見出し画像

雪山通学の闘い


窓の外を見ると、モッサモサの雪が降り続いています。こんな日はまったくもって、ミジンコ程度も外に出る気になりません。絶対に御免こうむります。私が住んでいる地域は、雪が多く降るところです。

子どもの頃は雪が降れば純粋にはしゃいでいたものですが、早朝からせっせと雪かきをする大人たちの、死んだような目が視界に入るほどの背丈に成長してからは、いつしか雪は「厄介で疎ましいもの」という認識に変わってしまいました。外に繰り出すたび、「やっぱここ、人の住むところじゃねえ!!」と心の中で文句を垂れてしまうのも、今や冬の醍醐味です。

しかしそうは言っても、どうしても険しい雪道を歩かなければしょうがないということも、人生にはあります。こんな日には、高校生時代の冬の山登り……もとい、雪山通学の思い出でも語ろうかなと思いました。


雪山通学は毎日が闘い


雪山登校は気が重い


私が通っていた高校は、山の上にありました。いや、山の上と言うと大袈裟かもしれません。近辺に住んでいる住人は普通にいましたし、ライフラインも普通に整っていました。ただ、他の高校と比較したら、たどり着くまでに坂道が多かったのは確かです。
そして、学校までの道は入り組んでいました。当時の地理の先生は、「招いた来客が『学校は見えてるんですけど、全然たどり着けないんです』と困り果てて電話をかけてきた」とかいうエピソードを、笑い話として話していたくらいです。

そんな高校に通っていた私たちは、毎日登校するため、当然ですが坂道を登って行かなければなりませんでした。毎日がちょっとしたハイキングです。学校の最寄駅は2つありました。私の家からは、より坂道が急なルートをとるA駅の方が近かったため、毎日自宅の最寄駅からA駅まで電車に乗り、A駅から急な坂道の通学路を歩いて学校へ行きました。

急な坂の通学路はただ歩くだけでも結構大変なのですが、マジで一番ヤバイのは冬です。
雪が大量に降り積もれば最悪で、そのうえ道が凍るほどに寒ければ超超超最悪です。こんな日には、「今日は無事に学校に辿り着けるだろうか……」と猛烈に憂鬱な朝を迎えます。
しかし雪がヤベェというだけで学校を休むのは甘えという風潮もあり(雪国あるあるなのか?)、「電車止まるよな?さすがに今日は電車止まるよな?」といつも学校の欠席理由を電車に責任転嫁できることを願っていました。しかし、残念ながら雪国の電車はいつも頑張っていました。多少の積雪では止まりません。心の中で「馬鹿野郎、無茶しやがって……」と、口は悪いが根は優しいライバルキャラのような台詞を吐き捨てながら、渋々学校に向かいます。

A駅は無人の小さな駅でした。しかし、私と同じ高校に通う生徒たちは、大体私と同じくらいの時刻で電車に乗り、ぞろぞろとA駅で降車します。朝の時間で大体30〜40人くらいでしょうか。
この駅で降りる人のほとんど全員が、同じ目的地を目指します。こんな雪の深い日に登校したくないのは、皆同じはずです。我々は……仲間だ。
小さな勇気を胸に、私は白目をむきながら顔を上げます。

さあ、雪山登校サバイバルの開始よ!!


戦々恐々!雪道アトラクション!


ぞろぞろと降車した30〜40人は、学年や性別はバラバラでも、大体が見知った顔です。A駅は車線が一本で、田舎で電車の本数も多くない為、同じ時間の電車に乗る生徒は、大体同じ顔ぶれだからです。そして、学校までに通る道のルートもほぼ全員が同じです。

駅を離れると、集団はそれぞれの歩幅で慎重に進みます。
程なくして見えてくるのは、最初の関門となる、車道の広い坂道です。


①冷水ビチャビチャ地獄

ここの坂道は、ぶっちゃけかなり緩やかめです。ですので、登る苦労という点については、大したことはありません。
ではこの道で気をつけなければならないのは何かというと、……水跳ね!
水跳ねです!!

我々の住んでいるような雪深い地域には、道路に「消雪パイプ」というものがあります。簡単に説明すると、道路(主に歩道の脇)に等間隔に穴が開いており、積雪があるとココから水が吹き出て、雪を溶かします。
凍った道の上で車が滑ったり、降り積もった雪で動かせなくなるのを防ぐ為の設備というわけですね。これがあると、雪国の冬は大助かりです。この通りでは、その消雪パイプが至る所で稼働し水を吹き出しています。


そんな雪国の味方・消雪パイプですが、少し困ったところもあります。

我々は、消雪パイプの位置……つまり、地面から水の吹き出る位置を確認しながら歩きます。気をつけないと、冷水が直に体にかかり、ビショビショになってしまうからです。冷水で濡れた状態で外を歩くと極寒です。しかもかかった水のせいで体が錆臭くなってもう、いいことありません。悲しくなります。

今回は登校の風景を語っていますが、特に夜道の消雪パイプは、歩行者にとってよりいっそうキケンです。
夜道で足元がよく見えない状態で、それだけでも被弾を避けるのが難しいのですが……そのうえ、明らかに吹き出し方おかしいだろという消雪パイプが、所々存在するのです。
他の消雪パイプはチョロチョロと控えめに水を放出しているのに、一個だけ元気が良すぎる消雪パイプバビューーーン!!と水を吹き出していて、不意を打たれ全身が冷水まみれになることも少なくありません。

話を戻しますが、この道での難関は「消雪パイプの水がかかること」だけではありません。
大量の積雪の翌日、消雪パイプによってビチャビチャになった雪が、車道脇〜歩道を覆っています。歩みを進めるものの、この溶けかけ雪のビチャビチャに足をとられ、なかなか前に進むことができません。

そして、車道では朝から車が行き交います。おそらく、これが一番厄介なのですが……ある程度のスピードが出ている車が私たちの脇を通ったとき、バッシャァァ!!と、ビチャビチャの水が襲いかかります。これが本当に!!!テンション下がります!!!歩いている位置が悪いと避けようがありません!トラックなどの大型車が通るときは、めちゃめちゃ警戒せねばなりません。

かくして、この道を通るとときどき、冷水をモロに浴びてしまったJKの悲鳴が響き渡ります。皆ぞろぞろと登校しているので、一団の生徒たちはその声を聞くや否や、友達同士で「あ〜あ……(どうやらやっちまったようだな)」と苦笑いの表情に浮かべ、目配せをし合うのです。
日常風景です。


②細道階段転げ地獄


A駅からの登校集団は皆、いつも変な道を通学路にしています。
どんな道かというと、人ん家と人ん家の間です。

もうちょっと丁寧に説明しますと、他人の畑とかがある敷地と敷地の間、ここにほっそく敷かれている通り道を通って、学校へ向かいます。道には起伏があり、途中で3段とか4段とかの階段も敷かれています。山の起伏に合わせてのことでしょう。
他に大きな道を通るルートも無くはないのですが、ここを突っ切っていくのが最短ルートです。なので、人ん家の間とかお構いなく、30〜40人で細道をぞろぞろと歩きます。

道が細いので、ここを通る時には基本的に、一列を成します。一列じゃないと通れません。
そして、当然かもしれませんがこの道は除雪がされていません。除雪車が入れる幅はとてもないし、そもそも人ん家の間です。道じゃありません。しかし、いつも我が校の生徒はここを通り道にしているため、除雪などしなくても歩いて踏み固まった雪の上が道になります。雪が降りたてでも、前の人が踏んだ雪の上を狙って踏んで行けば、大体切り抜けられるのです。

さて、先ほど通った道は水跳ねとの闘いでした。
そして次なるこの道は、コケるかコケないかの難関となります。つまるところ、ものすごく!!転びやすい道なのです!!

先ほど説明したように、この細道は歩いて踏み固まった雪の上を歩いていくことになります。すぐに溶けてくれれば良いのですが、そうでなければ人が通るほどドンドンと雪が踏み固まり、地表で凍り付いて溶けにくくなります。
そして、特に豪雪の年……降っては積もり降っては積もり、というサイクルに入ってしまったが最後、この道は地獄中の地獄と化します。
なぜなら、踏み固まった道の上に新たな雪が積もると、新雪に覆われた下の層が、凍りつきツルッツルになった状態で残り続けるからです。「ここはフカフカだから、踏んでヨシ!」と無警戒に歩こうとすると、スッテーン!!と転びます。どこがツルツルか、見た目じゃわかりません。雪道地雷原です。
この地獄は、最下層のツルツルが溶けきる頃まで続きます。上の方がちょっと溶けたからって、下にはツルツルが残っているので、いつまでも安心して歩けないのです。ああ、恐ろしや……。

道がツルツルなだけなら、まだいい方です。ここには、我々が最も恐れている危険地帯……階段があります。

階段は先に書いたように、段数はあるポイントにせいぜい3段とか4段とかです。長い闘いではありません。例えば山間の神社に向かう途中にあるような、コンクリート固めの、なんてことない階段です。
ほっ!ほっ!ほっ!と軽快に降りていけばあっという間に抜けられるのですが……悩ましいことに、冬季になると、この階段がものすごく滑る日があるのです。手作り感ある山間のこの階段に、手すりはありません。
たとえ見た目で氷が張っているようにみえなくても、転ばないように慎重にいこうと思っていても、それでもズルンッ!!といってしまうことがあります。ここで転んでしまった人を、「注意不足」などと揶揄することはとてもできません……「不運」です。だって、気をつけてても転ぶんだもの。
そんな危険極まりないこの階段を、私たち一団は一列に並び、一人ずつ越えてゆくのです。

友達連れで登校をしている人は、仮にコケてもまだ救われます。前か後ろにいる友達が、コケたときに爆笑してくれたなら、恥ずかしさも少しは緩和されるものですから!
ただし、一人で登校しているときには、コケると非常に気まずい思いをします。前後に他人がいる状態で無言でコケて、無言で立ち上がり、後ろがつっかえていることを申し訳なく思いつつ、前方と開いた距離を埋めるようそそくさと足早にその場を離れようとする、この……気まずさ……穴があったら入りたい!!耐え難い!!

当時の私は、大体友達と一緒に登校していました。なので、ありがたいことに、あまりこういう気まずさを経験せずに済みました。ただ、高校三年生になる頃には、受験勉強の為に登校時間を変える者も多くなりました。私の場合も友達とタイムスケジュールが合わなくなったので、一緒に登校できる日が少なくなってしまったのです。そのため、特に高校三年生の冬は、この道は実に恐ろしい道でした。

高校三年生のときにこの道の恐ろしさが増すのには、他にも理由があります。その理由は……受験期の高3にとって、「スベる、転ぶ」などが縁起悪いからです!
ちょうどこの冬の時期は、センター試験を控えていたりして、三年生は皆ピリピリしていました。この大事な時期……今後の人生が決まるといっても過言ではないこの時期に、こんなところでスベって転ぶわけにはいかないのです!!

そして、同時に高3には、プライドというものがありました。
今年初めてこの恐ろしい道を通学する一年生が、「チョ、えっ!?道ヤバ〜イ!!無理なんだけど!!」と叫び慄いている姿を尻目に、(こんな道、恐るほどのものではない……ほら、ついてきてごらんなさい。)と、先陣を切ってデカイ背中を見せていくことは、先輩の大切な役目でした。

(何をそんなにビビって……いやぁまったく若いね、数年前の私を見ているようだ。去年の雪はこれよりすごかったよ。そんなんじゃ、ウチの学校で冬を超えられないね。ほら、足元をよく見て、シャキッとしなさい……)

受験勉強で溜まったストレスの発散に困った三年生は、心の内でこのように下級生に精神的マウントをとることで、自我を保つのです。その為、後輩の前でカッコ悪く大コケするなんてことはできないのです。三年目のプライドです。

でも、忘れちゃいけないのですが、このエリアは気をつけてても転ぶ時は転ぶ。(プライドが崩れ落ちる音)


③急斜登り坂駆け上がり地獄


ここまできたら、学校がもう見えています!あと少しで到着!!
……なのですが、ここに最後の関門、登り坂があります。坂は厳密に言うと2つあります。
1つ目の坂は、それはもう、急斜面も急斜面の登り坂です。どれくらい急かというと、遠方から見たら、壁のように見えるほどです。

私たちが降車したA駅からの登校ではなく、もう一つのB駅からの登校の場合も、どっちにしろ坂を登る必要があります。ですが、B駅からのルートは坂の距離が長めな代わりに、斜面はそこまで急ではありません。
しかし、A駅から通るこの急斜面は、距離が短い代わりにめちゃくちゃ急です。冬じゃなくてもこの坂は登るだけでキツく、私のような貧弱な肉体を持つ者は、坂を登り切ると息切れします。短い坂なのに……。
ここにプラスして路面が凍っているか雪が積もっているときたら、もう明らかにしんどいこと、想像に容易いでしょう。

しかし幸い、この坂道は結構道幅が広いです。
全体を見て、凍ってなさそうなところ、踏んでもよさそうなところを選んで歩みを進めます。
ここは「オラァア!」と、気合を入れて一歩を踏み締めるのがコツです。踏ん張りを利かせられるかどうかが、生死を分けるからです。②の階段と違い、通るポイントを見誤らなければ、変な転び方をすることはあまりないと思います。滑り止めがついている丈夫な長靴などで登るとよいでしょう。

今をときめく高校生としては、やはりキャワなブーツなどを履いて登校したいところですが、初めはキャワなブーツを履いて登校していた一年生も、登校の過酷さを理解すると徐々に長靴装備者が増えていきます。皆、日々の戦いの中で、戦闘用の最強装備を模索し始めるのです。

勢いで上り切ると、学校の裏門に続く最後の坂が見えます。ここも気合を入れて、同じように上ります。
先ほどの坂と比べれば大したことのない坂ではありますが、ちょっとした上りの注意点はあるので、図を描いてみました。


緩やかにカーブして登るとよいよ!って図

このように、奥の壁際に沿って緩やかにカーブした方が、角度が付きづらいので上りやすいです。

しかし、先ほど述べた通り、1つ目の急斜面と比べたらこの坂は上りやすいです。ある日、ここまで来てホッと胸を撫で下ろしつつあった私は、この坂を友達と横に並んで登っていきました。楽勝で登れるはずだったのですが……ガクン!と、自分の体が後ろに反るのを感じました。ツルツルして……次の一歩が踏み出せないのです!

私は焦りました。友達が異変に気づき、私の名を呼びます。
バランスを崩した私はそのまま倒れ込む……と、思われたそのときです。

スッ……


そのとき、事務員のおじさんが現れた

私の目の前に、まっすぐに一本の木杓……の、柄(え)の部分が差し向けられていました。事務員のおじさんです!
おじさんは、朝からここら辺の雪を溶かすため、せっせと塩を撒いていたのです。そして、今にもコケそうな私を見ると咄嗟に杓を掴ませ、引き上げてくれました。本当に!!間一髪の出来事でした!!おじさん!!!!あのときは!!!!ありがとう!!!!

そのときも私は、感謝の言葉を述べたと思います。しかし、おじさんは無口なおじさんでした。よく覚えていませんが、そのときに軽く会釈くらいはされたかもしれません。他に特に何か声をかけてもらったり、引き上げる時に例えば「気をつけるように」とか、そういった言葉がけはありませんでした。なんてクールなのでしょう。
ただスッと杓を差し伸べ、私を助けたあと静かに去っていったおじさん……イケメンでした。

そのときはちょうど今ぐらいの時期、新年明けて早々というときだったのですが、「今年一番のイケメンだった」「(おじさんが)あと30歳若ければ惚れていた」と、当時の日記帳には記してあります。


厳しい通学路、愛した通学路


当時は嫌でしかたなかった通学路でしたが、体力のない私にとっては、振り返ればいい運動でした。あれのおかげで、長い階段などで疲れづらくなったのも事実です。当然、もうあの通学路を通らなくなった今となっては、持久力はクソザコに戻ってしまいましたが!!(下はクソザコ体力自慢記事です)

そして、ここまで文句ばかり書いてしまいましたが、実は私はこの通学路のことが、結構好きでした。
人の家と家の間を通り、木や草が生茂る田畑を抜けるのは、いつもちょっぴりワクワクしました。だだっ広い道路からガードレールの向こうを見て、遠くに立ち並ぶ家々をボケーっと眺めながら歩くのも好きでした。途中にコンビニも無くて、立ち寄れるハイカラなお店の一つもなく、帰りが遅くなればA駅の待合室でただ静かに、1時間に一本とかの電車の明かりが近づいてくるのを待ちました。こんな不便さも、私は好きでした。
これが私の青春だったのです。


大学生になってから、夏季休暇中の課題で「お気に入りの瞬間を写真に撮る」というものがありました。
私は写真が全然得意ではないのですが、撮りたいお気に入りの風景で思い浮かぶのは、やはりあの思い出の、高校へ向かう通学路でした。

私は、大学生の夏にもう一度、あの通学路を通ってみました。


いつも通った細道です
起伏がすごい階段
ここが冬季に滑りまくる


卒業してちょっとしか経っていないのに、色々懐かしかったり、自分がちょっと不審者みたいとか自意識過剰だったりで、落ち着きなくキョロキョロして歩いたのを覚えています。

でも、なんだか嬉しかった。
周りは静かで、風が吹いて。
夏の真ん中で、私は一人でした。

共に厳しい雪道を乗り越えてきた30〜40人は、前にも後ろにもいないけど。
きっとみんな、私の知らないところで、今日もどこかに向かって歩いているはずです。


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この経験に学べ