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幼稚園に伝えたい101回目のグラシアス

もしいつかこの数年のメキシコ生活を振り返って、一番感謝を伝えたい相手は誰かと問われたら、わたしはきっと「娘の通った幼稚園の先生たち」と答えるだろう。

「ここはあなたの娘とあなた方家族にとっての、第二の家なのよ」ーーかつて先生からもらった言葉が、いまも忘れられない。あれからもうすぐ8ヶ月だ。

「グラシアス(ありがとう)」を100回言っても足りないほどの感謝を、娘の成長の記録と共に、ここに書き留めたい。

日本でいう「幼稚園の年少さん」は、メキシコでは満3歳の9月から始まる。けれど大抵の幼稚園に、満2歳の9月から入れる「プレ」、さらには満1歳の9月から入れる「プレ・プレ」があり、満3歳未満の子どもたちにも、音楽、体操、数学、英語といった幼稚園年少クラスと同じ科目を、年齢に合った方法と内容で教えてくれる。

娘は2歳4ヶ月のとき、家から車で10分ほど離れた地元幼稚園のプレクラスに通い始めた。9月にスタートする年間クラスを前に開かれた、6週間のサマーキャンプが最初だった。

正直に言えば、サマーキャンプの申し込み手続きを済ませてから登園初日を迎えるまでの数日間、わたしは娘に対してたびたび後ろめたさを感じていた。「お友達ができた方がいい」、「毎日の生活にリズムができた方がいい」。娘のために聞こえる理由を並べて入園を決めたけれど、あの頃一番幼稚園を必要としていたのは、娘ではなくわたし自身だった。

「文章を書きたい」ーーいつからか、そう思うようになった。自分が何をしたいのか、こんなにもはっきりと自覚したのは初めてだったように思う。気づけば頭の中はいつも「書きたいこと」が逃げて行ってしまわないよう追いかけていて、どこか上の空のまま娘の相手をしていた。そんなわたしに不機嫌になる娘と、その娘に不機嫌になるわたし。夜寝かしつけをしながら、その日を振り返って自己嫌悪で悲しくなった。

「一日数時間でいい、ひとりでじっくり物を書く時間があれば」

あれば、何がどう変わるのか。それはわからない。わからないけれど、何かは変わる。娘と手をつなぎ、初めて幼稚園の扉を叩いた頃のわたしは、そんなすがるような思いだったのだ。

「リュックをね、背負ったまま絶対に下ろそうとしないのよ」

通園を始めて数日目、迎えに行くと、担任の先生が少し困った表情でそう言った。サマーキャンプ中は制服もバッグも園指定のものはなく、各園児好きなものを使っていた。先生が言う「リュック」とはお弁当と水筒と着替えの服を入れてわたしが娘に持たせていた、セサミストリートの赤いリュックのことだった。登園すれば降園まではもうリュックを背負うことはないのだから大丈夫だろう、と選んだ、90センチに満たない娘の背には随分とアンバランスに大きなリュックだった。

それを幼稚園にいる間いつ何時も下ろそうとしない、というのだ。あの大きな赤いセサミストリートのリュックを背負って、滑り台をすべる娘の背中を想像する。なんだか胸のあたりがぐっと詰まってしまった。

「きっと彼女にとっての”Seguro(セグロ)”なのよ」

先生は言った。保険、安心、安全。Seguroとは、そんな意味だ。わたしと離れている間の、安心材料。日本でもし共働きを続けていたら、もっとずっと早くから保育園に行っていたはずなんだから。そう自分に言い聞かせるのとは裏腹に、慣れないマスクをつけ、生まれて初めて母と離れ、日本語の通じない世界に放り込まれた娘の不安はどれほどだろう、と考えてしまう。

表情を曇らせるわたしを見て、先生は続けた。

「大丈夫よ、必ず自分からリュックを下ろしてくれる日が来るわ。ここはあなたの娘と、あなたたち家族にとっての、第二の家なんだから」

それから、その先生は毎日のように短いメッセージで娘の様子を教えてくれた。その日どんなだったか、なるべく一喜一憂しないように彼女からの報告を聞きながらも、楽しそうに過ごしていたと聞くと、心底ほっとした。幼稚園が娘にとって安心して心を開ける場所にならなければ、心から書くことに集中できない気がした。

サマーキャンプに通い始めて3週間ほどが過ぎた頃、お迎えに行くと満面の笑顔で先生が出てきた。

「朝教室に着いたら、もう自分でリュックを下ろして、自分の棚にちゃんとしまってるわよ。ここが安心できる場所、ってわかってくれたみたい」

9月の新学期が始まったあとも、すべてがすんなりいったわけじゃない。

リュックを下ろせるようになったと思ったら、今度はお弁当を食べない。制服を着ない。お遊戯会でトナカイ衣装を拒否する。「嫌なことは断固として嫌」な娘の意志は固く、わたしはそのたびに幼稚園の先生たちのおおらかさに救われた。

「お弁当食べたくないなら幼稚園にあるビスケットを食べればいいのよ」

「制服じゃなくたって動きやすい服ならなんだっていいのよ」

「トナカイじゃなくたって茶色っぽければいいのよ」

ああ、そうだよね。みんなと同じことをしようと頑張る必要も、させようと頑張る必要もないよね。それよりも、楽しく過ごせて、楽しく見守れる方が大事だよね。

ーー幼稚園から「別にいいのよ」と言ってもらうたび、わたしの中の凝り固まった考えが消えていった。

8か月前赤いリュックを肌身離さず背負っていた娘は、気づけばずいぶんと逞しくなった。メキシコ人のクラスメイト達に日本語、スペイン語、英語ごちゃまぜの言葉で話しかけ、子ども同士ふざけ合いながら毎日元気に遊んでいる、と先生が写真とともに教えてくれた。

書く時間がほしい。すがるような思いと拭えない後ろめたさを抱えて、去年の夏に幼稚園の扉を叩いた。

いま、あの頃の自分をこうしてやさしい気持ちで振り返られるのは、紛れもなく、幼稚園のおかげだ。第二の家にあたたかく迎えてくれて、グラシアス。おおらかに娘の成長と母としてのわたしの成長を見守ってくれて、グラシアス。

きっとこれからも、数えきれない「グラシアス(ありがとう)」を伝え続けながら、わたしたちはこの幼稚園とともにメキシコ生活を送っていくのだろう。


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