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ボー・バーナム『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』利便性は人間性を破壊する、これに対する模範解答は…?

またもA24から登場した青春映画の大傑作。私の世代は子供の頃にスマホがない最後の世代だ。これは不運続きの私の人生で最も幸福なことの一つだと言えるだろう、と私の家に来てもスマホを片手にゲームやらLINEやらをやっている甥っ子(小6)を見てつくづく思う。非線形天邪鬼な人間からすれば流行に乗らないと人間関係が破綻してしまうような流動的な友人関係など耐えられないし、グループラインに即既読を付けるとか"いいね"と思ってもないことに"いいね"を押すなんて死んでもやりたくない。とは言えこれが時代の流れなのだから逆らうにも限界があるし、私だって乃木坂卒業生のインスタが見たいから躊躇っていたInstagramの流れに流されるように乗ってしまった。特に日本人は"個性"を殺す方向に動きがちなので(別に非線形天邪鬼が"個性"であるとは思えないが)Instagramやってないと人間じゃない、原宿でクレープ食べないと人間じゃないという"流れ"を作り出して、どうでもいいテレビ番組で垂れ流しているわけだ。生き辛い世の中である。いや、天邪鬼はいつの世も生き辛いのさ。

本作品の主人公ケイラは誰も見てないYoutubeのチャンネルに動画をあげてインスタで写真を撮ってTwitterで有名人のtweetを確認する典型的な中学生であり、彼女のすべての人生がスマホの中で完結している。だからこそスマホを握るネイルはボロボロであり、カメラの前では饒舌でも他人の前では口ごもる。利便性は人間性を破壊するのだ。やがて彼女がスマホから一歩離れる時に、彼女は偶発的でありながらスマホを投げ捨てて画面を破壊する。割れた画面を触って血が出るシーンなんかは本作品を代表する"利便性‟と‟人間性‟の対決を示した名シーンである。
物語は進み、高校の"シャドウイング"つまり体験ツアーに参加したケイラは担当の上級生オリヴィアと親しくなるが、勿論接点など見つかるはずもなく互いに"いいね(Cool)"とだけ言って無限に時間が過ぎていく。

ケイラを演じるのはエルシー・フィッシャーという女優だが、顔中のニキビや美醜の狭間に立ってる感じ、絶妙な肉の付き方が妙にリアルで感心してしまった。モゴモゴ喋る感じはまさしく"マンブルコア"という感じがしてよろしい。また、異性の片親というのは最早"簡単な意思疎通が叶わないこと"のテンプレのようになってしまっているが、本作品では旨く機能していたように思える。この絶妙に冴えてんのか冴えてないのかの狭間にいるような父親が素晴らしい説得力を持っていて、どちらかに振り切れていない"リアルさ"という普遍性がある。やっぱりあの親父にあんなこと言われたら私だって泣くだろうし、実際電車で見ていて少しホロっと来た。

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ラストは「スウィート17モンスター」みたいな慌てた繋ぎ方をしようとするが、バーナムも冷静になったのか普通に終わらせる。ケイラは18歳になっても同じ様な人生を送ってそうだが、決定的に異なるのはある種の"諦め"を得たことだろう。ザジ曰く"大人になったわ"。

最近簡単に感情がサチってしまって困る。ついに感受性がイカれたか?と思ったが、私だってケイラのスマホが映画に代わっただけのガチ陰キャだったし、天邪鬼だから友人も話題も増えない。自分の分身を見ているようで中々ハードだった。私がアメリカの中学に行ったならどうなっていただろうか。アフリカの大地なんかよりもよっぽど弱肉強食であるあの世界で、私は生き延びられる気がしない。

利便性を突き詰めた先に待っている人間性の崩落に対して"諦念"で返す。バーナムによるSNSの受容はまるで私の答えであるかのように、世界に解き放たれたのだ。

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・作品データ

原題:Eighth Grade
上映時間:93分
監督:ボー・バーナム(Bo Burnham)
公開:2018年8月3日(アメリカ)

・評価:100点

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