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熊の飼い方 16
影 9
夕食を終え、自室に戻ろうとしたとき、自分を呼ぶ声が聞こえた。にっしーさんと呼ぶのは彼しかいない。それに加え、自分を呼ぶ人物など彼しか考えられない。
いつものように爽やかな屈託の無い笑顔でこちらに寄ってきた。どうしたのかと聞くと、話しましょうとごっさんは言ってきた。何気無いが自分にはそのような提案を人にする事がないので少し驚いた。表情を変えずに頷き談話室へと向かった。
長い間ここにいるが、談話室に入ったことなど一度もない。入る機会がなかったと言った方が正しいだろう。机がいくつか置かれ、その周りに席が二、三席ある至ってシンプルな作りになっていた。誰も座っておらず、僕たちはドアから一番遠い席に向かい合わせで座る。このような状況自体初めてなのだが改まっている雰囲気が最初から耐えられなかった。
「今日も疲れましたね」ごっさんが話し出す。
気を使ってなのか談笑から始める。これは自分から会話を続けて行くべきなのかを考える。しかし、ごっさんは苦笑いを浮かべながら話し出す。だが、まだ本題には入れない。僕からは当然聞けない。そう思いながら時間だけが過ぎて行く。
「にっしーさんってお子さんいらっしゃるんですか?」ごっさんが口を開いた。
「いえ、結婚もしてません」
「結婚はいいですよ。子ども持つのももっといいですよ。世界が変わります」
「はあ」
「僕もね、最初は結婚なんてしなくていいなんて思ってたんですよ。でもそれがね、なんて言うんですか、卵割ったら黄身が双子みたいな感じで、運にも恵まれて子どもまで出来たんです」
笑顔で話そうとしているのだが、俯きながら話を始める。ごっさんの目の奥には暗い闇が見えた。これからどんな話が来るのだろうかと身構えた。
「ひとり娘だったんです。妻を亡くし、一人で育ててきました。本当にいい子だったんです。幼稚園に迎えに行くといつもとびきりの笑顔で抱きついて来ました。でも、あの日です。なぜあの子が巻き込まれないといけないのか。もっと世の中には生きてる理由がない人もいると思うんです。もっと極悪人がいると思うんです。なんでうちの子が……」と話したときに、目に涙が浮かんでいるのが見えた。どのような過去があったのだろうか。何かの事件に巻き込まれたのだろうか。疑問とともに、何か触れてはいけないような、触れないといけないような予感が体をよぎった。ざわざわとした何かが体の中から動き出した。
僕は声をかけることもできず、ただ呆然としていた。
自動販売機の明かりのみが僕らを照らしていた。
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