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熊の飼い方 28

 影 15

 作業着を着替えに更衣室に行くと、ごっさんが着替えていた。服がロッカーの上にあったり、籠の中に作業着が乱雑に投げ込まれ、ロッカーは所々凹んでいる。壊れて開かないロッカーも稀ではない。ごっさんは着替えながら会釈をし、心配そうに僕を見ていた。
「大丈夫ですか?」服を着るのを一回止め、ごっさんは言った。
「え、あ、はい」と僕は俯きがちに答えた。
「にっしーさん、前に僕が問題出したこと覚えてますか?」
「問題?」
「忘れてると思った。熊の飼い方ですよ」
「あ、忘れてました」
「もう答え出なさそうなんで言いますね。実はね、肉を与えないことなんです。肉を与えず野菜だけ与える。お腹空かないように大量に。そうすると狩猟本能が出てこず暴れないんですって」ごっさんが自慢げに言った。
「なるほど」
「にっしーさんは多分肉食べすぎただけですよ。ほら、人間も昔から狩猟本能があるじゃないですか。だから仕方ないと思います」
 昨日のことはあまり記憶にないが、多大な迷惑をかけてしまったことは明確であった。謝るしか仕方ないのだが、なぜあのようなことになったのかは疑問が残る。
「昨日はすみません」
「いえいえ。にっしーさんでもあんなことになるんですね。驚いたというかなんか僕は安心しました」淡々とごっさんは言った。
「え」僕は少し驚いた顔でごっさんを見た。
「いや、あまり話さない人って感情を表に出さないと思われがちじゃないですか。偏見というか、見た目だけの判断というか。でも、僕、その偏見にすごい疑問を抱いてたんですよ。身勝手だなと」熱を帯びたようにごっさんは言う。
「はあ」
「いや、僕もよく悩みなさそうとか言われるんですよね。僕なんて悩みの宝庫ですよ。ほんの些細なことでも悩んで・・・。悩みなさそうに見えますよね?」
「まあ、見た目からすれば」
「ですよね。でも、俺悩みなさそうな人ほど悩みを多く抱えていると思うんです。僕の場合、僕の悩みで周りを暗い気持ちにさせたくないと言うか。空気なんです。空気を読んで、空気で漂ってるんです。風を防ぐ壁になりたくないと言うかね。にっしーさんは僕と少し似ているところがあるのかなと思ったんです。少し傲慢ですが。でも、空気を読み姿を露わにしないようにされていると思っていて。でも、感情を表に出した。空気を熱気に変えたんです。そこでやっぱり真っ当な人間なんだと思いました。だから安心したんです」ごっさんは僕を真っ直ぐ見ながら言った。
「愚かな人間ですよね」
「そういう意味じゃないんです。すみません。なんか勝手に人のこと判断しちゃって」作業着を着る速度を早くしてごっさんが言った。
「いえ」
 どう言葉を返して良いか分からなくなった。初めてこのようなことを言われて動揺を隠せなかった。すっかり、距離をおかれるものだと思っていたが、安心したと言われた。喜ぶにも喜べず、口の中に髪の毛が入ったような気持ち悪さになった。
ごっさんは、少し恥ずかしそうに腰を低くし外に出て行った。ごっさんを見て何か懐かしいものを感じることができた。


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