見出し画像

ただ、いっさいは過ぎて行きます


生い立ちを話す。
自己紹介をする。
私は今の立場を、
複雑だ。可哀想。同情のお付き合い。で
終わらせたくないと思っていて。
そして、注目を浴びることが大嫌いだったけど
最近は私という人を知ってほしいと
思うようになった。


今から1年経たないくらい前
当時付き合っていた彼からDVを受けていた。
きっかけなんてない。
おそらく今まで付き合ってきた彼女にも
彼はしていたのだろうと思う。
とても手馴れていたから。

不安や怒りをコントロールできず、
自身の存在意義を明確に知りたがっていた。

手をあげるたび、彼は
おれは神に近い人間なんだ
お前ごときが同じ人間でいるな
などと言っていた。

普通の人で有りたくないのだと思っていた。
私はむしろ、どんな時でも
普通でいたくて注目なんてされたくなかった。
だから理解できないわけで、
彼に対してなにも言わないのだけれど、
同時に、自分のことを重ねて見ていた。

幼い頃から親に愛情も貰ったことがない。
それが当たり前だと思い込んで
学校生活を送っていたために
上手く人とも付き合えなかった。
人との接し方や言葉のかけ方、
感情のコントロールの仕方が分からなかった。

そんな小学生中学生が
上手く周りとやっていけるのか。
答えはノー。無理だった。
さも当たり前かのように、
いじめを受け続けてきた。
私の場合は女の子集団からだったので、
殴られたり蹴られたりと身体的なものは
なかったけれど、
陰口や省きから始まり、
体操着を掃除箱に隠されたり、
真っ赤な折り紙に悪口を書かれたり、
(当時、ドラマの花より男子が流行っていた)
何かしらの道具がいつもなくなっていたり、
今思えばとても酷いものばかりだった。

もちろん、いじめられる側にも
問題はあるというのは間違っていない。
やめて欲しいとも、仕返しをしてやるとも、
何も言わなかったからだ。
先生にも言わなかったからだ。

私は母親に言われていた。
私たちに迷惑だけはかけるな
学校のことは私に言うな

私はあのころ、心のどこかで
希望を持っていた。
母親はいつか、
私をいい子だと言ってくれるかもしれない。
兄にしているように
私にも優しく接してくれるかもしれない。
家族でのお出かけや旅行に私も
連れて行ってもらえるかもしれない。
ご飯を用意してくれるかもしれない。

だが、いつまで経っても叶わない。
そして高校生になるまで
私は異常な家庭であることを気付けなかった。
愛情を受けてこなかった。
自分の存在意義を明確に示して欲しかった。

だから、理解したいとおもってしまったのだ。
だけど、空っぽな私が彼を理解するなんて無謀だ。
ただの傷の舐め合いでしかない。
ダメな所まで一緒に堕ちていくことしか
出来ないのに。

そうして結局、ダメな所まで堕ちてしまった。
彼はますますダメになっていった。
身体的な暴力から精神的な暴力へ
変わっていった。
彼は私を支配することにとてつもない
快楽を得ていた。
これは受けた側の主観的な感想だが、
傷の残る暴力より
記憶に残る暴力の方がよっぽど辛い。
人間を飼っていると彼は言ったのだ。
私はその時、
付き合っているのではないのだと理解した。
同時に、逃げるという選択肢を見失った。

彼に恋をしていたわけではない。
好きだと言ってもらえて
何となくで付き合っていたのだけど、
いつのまにかこの有様だ。

ある寒い冬の朝、
目を覚まして、絶望した。
手首と足首に感じていた違和感を
恐る恐る確かめてしまった。

彼は至って普通で、一瞬怒った顔をした。
それから数週間、何をするにも
私の手足にはロープがつながれていた。
コンビニに行くにも私を連れて行く。
家の何処にいても
ロープの先には彼がいた。
大学もアルバイトも休まざるを得なくて、
お金も尽きてきた。

それでも彼の欲は増すばかりで。
物足りなくなると、
家の柱に(憎らしく丁度良さげな柱があった)
私を括り付け、暴力を振るう。
あるときは飲み物を頭からかけられる。
あるときは髪の毛や爪を切られる。

こういうとき、人間はどういう反応を
するのだろうか。
どういう反応をすればよかったのだろうか。
私は、もとより、豊かな人間ではなかったため
余計に分からなかった。
泣くこともせず、怒りもせず、許しをこう。
そして、彼はもっとヒートアップする。

今更気づいたのだ。
私の態度がダメなのだと。
小学生中学生の頃虐められていたのも
きっと私が何らアクションを起こさないから
虐めのゴールが彼女ら自身も分からなかったのだ。
彼も分からなかったのかもしれない。
もう、行き着く先は一つしかなかった。
いままで、死ぬ勇気がなかった私が
ようやく死ぬ意味を見つけられた気がした。
私は、誰のことも幸せには出来ないし、
不幸ばかりを与えてしまう。
関わりを持つことで全ての人を
負の感情へ誘うことしか出来ない人なのだと。
そんなやつ、生きている意味なんてないと。
(悲劇のヒロイン染みた思考回路、、)
ただ、自分で終わりを見つけることに
とても虚しく感じた。
そして、思い出してしまった。

たった一度、私が唯一踏み出した勇気を。
自分のために、自分の希望を見出すために、
苦手な人同士のコミュニティに参加したことを。
そこで得た、とてつもない幸せを。
怖くない大人がいること。
話をしても怒られないこと。
ご飯を一緒に食べられること。
何かに没頭できること。
初めて誰かとカードゲームをやったこと。
水遊びをしたこと。
カレーを作って食べたこと。
それが #コルクラボ だった。

忘れられなかった。
死ぬ意味を見つけられた途端、
私は生きたいと思った。
今までずっと死ぬ準備をしていたはずなのに
たった一度の、楽しい経験が
私を死から遠ざけた。

この先も、関わり続けたい。
だけど、不幸にしてしまわないか。
嫌われたりしないだろうか。
離れていかないだろうか。
私を知ってほしい。
知って、本当に笑って過ごしたい。

そんな小さな希望、自分の幸せだけを
考えた希望を、やっと、掴むことができた。
コルクラボ というコミュニティと
そこでのたくさんの出会いに救われた。

私は今、とても楽しい。
救ってくれた人たちがたくさんいる。
地獄から連れ出してくれた人がいる。
まだまだ不完全で、
彼から受けたものをトラウマとして
向き合っていく日々だ。
愛を与える人になるために
たくさんの人と関わり合いたいと思う日々だ。
女性に対する恐怖や意識を
改善していく日々だ。
まだまだ、先は長いけど、
向き合うことが幸せだと感じることは
特別なのだろうと思う。

ただ、私には忘れてはいけないこともある。
過去のことを過去だけにしては
いけないこともある。
彼は、私が逃亡したあと、死んでしまった。
自分で終わりを見つけてしまったのだ。
直接的には違うと分かっていても、
私という存在に出会わなければ彼は
生きていたかもしれない。
彼の希望になってあげられなかった分、
私はこれから先、苦しい想いをしている人の
助けになれる人に、そんな豊かな人に
なりたいと思った。

私の支えとなっていたコンテンツがある。
高校生の頃から大好きだった、
太宰治の、『人間失格』だ。
主人公である葉蔵に、私は自分を重ねていた。
生きている意味が分からず、
道化を演じることで全てを誤魔化していた。
時間が過ぎるだけだった。
時代背景や育った環境は違えど、
私は葉蔵と通づるものをとても感じていた。
そして、最後にこう綴ってある。

いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、いっさいが過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た
所謂「人間」の世界に於いて、
たった一つ真理らしく思われたのは、
それだけでした。
ただ、いっさいは過ぎて行きます。

葉蔵は、人間でいることを
諦めていたのだと感じた。
少し前までの私と同じだった。
だけど、今はもう違う。
私は自分のこれまでの経験を全て不幸だと
思わないようにしている。
不幸も才能のうちだ。
その先で手に入れられるものが
とてつもなく大きいことを知っている。

やり直しや修正は
キッカケさえあればいつでも可能である。
だけど、その方法次第だとも思う。
そこを他人任せでは何もうまれない。
私は学びの多い変化を
させて貰えたと思う。
コルクラボ に出会い
豊かな大人たちが多かったことが
私の幸運の始まりだ。

ざっと、こんな私です。
自己紹介といえるか分からないけど、
どうかみなさん。
よろしくお願いいたします。

何故いま、こうして更新を再開したのか。
広い世界を見に行きたいからだ。
私の想いや感じたことを
誰かに共有してもらうことが
人としての感情が1番動くところだと思ったのだ。
ブログのような感じなのかな、、
楽しいなぁ。

では、また!



#コルクラボ #私 #人生談 #自己紹介 #DV
#ネグレクト #いじめ #幸せ #推薦図書



この記事が参加している募集

#推薦図書

42,553件

#自己紹介

230,907件