続 今更ながら長い長い自己紹介⑩卒園に寄せて

今日は娘の保育所の卒園式だ。


昨日クラス内に体調不良者が出た。


一時どうなることかと思ったが、保健所と相談し、二部制に分けて、決行してくださるようだ。


コロナ対応でほとんどの行事が流れるなか、なんとか思い出をつくってあげたいと、最後の最後まで尽力してくださった先生たちには本当に頭が下がる。


心から感謝している。


娘が我が家に産まれてきてくれて、そろそろ7年。


備忘録も兼ねて、保育所入園から今日までを、正直に、振り返ってみようと思う。


※極めて個人的な長い長い記事になります。


しかし、世帯主の私(母)と画家の夫(父)という少し変わった家族のありようとして、何かしらのご参考になれば幸いです。


※※※


2012年。どん詰まりだと思い込み、自棄酒の末、顔面骨折をした。


その後、自分がいかに


会社は自分を認めてくれない、


夫はこどもを欲してくれない、


クレナイ族だったかということを猛省した。


そして、目の前の仕事にひたすら打ち込んだ。


その時の顛末はこちら。

私は結婚して画家の夫を扶養に入れた時から、常々、会社に対して負い目を感じていた。


会社が望んでいるのは、①普通に専業主婦の奥さんのいる男性、②男女問わず家族をもたない一人者、そして、③普通に共働きの夫婦。


この番号はその順番≒会社の本音のところの社員に求めるニーズに沿った番号だ。


今でも世間一般から比較すると20年遅れている古き良き昔の日本の文化が色濃く残る会社の中で、ある意味私は悪い方の意味で異色だった。


決して被害妄想ではなく、 


「旦那、ヒモでしょ?」


と堂々と聞いてくださる方もいた。(陰でコソコソ言われるより、そうやって正直に聞いてもらえる方が正直助かった)


だから、そんな環境で子を授かり、一年の育児休暇をいただき、そして、再び復帰させていただけた。


感謝の気持ちと恩返ししたい。


気持ちだけが、自分のキャパを超えて膨れ上がっていった。


加えて、生来からの承認欲求。幼馴染の自死に起因する自責の念。


当然、家族のことなんかに二の次。


お父さんとして働くんだ!私が頑張らないと、この人たちは不幸になる!


思い込みと、負い目も相まって人の2倍の仕事を引き受けなければならないと勝手に背負い込んでいた。


大袈裟ではなく、私が異動になった後、一部業務を外注に出し、現在は2名体制で回している。


後任のことまで考えずに仕事量を増やしすぎた部分については、後日猛省し、体調を崩したこともきっかけとなり、外注に出すなど、仕事の見直しを終えたちょうどまさにそのタイミングで異動となった。


それでも異動直後は、後任には相当迷惑をかけてしまい、仕事というのは、後任ができるかどうか、まで考えて常に回していかなければならないと今でも反省を込めて思っている。


本題に戻そう。


時代錯誤の昭和のサラリーマンばりに、会社命。家族なんて二の次。


そんな風だったから、復帰して二年ほどは本当に夫婦喧嘩が絶えなかった。


しょっちゅう幼い娘のいる前で、


「離婚してやる」


「出ていけ」


お互いを口汚く罵倒しあった。


私は私で仕事のストレスでわけがわからなくなっていた。


夫も夫で、妻が復帰し、これまでほとんど妻に任せっきりだった育児が逆ワンオペとなって降りかかってきた。


お互いに余裕がなさすぎた。


そんな時、娘がしょっちゅう熱痙攣を起こすようになった。


泡を吹いて、意識をなくし、ただただ高熱で痙攣して震える娘を見ているしかない。


胸がえぐられるようだった。


このまま私たち夫婦は娘を失ってしまうかもしれい。


元々、熱痙攣の発端は、私がつくったものだった。


育児休暇中、一切の育児家事を放棄し、自分のペースを崩さず、自分のやりたいことを自由にやる夫。


依存体質のママ友からの依存。


目を背けたい現実から逃げ出した先で参加したワークショップに端を発していた。


私がこの子に近づくと害をなす。


そんな無意識の思い込みもあり、逃避として、仕事に没頭していった部分もあった。


しかし、保育所での生活も二年、三年経つうち、夫が最初に明るくなっていった。


毎日昨日までできなかったことができるようになる。


娘の成長を間近で毎日見守れる。


一年目はうまくいかなかった保育所の先生たちとも仲良くなり、先生や他の園児、園児の親とのコミュニケーションを楽しむようになった。


私が復帰後は、こどものためだとこれまで頑に拒んでいた料理も見よう見まねでつくってくれるようになった。


娘を傷つけてしまうのではないかとどこか仕事に逃避している私より、夫が先に親になってくれた。


私が休日出勤を繰り返すなか、動物園や公園、児童館に娘を連れ出してくれた。


そして、保育所生活も4年目を迎えようとした頃、コロナと異動がやってきた。


これまでの生活スタイルを強制的にガラリと見直す。


家族と過ごす時間が圧倒的に増えた。


これまで、どれだけ娘の成長を見逃してきたのか。


ふと気づいたら、もう4歳になっていた。


そして、夫の紹介で、初めて保育所にママ友ができた。


送り迎えは完全に夫に任せっきりの私には、保育所にママ友が一人もいなかった。


分からないことや育児の悩みなどをリアルタイムで相談できるママ友が同じ保育所にできた。


これは大きかった。


ゆっくりゆっくり時間をかけて、私は向き合えない逃げてきた過去と向き合って100%母になりない。


そう思うようになった。


そして、昨年5月から再びnote毎日更新を再開し、その中で過去と向き合い、手記を出版した。


この7年近くは、私が家族とともに、ゆっくりゆっくり親にさせてもらった7年近くでもあった。


いよいよ今日は卒園式。


振り返ってみると、夫がいて、保育所があったから、私は安心して働き続けること、しいては向き合えない自分と向き合うことができた。


ほとんど、直接お顔を合わせることなく、卒園していくが、これまでお世話になった先生たちには本当に感謝している。


次は小学校。


もう少し、仕事のやり方を自分で見直して、育児や学校生活、そして何より自分、そして家族にも関わっていこうと思う。


卒園を記念して(それだけじゃないですが)、ぬか漬け始めました。


娘の大好物の胡瓜のぬか漬け。


ぬかをダメにしないよう、成長を見守れるよう、大事に育てていこうと思います。

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ここまで、長い長い振り返りにお付き合いいただき、ありがとうございました✨✨✨


母さん、やっとぬか漬けにトライできました〜😆😆😆


ご報告かねがね母さんの記事をペタリ。↓












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