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いい記事を書きたいって気持ち


noteにも慣れてきて、“繋がってる感覚”が出てきたら、「人に伝えたいこと」に対する自分自身の検閲がだんだん厳しくなってたな〜。

例えば浮かんでくる、こんな話題はどうだろう?というのに、「これではない」「これはちょっと」と、あれこれ理由を付け否定し続けてしまってたのだ。無意識に。

まずは一番に私が楽しいと思えることをして、それが他の人にとってどうであるかを気にしない。
それができるなら、「これではない」と頭ごなしに弾いた全部は、多分採用圏内なんだと思う。


書きたいことは、すぐに長くなる。別の話に飛び火する。参考にと話題に出したい一文が、正しい情報かどうかを確かめる作業は省けない。
私にとって当然の知識とか、大前提とかをいつも簡単に説明する必要がある。画像を差し入れたりして、これでちょっとは見やすくなっただろうかと思う。

気がつけばいつも外、外、外、で、誰か見えない相手をもてなすことに必死だ。
これで私は、私を語っていることになるだろうか?


1/22の日記書き起こし


昨日の日記は素直でいい。
というか、私の日記はいつも素直でいい。

これに砂糖でも撒いて、お口に入れやすいテイストで書き起こそうかな〜と思った。はじめは。途中でおどけたりウィットに富んだジョークでも差し入れて。だって文体がこんな感じのままだと、「急に深刻な顔してどうした!?」と言われかねない。
……結局そのまま書き起こしたけど。

昔、大好きなTwitterのフォロワーに「けんちじはときどきゴルゴみたいな顔して喋る」と言われたけど、多分こういう調子のときのことを言ってるんだろ。このままだと、ゴルゴと見間違われてしまう。でも私はナチュラルにいくつかの顔をスイッチしてしまう性質なので、別に全部がいつも通りなのだ。ナチュラルゴルゴなのだ。ついでに別に深刻でもない。

あ〜なんかこんなこと書いてたら、小学生のとき「自学」の宿題で(自分で自由に決めた宿題をやってくるってやつ)、毎回自作の仄暗い詩ばっかり提出してたら、担任の先生に「何か悩みがあったら言ってね……!」と心配されたこと思い出した。
あれ、別に全然悩んでるとかそういうんじゃなかったのにな……ただナルシストだっただけでさ……。

な〜んていう、とりとめのない話をし終えたこの辺で、緩まって丁度いい。
別にカッコつけただけで終えることもできたけど、これくらいで具合がいい。

いい加減の記事、書けた〜っと。

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