夢山先生〜子どもが大人を教育する異世界〜

「またかよ」
 思わず生徒の前で口に出してしまった。どうでもいい質問ばかりで、授業が全然進まない。それでいて、授業がわかりづらく、全然進んでいないと保護者からもクレームを言われる始末。教師なんて大した存在じゃないし、臨機応変に対応できる力も統制力もない。自分の話を遮られ、意図のわからない質問に答えるのはもう飽き飽きだ。


「柳田先生!なんで勉強しなくちゃいけないんですか」

 教員になりたての頃、生徒から受けた質問だ。なんでそんなことを訊くのかと内心では思っていた。そのときは黙っていたが、「勉強するのは当たり前だ」と心ではつぶやいていた。


 私の勤める学校は東京からフェリーで5時間ほど離れた日本地図には載っていいない地名のない島にある。「名もなき地方」として一時期テレビで話題になったが、今は衰退の途をたどるばかりである。というのも、特産物はおろか、畑や田んぼもほとんどなく、人の気配がある場所と言えば、7、8軒の茶色っぽい弥生時代の竪穴式住居を連想させるかのような民家と屋根が傾いた一軒の個人経営のコンビニだけで、人口もわずか80人程度。


 その付近に「山のイデア」とでも呼ぶにふさわしい山が存在する。ここでいうイデアとは、「ある事物の本来の姿、真の姿」とでも定義しておくことにする。

 机を例に考えてみる。世の中には、いろんな形の机がある。しかし、見目形が違うものをなぜ我々は、「机」と認識することができるのだろうか。それは我々の頭の中に「机」のイデアが存在するからである。とまあこのような考え方のことをいう。


 子どものころ読んだ絵本に出てくような鮮やかな緑色の山。数学でいえば、左右が合同な図形とでも表現できようか。そんな山に魅せられて私は今ここにいるのだ。絵本に出てくる山が山のイデアかどうかは定かではないが、少なくとも私には魅力的に映った。
 私はその山奥にある中学校の英語教諭。東京のいわゆるいい大学を卒業し、元気でやんちゃな中学生と毎日を過ごしている。まだ25歳の若僧であるが、まじめな働きぶりがベテランの先生からは高い評価を得ている。

 そんな都会の一流大学を卒業してまで私がここへ来たのには理由がある。大手企業の内定をすべて断り、こんな田舎へやってきた。

 大学時代は哲学部哲学科に所属していた。文学部哲学科なら聞いたことがあった私にとって、この「哲学部」は斬新だった。特に哲学が好きなわけでもなかったが、興味本位で入学してみた。そこでは4年間ありとあらゆる事物のイデアについて学ぶカリキュラムだった。


メガネのイデア
コップのイデア
携帯電話のイデア
電車のイデア
本のイデア

 こんなことを4年間考え続けていた。ただこれには明確な答えなど存在せず、確認の手段もない。ただひたすらに考え続けるだけである。一般的な視点で考えると、こんなことをして何がおもしろいのかわからないだろう。しかし、こういう実生活に直接役に立たないようなことを真剣に考える人もいるのだ。

 そしてついに私はひとつのイデアを見つけた。それがこの「山」だった。大学3年のときの日本一週一人旅で、たまたま見つけた山だった。

 「まさに山!なんだよ。すべての山はここから始まったんじゃないかなっていうくらい。子どものころ絵本で見たきっちり左右対称でにっこり笑っている山」

 

 同じ哲学科の安田やすだ徹とおるにそう言った。彼とは大学からの仲で、話題といえばもっぱらイデアの話か自分たちがいかに女子にモテないかという話だ。

「よかったな。俺はまだ何かのイデアに出合ったことないから共感しにくいけど、たしかに絵本に出てくるような山はイデアっぽいな」安田はそう返した。

 別にこの山が山のイデアであるわけがない(真のイデアはおそらく認知することのできない)のだが、私にとってこの山との出合いは、何十年も会っていない旧友との遭遇よりも貴重なものだった。


「小さな哲学者」

 私は生徒たちのことをひそかにそう呼ぶ。小学生のころからいわゆる優等生であったため、決められた業務は学生時代の宿題の要領で難なくこなせるものの、物事に対する柔軟性がなく、特に生徒たちとのコミュニケーションはあまり上手ではない。私を特に悩ませるのが、生徒たちの「哲学的な問い」である。

 以前、小さな哲学者のうちの一人、中学2年の男子生徒がこう問いかけてきた。

「なんで勉強しなきゃいけないんですか?」
 私にとっては今まで勉強することが当たり前だったため、そんなこと考えたこともなかった。

「んー。いい大学に行って、いい会社に入るためじゃないかな」

「でも先生もずっと勉強してきたんですよね。それでこの学校がいい職場だって胸を張って言えますか?勉強したからといっていい会社に入れるとは限りませんよね?」

 私は困窮した。この学校が嫌な職場だとは思わないが、特別に魅力があるわけでもない。勉強することが、そして大人から言われたことを素直にやることが当たり前だった私にとってこの「なぜ勉強するのか」という問いほど答えに詰まるものはない。
 またある日には、別の小さな哲学者が授業後にこう問いかけてきた。

「柳田先生、『幸せ』ってなんですか?」

「『幸せ』とは何かを楽しむことだ。とにかくそんなことはいいから勉強しなさい」

 授業そのものはとてもわかりやすく、生徒や保護者からも好評なのだが、こういったはっきりとした答えの存在しない問いに私は弱い。その日はがっくりと肩を落としながら帰宅した。


 この学校は山奥に位置するため、近くのスーパーに行くのにも自転車で30分ほどかかり、ド田舎のため、もっぱらやることといえば疑問を口にするかスマホを使うことくらいだ。この地域には無駄にと言っていいほど、アンテナが通っている。なんでも頭の弱い自治体の人たちが、以前上層部から「君たちはもっとアンテナを張れ」というようなことを言われたらしく、本当に物理的にアンテナを立てたそうだ。


 次の日は祝日なのにもかかわらず、しかも昨日の沈んだ気持ちを抱えながら部活動のため出勤しなければいけなかった。就任当初から陸上部の顧問をしており、その日は30キロの持久走だった。部員は1年生から3年生までで合計8人。今日は珍しく全員出席だった。30キロは大体この山を麓から山頂を往復する距離である。私は陸上部の顧問になったとき、前任の志田先生からひとつの忠告を受けていた。

「柳田先生、今後部員を頼むね」

「はい。任せてください」

「うむ。この自然たっぷりの場所で思いっきり彼らを走らせてほしい。練習内容も君にすべて任せよう。でもね……」真ん丸に太ったまるで七福神のイデア・・・のような志田先生の表情が急に真剣になった。

「ぜったいに山の向こう・・・側・に足を踏み入れてはいけない」

 私は特に理由を訊かなかった。というより、志田先生の醸し出す空気から訊いてはいけないという雰囲気を感じた。


 「みんないつも通り、山の向こう側へは行かないように注意しろよ」部員たちにそう言った。

 彼らはさもわかっているかのように私を無視して、練習し始めた。中学生のような反抗期の時期は、面識の浅い大人に対しては心を開きづらい。私には前任の志田先生のような包容力もなく、まだ生徒たちと距離を縮められていない。

 部員たちが走り出し、見えなくなったあたり私は木陰に座り生徒たちが戻ってくるのを待った。そして想像した。。

「山の向こう側には何があるのだろう」

 凶暴な怪物でもいるのか、ただ単に誰も足を踏み入れたことのない未開の土地なのか、見てはいけない世界がそこにはあるのか、考えれば考えるほど、わけがわからなくなってくる。夢を見ているのではないかと、自分のほっぺたをつねってみたが、どうもこれが現実のようだ。


「だめだ」と言われることほど、好奇心を掻き立てるものはない。山の頂上までは、40分程度かかる。生徒たちが戻ってくるまでには戻るつもりで、頂上まで登りだした。息切れしつつも、道が整備されていて登りやすかったため難なく頂上付近に到着。少し休憩をしようと思いつつも、好奇心が勝り頂上へと急いだ。

そこには大げさなくらい大きい看板が立っていた。縦2メートル、横5メートルほどの真っ白なキャンバスに、山の緑を象徴するかのような緑色でこう書かれていた。


「こちら側に入ってはいけない」
 
 きれいに整った緑色の立ち入り禁止の看板が新鮮だった。ここまで来たからには行ってみるしかないと看板と木々の隙間から頭をのぞかせてみた。一見すると何の変哲もない下り坂だ。外観もそうであるように山の内部もほんとに左右対称な山だ。山から見える景色も木の生え方も同じで、もしかしたら葉っぱの数まで同じなのではないか。この看板がなかったら、自分が山のどちら側にいるかわからないくらいだ。もちろん顔をのぞかせるだけでは物足りなかった。特に危険を感じなかったため、そのまま看板の先、「向こう側」へ下山していった。

 無事に麓に到着した。下山しているときも特に変わったことはなかった。身に危険を感じることもなく、立ち入り禁止にする理由が見当たらなかった。しかし一つだけ驚いたことがあった。なんと私が勤めている学校とうり二つの学校がそこにあるではないか。いや、もはや外観からみたら全く同じである。自分が今、山のどちら側にいるのかわからなくなっている。

「ちょっと君!」背後から声がした。
「そんなとこで何しているんだ。授業が始まるぞ!」
「あ。すいません。私はこの学校とは無関係の…」と言いかけたところで、後ろを振り向くと、なんと驚いたことに声をかけてきたのは中学生くらいの年齢の子だった。私は思わず怒りを覚えた。なんでこんな子どもにいきなり注意されなければいけないのか。

「君、中学生?大人に向ってそんな言い方はないだろう」

「は?何をいっているんだ。なんだその言い方は!さっさと教室に入れ!」

 わけがわからなかった。なんで大の大人が子どもに言い返されているのだろうか。すると学校の3階の窓から数人のいい年をした大人たちがこちら側に顔をのぞかせていた。スーツを着た50代のサラリーマン、コンビニ店員のような紺色の制服を着た30代くらいの男性、主婦と思われる20代後半の女性などがうかがえる。

 彼らはこちら側にむかってこう叫んだ。

「先生!何してるんですかー。早く授業してください」
 ちょっと待て。私は彼らの先生になったつもりなどなく、今日は授業日ではない上に陸上部の練習中である。早く戻らなければ生徒たちが心配する。いろいろとわけがわからない。何か返答しようとしたその瞬間。隣の中学生が驚くべき言葉を発した。

「わかってる。今行くから待ってろ」

 何を言っているんだ、この子は。今日はドラマの撮影かドッキリ番組の収録なのか。いや、そんなものに応募した記憶はない。私はいつの間にか彼に手を引っ張られ教室へ連れていかれた。頭の中が真っ白で、抵抗する力が抜けていた。彼は私を引っ張りながら、そういえばお前、見ない顔だな。転校生か。というようなことを言っていたが、言葉が出てこなかった。

 数分間放心状態だった私は、目を覚ますと教室の一番後ろのイスに座らされていた。さっきの子どもの姿はないようだった。

 生徒側に座り、黒板を見つめるのはなんだか新鮮であった。内装も私の勤める中学校とそっくりそのままだった。一刻も早く逃げ出さなければという思いと、この状況をしっかりと理解したいという思いが入り混じっていた。

「ねえ」
 先ほど窓から顔を出していた主婦と思われる20代後半の女性が声をかけてきた。

「君、新入生?名前は?仕事は?普段何をしているの?」

 初対面の人間に名前を聞くことは自然なことである。しかし仮に私が生徒だとしても、職業を聞いてくることはいささか不自然である。いや、ここの環境はなにもかもが不自然だから、この質問もある意味この世界では正しいのかもしれない。思い切ってこの状況を受け入れてみようと思う。


「一応、中学校の先生やっています」

 普段私は生徒たちに何か質問され、答えるときに「一応という言葉を使うな」と言っているにもかかわらず、自分自身が使っていしまい、恥ずかしく思った。

「え?先生なんだー!じゃあ夢ゆめ山やま先生から教わったことをそのまま応用できそうだね」彼女は言った。

「まさかとは思うんですが、夢山先生っていうのはさっきの中学生くらいの男の子のことですか?」私は聞き返した。

「そうだよ。自己紹介してなかったんだね。てか先生のこと男の子とか言っちゃだめだよ。あとウチらは同じ学年だし、敬語使わなくていいよ」
 いつも私の学校の生徒たちは休み時間にこんなノリで過ごしているのだろうなとしみじみ感じた。

「わかった。ありがとう。あ、僕、柳田勉です。」

「ウチ、川原梨花。梨花って呼んで。よろしくね」

 なんだかほんとうに中学生に戻ったような気分だ。状況はよくわからないけど楽しくなった。周りもいろんな年代の人たちがそれぞれの職業の格好をして、楽しそうに話している。大人がこんなにけなげに笑っている姿を見るのは初めてかもしれない。さっき窓から見かけたサラリーマンのおじさんや、コンビニ店員も見つけた。ほかにも消防士の格好を男性や、一人でパソコンとにらめっこしている外資系っぽい黒縁メガネの男性、ピンクのシャツにすらっとしたデニムジーンズを着た若い女性はアパレル関係だろうか、そんな多種多様な人たちが教室には集まっていた。ざっと20人前後はいる。機会があればほかの人たちとも話してみたいものだ。
 いろいろとツッコミどころが満載の空間だが、不思議と私はこの空間になじんできた。陸上部の練習中であることもすでに忘れていた。ここでは何もかもが新鮮だった。定職に就き、20代中盤になると人生で何か新しいことに挑戦したり、それを体験したりする機会がガクンと減る。私は久しぶりにワクワク感を覚えた。時間の許す限りいろいろなことをここで吸収したいと思う。

「梨花さん、ちょっときいてもいいですか」
「『梨花さん』じゃなくて、『梨花』ね。どうしたの?」
「ごめんね。梨花」女性を下の名前で呼ぶのは一体何年ぶりだろう。私は頬を赤らめた。
「なんで赤くなっているの?聞きたいことって何?」
「聞きたいことは山ほどあるんだけど、まずこの学校のシステムを教えてほしい。というのもなんで中学生くらいの男の子が先生をやって、大人の人たちが教室で座っているの?」
「ほんとに何も聞いてないんだね。まずは夢山先生についてだけど、彼は14歳。本来であれば中学2年生だね」
「本来であれば?」
「そう。この村はもう崩壊状態。お店もないし、インフラも整っていない。こんな村にいても将来ずっと暮らせないよね」

 私はまた、自分が下の名前で呼ばれたことに赤面した。ここは山の「向こう側」の世界になるが、この周辺もやはり、私がよく知るもともといた「こちら側」の世界と同じように過疎化が進んでいるようだ。私はあえて、山の逆側、すなはち「こちら側」から来たことは口に出さなかった。

「もともと住んでいた人たちはんな都心のほうへ出て行ってしまったの。そこで何としてでも残りたいって言ったのが夢山先生」
「なんで残りたかったのかな」
「それは誰も知らないみたい。でも先生はこの村にとても愛着を持っているみたいだから、それも一つの理由かもしれない」
「彼のご両親はどうしたのかな」
「そのへんはよくわからない。先生はもともと養子に預けられて、生みの親の顔すらしらないみたい。そのあたりの込み入った話はみんな知らないと思う」
「なるほど。それで夢山先生はこの村でほぼ唯一の住人なんだね。ここにいるみんなは村の人たちじゃないの?」
「ちがうよ。みんなそれぞれいろんなところからきてる。休暇をとって、わざわざこの学校までみんな通ってるんだよ」
「何しにこんな遠い所へくるの?」
「夢山先生に会いに」

 私は梨花の言ったこの言葉の重みが実感できなかった。14歳の子どもにいい年をした大人がわざわざ仕事を休んでこんなところまで足を運びにくる意味が。

「なんでみんな夢山先生に会いにくるの?」
「みんな迷ってるから」
「迷ってる?」私は聞き返した。
「そう。人生にね。でも夢山先生は迷わない。14歳という年齢なのにも関わらず、彼は自分の生き方に迷わない。だからその精神を学びにここにきてるの。以前この村の人たちがどんどん外へ行ってしまって、経済も回らなくなって崩壊するってなった時に、テレビの特集で『崩壊寸前の村に自ら意思をもって残る少年』っていうのが放映されたの」
「それでどうしたの?」
「たくさんの観光客が先生を見つけに村へきたの。どんな子なのかなって。そしたらこの学校にいるってことがわかって、いたんだよね。その子が。まさにこの教室のその教壇に。それが夢山先生だったの。そして黒板に書いてあった一言に観光客たちは唖然とした」
「なんて書いてあったの?」私は興味津々に尋ねた。
「『世の中に踊らされてる大人の方々、ようこそ。私は夢山と申します』って。なんだか衝撃だったの。テレビに踊らされて、好奇心を掻き立てられて、まんまとそれにつられてしまった自分に気が付いたの。私だけじゃない。ここにいるみんなそうだったの」
「つまり、自分がしたいという自発的な行動じゃなく、商業的な目的のために意図的に作られた好奇心から行動してしまったことが悔しかったってこと?」

 私は長年哲学を勉強していたせいか、他者の頭の中の想いをかみ砕いて表現することが好きだった。

「んー。よくわからないけど、そんな感じ。今まで、自分の意思でやってきたことってどれくらいあるんだろうって思ってさ。毎日毎日、テレビやスマホにくぎ付けになって、そこから得た情報をもとに行動してた気がするの。常に他人の目をきにかけて、思いっきり何かに挑戦したことないなって感じたの。常に何かにびくびくしていたっていうか。わかる?」

 おそらくここにいる人たちは、夢山先生が黒板に書かいた言葉そのものに影響を受けたのではなく、そこからそれぞれがいろんなことを連想し自分を見つめなおしたのだと思う。彼の言葉はそれだけ重みのあるものだった。もちろんその言葉を受けて何も感じない人もいるだろう。しかし人間は、「考える葦」とパスカルが言うように、考えるからこそ人間なのである。当時彼の書いた言葉を目にし、何も感じなかった、いや考えようとしなかった人間はこれからも世の中に踊らされ、自ら考え、行動することができない人になるだろう。


「ウチね、小学生のころに親にスマホ買ってもらってさ、もう夢中になっちゃったんだよね。だってあれ、なんでもできるじゃん?それで勉強もしなくなったし、友達とどこかへ出かけることも減った。アプリ上で連絡し合ってるだけで満足だったんだよね。それでさ、最近気がついたんだ。スマホに夢中になることで失ったものに」と梨花は言った。

「何を失ったの?」

「たとえば感情を表現したり、何かに感動したり、誰かと全力で向き合ったりすること。なにかあればツイッターでつぶやいて、フェイスブックで写真投稿したり、そんなことばっかしてたんよ。画面にばっか夢中になって、ばかだったなー」

 私の中学校でも依然スマホ中毒になった生徒たちが何人かいた。大人がタバコに夢中になるように彼らはいつでも画面とにらめっこしていた。珍しくこの中学では携帯電話の持ち込みが許可されていた。さすがに授業中に使っている生徒には注意をしたが、それ以外の時間での使用には口出しはしなかった。何を見ていたのかはわからないが、どことなく彼らはさみしそうな表情をしていた。

 何人もの生徒が隣に居合わせながら、スマホにくぎ付けになっている姿は異様だった。ある日私が授業の時、担当の教室に向かっていると、教室から物音ひとつしないことがあった。体育か何かでまだ教室に戻ってきてないのかと思いきや、教室に入るとクラス全員がうつむきにさみしそうな表情でスマホに夢中になっていた。おそらく梨花もこの中の一人のような存在だったのだろう。いや、もしかしたら現代の大半の子どもたちは同じような状況に身を置いているのかもしれない。

「ウチさ、ここで生まれ変わりたいんだ。画面越しの世界じゃなくて、もっと大きな世界を見てみたい。体感してみたいの。ここにはいろんな人たちがいて毎日楽しいし。ほんとにきてよかった」

 大人になったら自分を変えるのはストーンヘンジの岩を人力で動かすくらい難しいってどこかで聞いたことがあるが、そうでもないのかもしれないと梨花の小学生のようなキラキラした目をみて思った。

「ウチの話ばっかでごめんね。話を聞いてくれたお礼にこの学校について少し教えてあげる。ここはみんなが知ってる『学校』とは少し違うんだ」そう言って彼女はかわいいクマさんのメモ用紙に、

「楽校」
と書いた。

 漢字が間違っていることを伝えようか悩んでいたが、彼女は続けた。

「ここはいわゆる『学校』じゃないの。大人になっても楽しく学ぼうってことを強調するために、あえて夢山先生が『楽校』って名づけたんだって。なんか見てるだけでもワクワクしない?『楽校』って」

「たしかに文字で見ると楽しそう。でも音としては同じ『がっこう』だから、話している中で『楽校』という響きを楽しめないのは残念だね」

「ははは。ウケる!」
 梨花が子どものようにお腹を抱えて笑っていた。何もおもしろいことを言ったつもりはないのだが。

「はい。みなさんこんにちは。1時間目の英語の授業です」

 夢山先生が入ってきた。教室の銀色の手動式ドアやそれに連なっている窓ガラスの設計が私の勤める中学校とほぼ同じだった。

「授業の前に今日は転校生がいます。早速自己紹介をしてもらいましょう」夢山先生が教室全体に向かってそう言った。

 まさか自分のことではないよな、と思ったが私以外ありえなかった。転校してきたつもりはないが、そうこうしているうちに梨花が早くいきなよという視線を送ってきたからとりあえず挨拶だけでもしようと教壇のとなりで、可もなく不可もない自己紹介をした。現在中学校の教師をやっているというようなことを中学校で言うことは初めてだ。それは病院で看護師が「私の職業は看護師です」と言うことと同じくらい無意味な自己紹介だ。

 柳田くんよろしく、一緒に頑張っていこうね、などの声が教室全体から沸き上がった。普段生徒にみんなの前に立つときはどっしり構えろなどというようなことを言っているが、この状況においては私自身ができていないことに気が付いた。何もかも状況がわからないからと言ってしまえば言い訳になるのだろうが、実際の10歳そこそこの中学生にしてみれば、日常のあらゆることがわけがわからないことだろうから、私の言い分は言い訳にもならない。

「大学で哲学をやっていたんですか?」40代の紺の背広を着たサラリーマン中学生がそう聞いてきた。

「はい。哲学部出身で、いろいろな事物のイデアについて4年間学びました」

「哲学部?イデア?」教室がざわざわしはじめた。いつもならここで静かにしなさいというようなことを言うが、夢山先生は教室や私のことをただ黙って見ているだけだった。哲学、ましてやイデアについてなんて一般的に生活していたら数学や国語の読解問題以上に馴染みのない分野だろうし、知らなくても生活にほとんど困らないだろう。

「具体的にはどんな学問なんですか?その哲学とかいべあとかいうのは」先ほどのサラリーマン中学生が質問してきた。

「はい。まず『いべあ』ではなく『イデア』です。そもそも哲学とは※%$#……で、イデアとは&%$**ということです」

 みんな私が何を言っているのかよくわからなかったらしい。たしかに哲学やイデアというのを言葉で定義し説明するのは難しい。それは言葉にできないことを言葉に変換する作業であるから、明確な定義づけはできないのかもしれない。そこで突然夢山先生が割り込んできてこう言った。

「お前にとっての哲学ってそんなもんか」
私は一瞬何を言われているのかわからなかった。

「お前は自分が専門としてやってきた学問をろくに説明できず、曖昧に終わらせようとするのか」

 内心では中学生くらいの年齢の子にこんな言い方をされて今にもキレそうだったが、この世界では私が25年間常識だと思っていたことがろくに通用しないようだから黙って聞いていることにした。

「みんないいか」夢山先生は続けた。

「哲学っていうのは、思考することだ。日常のありとあらゆるものについて自分の言葉で考え、自分なりに定義をすることだ。たとえば『愛するとは何か』、『なぜ人は悩むのか』、『常識とは何か』とか、人々が当たり前だと感じていることに疑問を持って、それを定義することが哲学の目的だ」夢山先生はさらに続けた。

「そしてイデアについてだ。これは聞いたことがない人も多いだろう。イデアとは事物の原点だ。もっと簡単に言えば『人類共通の見本』みたいなかんじだ。もともとギリシャ語では『見られたもの』という意味だがどうもぴんと来ないだろう。だからとりあえず実際にやってみるか」

 実際にやってみる?私は少し驚いた。哲学やイデアそのものが曖昧であるから辞書や人によって微妙に、時にはまるで定義の仕方が変わり、そこが面白さでもある。夢山先生も彼なりの哲学やイデアに対するスタンスがあるようだ。しかし中学生くらいの人間がこんなにも抽象的な概念を理解し、自分の言葉に置き換えているなんて驚きだ。なによりイデアを「人類共通の見本」と置き換えていることには舌を巻いた。

「さあみんな。頭の中にリンゴを思い浮かべてくれ」夢山先生は全員に指示した。

 俺は青りんご、あたしは食べかけのリンゴ、あ、それあたしも!iPhoneの裏に印字されてるようなやつ。僕はまだ熟してないリンゴがぱっと思い浮かんだ。ここからどうイデアを説明するというのか。夢山先生はいろいろなリンゴがあるよなというようなことを言い、こう続けた。

「ではそのリンゴの一番最初の形や色を思い浮かべてごらん」
 何だか真っ赤なまん丸のリンゴで大きさもこのくらいで、とかいうことをみんな口にした。

「そしてもう一回考えてごらん。リンゴの一番最初の姿を。何も手をつけられていないそのままの姿を。そしてそれを何回か繰り返していくと最終的にはみんな同じリンゴに行き着くんだ。色や形、大きさなどが全く同じリンゴがね。それが『リンゴのイデア』、つまり『人類共通の見本』だ。物理的にその存在を確認することはできないけれど、それをひたすら考えていくことがイデアという考え方だ」

 私の言いたいことを参加者を巻き込むような形で紹介してくれた。なんだか自分が恥ずかしくなった。別に哲学がどうとかイデアがどうとかはどうでもいい。自分がやってきたことをうまく伝えられない自分に嫌気がさした。

「勉くんてそんな面白いこと勉強してたんだね」
私が席に戻ったとき梨花が話しかけてくれた。
「面白いと言ってくれて光栄だけど、さっきの自己紹介でろくに説明できなかったように、決まった答えがないし問題も自分で見つけなければいけないから大変だよ」
「でも答えがないってなんだかいいね。今までの勉強は答えが間違ってたらすごく恥ずかしくて嫌になったけど、哲学ではそういうことがないってことでしょ?」

 確かにその通りだ。しかしその分、答えが出ずにもやもやすることもある。永遠に終わらないパズルのようなものかもしれない。
 久々に若い女性と話したことで、私は大学時代に片想いしていた女の子のことを不意に思い出した。いや、思い出したというのは適切な表現ではないのかもしれない。その彼女の意識が私のところに急に飛び込んできた。「一目惚れした」

「は?」

 3回目のデートで思わず言ってしまった私のくさいセリフに彼女は少し不快な表情をしていたことを覚えている。

「だめ?」
「何が?」
「付き合ってくれない?」
「無理無理」

 いくら不器用でもこんな断り方あるのだろうか。そしてなぜ今更私の意識に潜り込んできたのか。今はそんなこと考えないようにしたが、そうすればするほど頭から離れない。

 哲学と恋愛はとても相性がいい。一見論理的に考えているような哲学も思考の対象となるのは基本的に人間の感情だ。論理と感情が交錯する学問は珍しいと思う。考えて自分なりの答えを出すことで自分の感情を抑えようとする哲学者も多いのではないだろうか。

 答えが存在しないというのは都合のいいように聞こえるが、自分なりの答えを出すことはそう簡単ではない。とりわけ恋愛というシーソーでは、感情が論理よりもかなり重い。解決するには感情が一旦シーソーから降りて、やり直さないといけない。
 しかし、そのシーソーから降りることは簡単ではない。10人中9人がそのシーソーに固執し、空のほうに傾いている論理という土台で感情という土台を持ち上げようとするが、いくらやっても無駄なのである。

 ふと我に返ると、夢山先生の英語の授業が始まっていた。さっきまで話していた梨花も身体を黒板に対して真正面に向けて真剣に聴いていた。
 梨花だけではない。教室全体が夢山先生の授業をまるで3才児の目のようにキラキラさせながら聴いていた。私の授業でも生徒がこんな風にしてくれたらどんなに嬉しいことだろう。

「今日は未来形だ。いままで現在と過去についての文法を教えてきたからこれが最後の時制の話だ」夢山先生は表情一つ変えず、淡々としゃべっていたが、ものすごいエネルギーを感じた。

 私だって英語を教えているから未来形の話は聞かなくてもわかる。しかし、彼が伝えようとしていることは「未来形はwill+動詞の原形」というそんな単純な話ではないこと私は察していた。

「未来形は過去形のように不規則な法則もなく、現在形のように主語によって動詞の形が変わることはない。未来形はwillをつける。ただそれだけだ」

 夢山先生は自信満々のように言ったが、まあよくある説明だ。

「それだけでいいんですか?なんで未来形だけそんなに簡単なんですか?」
 私の4つほど左に離れた30代くらいで、ヨレヨレのポロシャツにダメージジーンズの男性が質問していた。

「未来は単純だからだ」
 教室全体の時間が一瞬止まった。私もその発想はなかった。未来は単純だから文法上も簡単な構造をしているなんて。私は同業者としてたまらず訊いてしまった。

「未来が単純というのはどういうこと?」
「お前は敬語も使えないのか?」

 しまった!

 普段見慣れた光景であると同時に教室という空間で敬語で話すことなんてないため、思わずそんな口調になってしまった。

「すいません。未来が単純ということについて教えてください」

「現在形と過去形と違うことは未来のことは〈まだ起こっていない〉ということだ。〈未来のすべてのことはまだ起こっていないという単純な法則〉で成り立っている。どんなことが起こるかわからないし、そもそも存在するのかも怪しい」

 彼の言葉を一言でいえば、「未来は白紙だ」ということだろうか。

 これが英語の授業なのか、哲学の授業なのか何だかわからないが、少なくとも彼の思考は私の思考をこの上なく刺激してくれた。

「willの後ろは動詞の原形というルールを作ることで、不確かな未来を捉えやすいものにしたんだ。まだ起こっていないという点で未来は単純だが、その反面不確かな部分も多い。昔の人は不確かなものを怖れた。だからこそルールを単純にすることで少しでも未来を捉えどころのあるものにした。そもそも未来形っていう考え方がおかしいと思わないか」

 今度は何を言い出すのだろう。私は大学のころから家庭教師も含めて何十回も未来形について教えてきた。夢山先生のこの言葉は私の今までの未来形の講義を否定しているようにも思えた。

「どこから未来だ?明日か?明後日か?じゃあ1分後はどうだ?」
 そんな夢山先生の問いに対し、梨花が発言した。

「明日は未来って言えるけど。1分後は未来ではないと思います」
「ではなぜこの例文はwillを使っているんだ?I will study in a minute.」

 梨花だけでなくい教室全体に問いかけるように例文を板書した。一人の質問に対し、全体を巻き込む手法を立体的話法というらしい。

 この例文の意味はなんてことはない。「私は一分後に勉強する」ということだろう。実際にこんな学生がいたらそんなこと言ってる間に勉強しろと言ってしまいそうだが、英語の例文なんてどれも変なものばかりだ。

 梨花は自分の感覚的な発言をこの例文で一掃されてしまい、口をポカーンと開けていた。

「みんないいか」

 夢山先生はまとめに入るぞ!という雰囲気を漂わせて教室中に静けさを生み出した。

「日本語に未来形っていう考え方はないよな。日本語では未来形を別の言葉で表現するからだ」

 私は思わずごくんっとつばを飲んだ。日本語では未来形と言わずになんというのかを知りたくてたまらなかった。

「〈意志だ〉。日本語では未来を表現するとき〈意志〉を伴って表現する。英語だとはっきりwillという未来を表す単語を使うのに対し、日本語ではそれを〈意志〉で表す」

 たしかになんだかこっちのほうがしっくりくる。

 英語でも未来形と言わずに「意志形」と言えばいいのにと思った。この説明が学術的に正しいのかどうかわからない。しかしそんなことはどうでもよく、今までなんとなくわかって気になっていたものを改めて考えるいい機会になった。

 なるほど。夢山先生という人物は科目そのものの表面的な知識だけでなく、そこから疑問を持たせ、考えさせる工夫を凝らしている。たしかに頭が刺激され、久々にこんなにも考える時間を過ごしたかもしれない。

 そういえば昔授業で、まさにこの未来形の話をしているときにwouldという単語が出てきた。それを従来通り私は「未来形willの過去形はwouldだ」と解説した。

 そして勉強のできる優等生タイプの小さな哲学者たちは私の言うことをそのままノートにメモをしていた。しかし、一部の小さなやんちゃな哲学者たちには私の解説が奇妙に聞こえたらしい。

「先生!未来形の過去形ってなんですか?日本語おかしくないですか?それって現在ですか?オクシモロンですか」

 オクシモロンとは、”back to the future”(未来に戻る)のように相反する二つのことを同時に述べる際に使うレトリックだ。よくもまあそんな言葉知っているなと感心しつつも、 そんな疑問について考えたこともなかったし、うまく説明もできなかった。勉強ができないやつの質問だからといって私はその時軽くみていた気ががする。willには〈意志〉という側面もあるのだという知識があれば少なくともマシな説明をできたのかもしれない。そんなことを考えているうちにリスニングの問題をやると夢山先生は言い出した。

 どうも前回告知したらしく、みんな事前に単語などを勉強してきているようだ。ピンポンパンポーンと音声が流れた。数十秒間会話が流れ、先生はみんなに言った。
「どうだ?」
 ほぼ全員、わかるわかるという吹き出しが出てきてしまいそうなくらい、しっかり頷いていた。

「これがリスニングの勉強だ。どんなことをしても知っている単語しか聞き取れない。よく、聴くだけで英語が上達する革命的教材みたいなのがあるが少し誇張している。もし聴くだけで上達するなら、革命的なのはその教材ではなく、その人の頭のほうだ。スクリプトをしっかり頭に叩き込み、繰り返して聴くことが一番の近道だ」

 たしかに高校生くらいのころ、この一冊で君は英語のすべてがわかるとかいう本を買ったが、結局対して力がつかなかった。つまるところここで先生が言いたいことは、地道にやっていくことが一番だということなのだろう。

 「永遠の快楽だよね」

 1時間目の授業が終わったと同時に梨花が突然そんなことを言い出した。僕は過度に「快楽」という言葉に反応し、ドキドキし、なんて返せばいいのかわからなかった。

「『永遠の快楽』って、ぐ、具体的には、ど、どういうこと?」僕の声は明らかに震えていた。
「どうしたの?」

 どうしたもこうしたも、女性としてまだまだ魅力のある人が急に「永遠の快楽」と言えば誰だって戸惑うだろう。

「本当に永遠の快楽だよね、勉強っていうのは」

 これもまた驚きだ。勉強が永遠の快楽ならば、いっそ勉強になって梨花の快楽に付き合いたいと思ってしまった。

「もっと前から、夢山先生みたいな授業を受けてたら人生もっと楽しめたかもしれない。不思議だよね。生まれる場所や両親を選べないのはわかるけど、先生も選べないって。誰だっていい先生の授業受けたいはずなのに、まるでくじ引きのように先生が決まっちゃうなんて」

 変な妄想を抱いている自分が恥ずかしくなった。梨花の目は何か悲しそうな印象だった。

「私ね、小学生のころいじめられてたの。勉強もできず、かわいくないし、何の取り柄もなくて」

 いじめを受けていたなんて今の彼女からは想像できない。こんなにも素敵で純粋な人をいじめる奴は地獄に落ちればいいんだと思った。

「靴隠されたり、バカにされたり、関係ない他人からしたらなんともないことだけど、ウチにとっては自殺を考えるくらいの問題だった」

「変な世の中だよね。社会で何か物を盗んだり、バカにしたり、そんなことをしたら犯罪扱いなのに。学校でそういうことが起こったら『いじめ』っていう言葉にすり替わる」

 気の利いたことを言ったつもりだが、梨花が求めているのはそんなセリフではないらしい。

「ウチね、ぜったいこいつらを見返してやると思ったんだ。だから中学校に入ったときめちゃめちゃ勉強したり、部活がんばったりした。でもなんか虚しかった。それからずっと強がって生きてきて、どうしたらいいかわかんなかったんだよね」

 梨花特有の悩みのように聞こえるが、こういう悩みを抱える人は多いはずだ。私は、彼女に賛同するように首を縦に振り続けた。

 そうこうしているうちに2時間目が始まった。国語の授業だ。次はどんな話が聞けるのかとワクワクした。

「今日はある物語を読み、それについてみんなで考えていく」夢山先生は言った。

 この学校、いやこの楽校には教科書がないらしくすべて先生が音読をし、生徒(とは言ってもいい年をした大人たち)が耳を傾けるというスタイルのようだ。


〈遠い昔、とある小さな島があった。小さいと言っても十分に人が生活できるくらいの小さな集落のようなところだ。島の中央には階段があった。住人はみんな、その階段をいかに早く駆け上がるかに人生をかけていた。

 現代の視点で考えればその行為はとても奇妙に見える。しかし、住民にとっては誰よりも早く、きれいに、美しく階段を上がるかがステータスとなっている。別に階段の先に何があるわけでもない。ひたすら階段を上がることに必死になる住民がその島にはいたんだ〉

「みんなこの話を聞いてどう思う?」夢山先生が語りかけるように全員に質問した。
「ばからしい!なんでそんなことに命を懸けるんだ」と誰もが言った。もちろん私もそう思った。

 すると夢山先生が表情一つ変えずにこう切り出した。

「お前たちも同じなんだぞ、実際は」

「???」教室にいる全員がこの先生は何を言っているのだろうと思った。

「お前たちは、世間体を気にして強がり、受験勉強や就職にこれでもかというくらい取り組んでいるよな。なぜだ?」

「それをすることで道が開けるからです」
私の位置からは見えない図太い声の男性がそう言った。

「じゃあお前らは、現にそういうものを経験してきていい人生になったか?だとしたらなんでこんなとこにいるんだ?」
「……」
 教室全体が無言という空気に支配された。

「さっきの物語の島の住人だって、階段を上ることで人生は豊かになると誰もが信じていたのかもしれない」
 夢山先生は無言の空気などもろともせず、言い放った。

「いつかこの時代の風習も古い物語になる日がくる。受験勉強や仕事というものにしがみつき、それによって生きていた時代があったんだってな」

 先生はさらに続けた。「お前らは〈社会〉や〈常識〉といった実態のないものに惑わされ、人々がつくったレールに乗っているだけに過ぎない。そんなもの捨ててしまえばいい」

 ずいぶん極論だが、たしかに受験や就職という制度がいつかなくなる日が来るのかもしれない。現在当たり前だと思っていることがいつかの時代に当たり前じゃない日がくるのかもしれない。
 このようなことを考えるのも哲学なのだろう。日常に起こっていることに疑問を持ち、新しい価値観を生み出していくことが哲学の一つの重要な役割なのかもしれない。

「次は詩を朗読する」夢山先生は次の話題へと進めた。

 なんだかおもしろい国語の授業だ。教科書もないし、答えを出す必要もないし、ひたすら考えて授業をする。こんなスタイルの勉強だったら大人だけでなく、子どもだって楽しいはずだ。

 そういえば私はもともといた世界では今、陸上部の練習中だったが、そんなことはどうでもいいと思ってしまった。
 おそらく生徒は心配しているし、私を探して大騒ぎになっているかもしれないが、今は何よりこっちの世界の体験に全身全霊を傾けたい。

 夢山先生は詩を朗読し始めた。

「好き」って何と友達からきかれた
説明できなかった
「愛する」って何と友達からきかれた
「好き」とか「愛」とか
どんなものなのか説明できなかった
いろいろ考えた
ずっと一緒にいたいとか
瞳を閉じれば自然と浮かんでくる人とか
「好き」とか「愛」とか
よくわかっていないのに
誰かのことを好きと言ったり
誰かのことを愛してると言っていた
「好き」とか「愛」とか
そんなもの現実にないと思っていた
そんなきれいなもの現実にあるわけがないと思っていた
少なくともあなたに会うまでは

 急にセンチメンタルな話になり、先ほどの階段の話から頭を切り替えるのに時間がかかった。

「好きって何ですか?」

 教室の誰かが夢山先生に質問した。たしかに大学4年間、イデアを中心に哲学を勉強してきたもの、「好き」という感情そのものについて考えてこなかったし、疑問さえも持たなかった。
 いったいどんな答えが返ってくるのだろうとワクワクしながら先生の答えを待っていた。

「そんなもの言葉で説明できない」

 少しがっかりした。あれだけいろいろなことについて熱弁していた先生が「好き」ということがなんなのか説明できないなんて。誰が書いたのかわからないがこの詩の中でも、「好き」や「愛」についてはよくわからないと言っている。

 夢山先生はさらに続けた。

「世の中にはどうしても言葉で説明できないことがある。だからこそ美しい。『好き』という感情だってそうだ。誰かを好きになれること自体がすばらしいのだ」

 なるほど。この世の中には説明できないことがあり、だからこそ美しいというのはまさに哲学のような考え方だ。たしかにイデアだって、言葉で説明することができず、想像したり、感じたりして楽しむ。だからこそ私も哲学に魅了され続けたのかもしれない。

 言葉で説明ができないということはそれだけ広がりがあり、限界もない。まさに永遠の快楽といってもいいのかもしれない。

 授業終了のチャイムが鳴った。なんだかモヤモヤした気持ちになりながらも、もっと知りたいという欲が出てきた。問題を解いて答えを出すという単一的な勉強ではなく、梨花の言うように「永遠の快楽」という類の勉強に出合えるかどうかで人生の豊かさも変わってくるのではないだろうか。

 私だけでなく、教室にいるほぼ全員がそれぞれ想いにふけ、休み時間が「シーン」という空気感に包まれていた。それは否定的な意味ではなく、深い思考にふけっているような印象だった。

 

 そういえば私が中学1年生のころ、ある女の子に告白をした。今では名前も覚えていない。まあ、中学生の恋愛なんてそんなものか。いや、そんなの私だけだろうか。

「好きです。付き合ってください」
 放課後、夕日をバックに私は彼女に手を差し出した。

 彼女は戸惑う様子を見せながらも、恥ずかしそうに顔を上げた。その様子を見て、私は「いける」と思い込んでいた。少なくとも彼女がこの言葉を言うまでは。

「私のどこが好きなのか説明して」

 答えに窮した。何も言えなかった私を見て彼女は肩をガクッと落とし、あっさりとフラれてしまった。今思えばあのとき説明できなかったのはある意味正解だったのかもしれない。


「家族って何ですか?」

 またもや回答に窮する質問が夢山先生に向けられた。60代くらいのまるで「日本のおばさん」というイデアと言っても過言ではない品のいい女性が切なそうに言った。

「そんな簡単なこと訊いてどうするんだよ。家族っていうのは血がつながっている関係のことだろ」

 教室の誰かが言った。それに便乗するように「血がつながってなくても、再婚することもあるし、いろんな理由で家族って呼ぶことあるじゃん」とか「うちの犬も血はつながってないけど家族だもん」という声も上がり、明確に説明できる者はいなかった。おそらく「家族」というのも言葉で説明できない部類になるのだろうか。

 このとき初めて「家族とは何なのか」について考えた。私は中学の教員になりたてのころ、中学1年生の担任を持つことになった。そこに少し、やんちゃな男子生徒がいた。授業中にぺちゃくちゃ喋るわ、いじめはするわ、万引きはするわで私の手に負えなかった。

 するとある日、ぱたりとその生徒が学校に来なくなった。どうしたものかと別の職員に尋ねると、どうも少年院に入ったらしい。当然の報いだと思っていたが、風のうわさでその生徒には、父親も母親もいないということを知った。

 あの時の衝撃は今でも身体に残っている。生徒の素行ばかりに目が行き、彼が日々どんな気持ちで、どうやって生活しているのかなど考える余地もなかった。当たり前の存在である家族がいないというのはどれほどつらく寂しく、過酷か私は想像するだけで恐ろしくなった。いったい人の人生において、家族とはどのような意味を持つのだろうか。

私の回想に畳みかけるように夢山先生は言った。

「『家族』とは『無条件で信頼できる関係』のことだ」

 これほど的を射た答えがあるものかと驚いた。たしかに、あの時の彼に必要だったのも、無条件で信頼できる家族のような存在だったのかもしれない。もしあのとき、私がその存在になれたら彼はもっと希望あふれる生活ができたのかもしれない。

 少年院に入ることは褒められたことではないかもしれないが、聞くところによると、そこは刑務所のような場所ではなく、少年が社会復帰できるように更生させる教育施設であるという。他力本願になってしまうが、そこで彼が「無条件で信頼できる誰か」に出会えることを願ってやまない。

 思い返してみれば、私もおばあちゃんのことを無条件に信頼してたように思う。文字通りおばあちゃんの言うことは「信」じ、「頼」っていた。

「ピーラパッパ」

 つらいときにこれを言えば楽になる。おばあちゃんが教えてくれたおまじないだ。小学生だったころ勉強は得意だったものの身体が比較的小さく、いじめられっ子だった私は嫌なことがあるといつもおばあちゃんに話していた。そんなときおばあちゃんが教えてくれたのがこのおまじないだ。

 いじめられたときはもちろん、仲のいい友達とけんかしたときや、夜眠れないときも常に呪文のように唱えた。本当に状況が改善したかどうかはわからないが、少なくとも気持ちは楽になった。

 中学2年のあるとき数学のテストで赤点を取ったときも「ピーラパッパ」と言ったら父親に怒鳴られた。中学を卒業するまでこの魔法の言葉を大切にしてきた。これがもし無条件で信頼できる人の呪文でなければ耳を傾けることなんてせず、ましてや使い続けることなんてなかっただろう。

 これは仕事においても、人生においても言える。話の内容や意味ももちろん大切だが、「誰が言ったか」というのが全てだ。信頼できる誰かの言葉ならばそれがどんなものであっても、無条件に信頼してしまう経験はないだろうか。

「本当の自分がわかりません。どうやったら見つかりますか?」

 3時間目の授業の冒頭で、大学生らしき男が真剣な表情で夢山先生に投げかけた。この楽校では授業の冒頭でこのように誰かが日々疑問に思っていることを夢山先生に投げかける形式で始まるらしい。たしかに私も、数年前まで自分は何者なのか、何がしたいのかなど考えていた。それは仕事というルーティンワークに追われてからは、それをこなすのに精一杯で、ほとんど考えなくなっていた。

 思い出してみれば、私が大学生のころも周りで「自分探しの旅」とかいうのが流行っていた。それも海外に行く人が多かった。こちらからすれば単なる旅行か放浪のように見えたが、彼らにとっては重要な意味を持っていたらしい。

 海外に本当の自分というのがいるのかいささか疑問であり、実際に帰ってきた友人の話を聞いても本当の自分なんて見つかっていなかったように思う。もちろん旅から学ぶことは計り知れないが、旅と自分探しはまた別の問題のようである。

「俺、大学に入って何すればいいのかわからなくなったんすよ。とりあえず国際とかそういう学部に入ってなんとなく語学とか世界の状況とかやってんすけど、ぴんとこなくて……」大学生は言った。

「なんで僕たちは勉強するんですか?」

 出た!私が最も答えに困窮してしまう永遠の問いが。どうも今までの大人たちとはかなり年が離れているように見える実際の中学生くらいの男の子が夢山先生に質問した。

「俺も知りてー」先ほどの毎日遊びほうけている大学生も魚が餌を求めるかのごとく言い放った。さっきまでの教室のざわめきがうそのように静まりかえり、少しずつ何人かが声を出し始めた。

「いい仕事に就くためだ」
「お金を稼ぐためだ」
「そんなこと考えないで黙ってやればいい」
どれも陳腐なものだった。一方では、

「楽しいからやるんだ」
「興味が広がって人生が豊かになる」
 という意見もあった。しかしその男の子はまだピンとこないらしい。

「柳田、君はどう思う?中学校の先生なんだろう?」夢山先生が私を指名してきた。
「出会いです」

 なんとわけのわからないことを言っているのだろう。勉強する理由が出会いだなんて。こんな答え言わないほうがよかったと顔を赤らめていた矢先、夢山先生は追い打ちをかけるように「もっと詳しく説明してみろ」と求めてきた。苦し紛れに思いついたことを言った。まるでもうこれ以上恥ずかしさを感じることなどないという心持で。

「勉強を続けていれば、こうやっていろんな人に出会えて、いろんな物事に出合うことができます。勉強していなかったらこんなにも素敵な経験はできないと思います」

「すばらしい!」

 ほんの数秒の沈黙の後、夢山先生は言った。

 大人になってこんなに褒めてもらったのは初めてかもしれない。しかも口から出まかせのようなセリフに対して。

「私は『人間としての器を大きくするため』だと思う」先生は続けた。

「勉強は心を広げてくれる。いろんなものを受け入れる器量が身に付く。これは国際社会といわれる現代では最も大切なことだ」
 突然、先生は国際社会について言及し始めた。勉強と国際社会がどのように結びつくのだろうか。

「夢山先生、国際社会だから言語を話せることのほうが大事じゃないですか?」

 教室の誰かがすかさず返した。

「もちろん言語も大切だ。しかしそれ以上に新しいものや自分に馴染みのないものをどのくらい受け入れることができるかが重要だ。文化や考え方、宗教など自分たちとは違う生き方をしている人たちとコミュニケーションがしっかりとれるかということがまず第一歩だ」

 たしかにまだまだ日本人はほかの人と違うことをすると変な目で見られ、みんなと同じであることが良しとされている。意見がちがうと頭ごなしに否定したりもする。勉強というものが人間の器を大きくするものだとしたら、確かにそれによっていろんな生き方が尊重されるかもしれない。

「勉強って自分とは違う意見や考え方を受け入れ、誰かを認めることにつながるかもしれませんね」梨花はこれまでの話を自分の言葉に落として言った。

「その通りだ」と夢山先生は言いながら、黒板に大きく「笑認」と書いた。

「『承認』ではなく、笑いながらそれぞれの良さや違いを認め合える『笑認』をみんなには目指してもらいたい」と締めくくった。こんなにも学びや驚きに満ちた教室こそ「教室のイデア」なのではないだろうか。


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