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スーザン・ソンタグの「ローリング・ストーン・インタヴュー」

残暑が続き、コロナに対する警戒が続く中、生活に占める読書を含むインプットの時間がどうしても長くなる。単にインプットを強めると頭でっかちになってしまうので、アウトプットとのバランスをとるためにもnoteに書き留めておこうと思う。

ローリング・ストーン誌のNetflixドキュメンタリー”Stories from the Edge"で写真家アニー・リーボヴィッツがジョン・レノンが銃殺される数時間前に撮ったジョンとヨーコの写真の話が出てくる。 写真はジョンとの約束通りローリングストーン誌の表紙を飾ることになる。映画「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうに」でも彼女の代表作の一つとして当然取り上げられている。

そのリーボヴィッツと死ぬまで親密な関係にあったとされるのが20世紀アメリカを代表されるリベラル派知識人と言われるスーザン・ソンタグである。

ソンタグは先に書評を書いたナシーム・ニコラス・タレブとは犬猿の仲のようで、タレブにとって「知識人」こそ「身銭を切らない」代表者であるし、一方市場主義に背を向けるソンタグにとってトレーダーを本職とするタレブは興味を持つに値しない職業人だということになる。タレブが著書「身銭を切れ」で2001年のテロ事件の二か月後にニューヨークのラジオ局でソンタグと初めて会ったときの様子を語っている。トレーダーであることを知った途端、話の途中で背を向けられたのだと言う。

そのエピソードが記憶に新しく、タレブがこき下ろす知識人の代表者であるソンタグに興味を持ったので、彼女の著書を調べて見たところ偶然見つけたのがこの本だ。

ローリング・ストーン誌のインタビューのために初代ヨーロッパ担当編集者だったジョナサン・コットが1978年にソンダクへのインタビューを決行し、1979年10月に「ローリング・ストーン」誌にその三分の一が掲載されたものの完全版である。

インタビューはニューヨークの106丁目に近いハドソン川が見えるペントハウスで行われた。部屋には8000冊の本が並び、彼女はこれらの本を「私自身のための検索システム」であり、「私の憧れのアーカイヴ」だと呼んでいる。1977年に刊行された「写真論」短篇集「わたしエトセトラ」「隠喩としての病い」の話が大勢を占める。このためこれらの著作を読んだことの無い私にとっては正直理解しづらい部分が多い。

知識人であることを誇りに思うソンダクは、「知識が高いということは、(中略)自分の存在を維持する唯一の在り方なのだ」、「頭を使っているときとか、何かが活発(自律的)にしてくれる。これは良いこと」だと日記で綴っている。一日に一冊本を読む多読家だ。

ジョナサンはインタビューの中で、先に挙げたソンタグの著書を足掛かりに彼女の考えや著作でのコメントを、時には称賛し、時には疑問を投げかける。

「隠喩としての病い」では彼女自身が癌にかかった経験に基づく数々の思索が含まれている。「病気の原因は精神状態であり、意志の力でなおせるものだという理論は、間違いなく、病気の肉体にかかわる面がいかに理解されていないかの目印である」と、科学を尊重する気持ちがなかった過去の歴史を非難する。また同じ病気でも結核や白血病がロマンティックな要素を付加し、自己のイメージ引き上げに効果をもたらしたことを指摘する。

ロックについてのやり取りも面白い。ソンタグは「ロックで人生が変わった」と公言する。彼女は「あなたに笑われそうだ」と言いながら、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツやチャックベリーに「やられた」過去を語り、さらには「離婚しよう、アカデミックな世界から出て新しい生き方をしよう」と決心した理由だとまでいう。

アカデミックな世界にどっぷりつかっていた彼女は、当時は「ポピュラーな文化というか大衆文化になじんている人と高尚な文化に入り込んでいる人」がまったく切り離されていたが、彼女は「構造主義とか記号論」についても関心はあるが、CBGB(NYCにあったパティスミスやテレビジョンといったパンクロックのミュージシャンが出演したライブハウス)にも行ったりする、と言う。

ジョナサンは前書きで、ソンタグの考え方の前提には「考えることと感じること、形式と内容、倫理と美学、意識と官能といった二極化して捉えられていることがらは」「対の逆の側の一側面を表しているものと単純に見ることはできないか」という問いかけであった、と言う。「構造主義とか記号論」とCBGBはその二極化の代表だろう。

先にソンタグに無視されたタレブは「身銭を切るもの」で、「ソンタグに無視されたことを自分自身で納得するために、(市場主義に背をむける)ソンタグはどこかの田舎で慎ましく生きているのだろう、と思うようにした」、「ところが二年後にソンタグの死亡記事には、ソンタグが強欲に執筆の前金を採っていたことを出版社が暴露し、死後約30億円で売却した豪邸を所有していた」と言っている。

このレトリックはいわゆる知識人を批判するのによく使われるレトリックだ。ガルブレイスが言う「裕福な人々」であるソンタグがタレブが言う本当の美徳(儲けた金を他人に使うこと)を十分実践していたかどうかは定かでは無いが、おそらく他の「裕福な人々」と同様だろう。

実はこの本を読む前に読んだのが、橘玲の「「読まなくてもいい本」の読書案内」だった。その中で「読まなくてもいい本」の代表例として挙げられていたのが「構造主義とか記号論」=ポモ=ポスト・モダンだ。橘氏は学生時代にポモが流行していたので何度も理解しようと努めたが、難解で理解できなかったそうだ。それがその後ポモが難解であること自体が目的になっていたような流行だったことが明らかになり、今やだれにも相手にされなくなったのだという。

橘氏は逆に「読むべき本」として「複雑系」、「進化論」、「統計学・ゲーム理論・行動経済学」、「脳科学」を挙げている。こういった分野の登場でメインストリームから追いやられたのが、ポモやフロイトを代表するような心理学・長年新しい考えが生まれなかった哲学だった。

橘氏は自分がリベラリストであることを公言する一方、リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僭称している日本のリベラルと名乗る人たちを非難している

経済に興味を持つようになると、「リベラル」への違和感はますます大きくなってきました。経済学(とりわけマクロ経済学)のすべてが正しいとはいえませんが、統計データや実験に基づいて「科学」として日々検証されていることは間違いありません。それに対して「リベラル」な文系知識人は、自分たちの生半可な知識(哲学)によってアダム・スミス以来の膨大な知の堆積を無視し、荒唐無稽な批判を繰り返してきたのです。

橘氏は日本のリベラルは世界標準(グローバルスタンダード)のリベラリズムとはかけ離れた、日本独自の奇怪な思想、だという。検証されていない、という点ではタレブの言うリスクフリーの人々とも通じるところがある。

米リベラル派のソンダクは晩年ボスニアをめぐる対立に遭遇してサラエボに滞在し、朝日新聞に掲載された大江健三郎との「未来に向けて」と題する往復書簡の中で、きわめてあからさまにユーゴスラビアへのNATOの空爆を支持する自説を防衛した

「苦悩と多くの疑いを抱きながらも、確かに私は北大西洋条約機構(NATO)のによるセルビア爆撃を支持しました。かつてユーゴスラビアだった地を、スロボダン・ミロシェビッチが破壊し続けるのを食い止めるには、軍事介入しかないと考えたからです」、「なかには正義の戦争だとみなしうる戦争も、きわめて少数ではあれ、たしかにあります。戦争という手段をとらなければ、武力による侵略をやめさせる道がないという場合に限って」。

またソンダクは2001年の同時多発テロ後にはアメリカの外交政策を批判、保守派から「売国奴」と猛攻撃を受けている

「まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない。テロの実行者たちを「臆病者」と批判するが、そのことばは彼らにではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮(さつりく)を行ってきた者(我らの軍隊)の方がふさわしい。欺瞞(ぎまん)や妄言はなにも解決しない。現実を隠蔽(いんぺい)する物言いは、成熟した民主国家の名を汚すものだ」

この二つのソンダクの主張を見ると先にコットが指摘した「対の逆の側の一側面を表しているものと単純に見ることはできないか」という彼女の考え方の前提がよくわかるように思う。物事の二極性を鳥瞰的に見て是々非々でニュートラルに判断するという考え方は日本でリベラルと名乗る人よりも公平だ。

ただジョーン・ディディオンについても感じたことだが、わたしは60年代-70年代という時代の真っただ中にいたソンダクの78年のインタビューに対してその時代のノスタルジアを感じる一方その後のパラダイム変化を考えると古臭さを感じる。

ソンダクはいみじくも、「もし書物が消滅したら、歴史は消滅する、人間も消滅する、と。その通りだと思います。(中略)読書は一種の逃避、「現実の」日常世界から想像の世界への、書物の世界への逃避としか考えられない人もいます。書物はそんなものではありません。本当に人間らしくなるための手段なのです。」と言っている。

果たして彼女の書物は消滅するのだろうか。このインタビューだけでそう判断するのも性急だろう。次に「スタイルこそラジカルな意志を持っている」とソンダクが指摘したとされる「反解釈」を読んでみることにしよう。

ほぼ30年後に著した「反解釈」のまえがきでソンタグは次のように60年代を総括している。60年代とは郷愁が欠けていたという点でパンクロックと同じだったのだ。

「回顧するかぎり、すべてはなんと素晴らしく思えることか。心底から願望が湧き上がってくる、その大胆さ、楽観主義、商業を軽蔑する気持ちの一部でもいいから今に至るまで持続していてほしかった。近代に固有な心情の両極に郷愁(ノスタルジア)とユートピアの観念がある。現代は六十年代とレッテルを貼られた時代の最も興味深い特色は、当時はこのうちの郷愁というものが大きく欠落していたことかもしれない。そうして見ると、それはまさにユートピア思想の色濃い瞬間だったのだ」

最後にひとつ。知識人とされるソンダクも私生活では矛盾に満ちていたようだ。息子のデイヴィッド・リーフによるとアニー・リーボヴィッツとの関係は複雑極まりなく、「優しさがなく、親切な態度が取れず、怨恨を抱いているという点でこの2人以上にひどいカップルは見たことがない」という。デヴィッドはリーボヴィッツのことを好きではなかったけれど、ソンタグの態度を見かねて「『アニーにもっと優しい態度をとるか、別れるかどちらかにしなさい』と言ったのは1回だけではない」という。これも二極性の現れなのだろうか。



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