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センスとか言ってるようではチキンはこれほど売れないだろう。

私の仕事は広義の修理業に属する。片田舎の町工場で青い作業着を着て働く、いわゆるブルーカラーというやつである。
前職も印刷工だったので、かれこれ十年以上は似たような世界で働いてきた。

こういう仕事をしていると、昔気質の職人気取り野郎と接する機会は少なくない。特に前職の印刷工場の上司はその手のタイプだった。

本刷り(実際に納品する製品の印刷。つまり本番)を始める前に、色味や加工仕様を上司に再確認してもらう必要があったのだが、やり直しを命じられることがままあった。
ペーペーの時ならまだしも、印刷工を一年もやれば製品にできないようなクオリティで確認を求めに行くことはまずない。
だがこの上司はたびたびやり直しを命じた。些細な質の向上を要求するためだ。
作っているモノにもよるとは思うが、生産現場において時間をかけてまでオーバークオリティを追求するのは往々にして愚行である。時間のムダ、すなわち金のムダだ。
だが命令されたらやり直すしかない。私はしぶしぶ質を上げてから再度上司に確認を求める。
すると、上司はオーケーを出して得意げに言った。

「これが職人の仕事ってやつだよ」

はあ、と私は間の抜けた返事をして持ち場へ戻るのが常だった。


このくらいならまだ「職人気質だなあ」と微笑(苦笑)で済ませられるが、私がどうしても納得しかねたことがある。
この上司が、明らかに言語化できるノウハウに至るまで「それはセンスだから」の一言で片づけようとすることだった。
たとえば特色(基本色を組み合わせて作る任意の色)の配合。こんなもの、最初に作った時にどの色をどの程度の割合で組み合わせたか記録しておけば、再び同じ色を出すのが遥かに容易になるのに、なぜかこの上司は配合を記録しない。理由を尋ねると、「色ってセンスだから」と返答された。
……バカじゃねえの? と私は喉まで出かかった言葉をのみこむ。

センス(感覚)という言葉を遣うのは、職人気質の人間が「見て覚えろ」を連呼しがちなことにも通ずる。
断言してもいい。この手の職人気取り野郎は、単に説明能力が皆無なだけの三流(良くても二流)技術者である。
スポーツや芸術の世界ならいざ知らず、サラリーマン労働で任される程度の職能に言語化できないノウハウなどない。


そもそも、「教える」という行為は「説明」であると私は考える。つまり、「説いて」「明らかにする」のが教示だ。

説くとは、『物事の道筋を話して分からせる』こと。
明らかにするとは、『事柄が誰にも分かるようにはっきりさせる』ことだ。

見て覚えろなどというのは全く説明になっていない。
また、教えるにあたって説明など不要だというのなら、子どもの学校から大人の習い事まで、教科書・教本を渡してそれでおしまい、それで十分ということになる。それこそバカな話だ。
こういうことを言うと、「会社は学校でもお教室でもない」との反論が聞こえてきそうだ。「仕事は教わるものじゃない」とか「部下や後輩の教育・指導なんて要らない」とか……。

だが、私はこれらの意見こそ甘えであり、これらの意見を口にする奴こそ自分の立場を理解していない阿呆だと思う。

会社とは多くの場合、半永久的に存続し続けることを目指している。
したがって長い目で見れば、どれだけ能力の高い一個人がいようと、そいつ一人で出せる成果など高が知れているということになる。
腕は立つが教えられない一人の社員より、腕は並でも教えるのがうまい社員のほうが結果的には会社にもたらす利益は大きくなると予想できる。
今日、KFCが世界中でチキンを売りまくっているのも、レシピというノウハウを「教える」ビジネスをやったからだ。チキン作りの名人が片田舎で腕を振るって満足していたならこれほどの金儲けはできないし、今頃はレシピ自体さえ失われていたかもしれない。これを会社に置き換えれば、潰れているということだ。

教えることに興味がないから個の能力でゴリ押ししたいという願望自体は何も悪くない。だがそれをやりたいなら独立すればいい。独立に踏み切れずサラリーマン(群れを利用しての生活)を続けているのなら、個としての能力も所詮その程度のものに過ぎないと自覚すべきだ。
そしてサラリーマンならサラリーマンらしく、潔く会社のためになる動きをすべきではないか。それが「教える」という職務に真正面から向き合うことである。
繰り返すが、サラリーマン風情が「教える」を軽んじるのは怠惰だ。「見て覚えろ」なんてのは、それこそ思考停止の手抜き仕事である。


また、私はまだ三十代で豊富とは言えない経験ながら、「技術」に関してひとつの経験則を見出していた。それは――

「説明できない奴は結局、(個としての)腕も大したことがない」

である。
全ての職種に当てはまる法則ではないかもしれないが、自分の持つノウハウを言語化することもできずに感覚だけで捉えているような奴がスバ抜けた成果を上げることなどあるだろうか。あったとしてもそれは一時のラッキーパンチではないのか。


先日、この経験則を少しだけ裏付けてくれる第三者の意見を目にした。

プロのヴァイオリニストの方が、上手な人と下手な人それぞれの特徴を挙げている動画だ。

動画の中で、上手な人の特徴は――

『自分の演奏技術について明確に言語化できる』

と断言している。
対して、下手な人ほど感覚やイメージに頼るそうだ。


あまりにも私が以前から考えていた通りのことを言ってくれていたので、嬉しくなってこの記事を書いてしまった。


とはいえ、私がつかみたい未来こそ「教える」ことなど考えなくてもよい未来なのだが……まだまだ先は長そうである。

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