはなかった点で、あまり評価する気にはなっていない。

結局は二人はあっけなく別れる。映画的にも物語的にも、あまりにも味気ない別れなのだが、これこそが本作品の(というか原作小説の)真髄なのである。絶対に離れたくないのに、離れざるを得ない状況が作られてしまったのだ。作者のアゴタがハンガリーを去ったのは1956年であり、正にソ連の支配に対する苦しみが如実に現れた頃でもあった。双子が柵から離れるとき、互いに顔を見なかったように、亡命した人々も慣れ親しんだ自分の土地をあっけなく棄てざるを得なかったのだろう。

・作品データ

原題:A nagy füzet
上映時間:112分
監督:Szász János
公開:2013年9月19日(ハンガリー)

・評価:71点

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