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わたしたちは、あの日同じ喜びを分かち合ったから

胸を張って「サッカーファンです」なんて全然言えない。それでも、一生忘れないと断言できる試合がある。

2010年7月11日。その日を思い出すとき、頭の中ではいつも、悲鳴のような、地鳴りのような歓声が鳴り響く。眼前は代表ユニフォームを着た人々で埋め尽くされ、まるで真っ赤な海のようだった。

喜びのエネルギーが、爆発している。全身に鳥肌を感じながら、そんなことを思った。

留学生活を始めてから、わたしはこの街でそう歓迎されているわけではない、と気づくまでに、あまり時間は掛からなかった。

ビザの手続きで役所に行けば、窓口の向こう側の相手は不機嫌さを前面に出した態度で応対する。聞き返せば急にきつい口調で怒鳴りはじめ、こちらの要件が終わってなくても、さっさと次の客を呼んでしまう。

スーパーで買い物をすれば、釣銭を投げるように返される。

街を歩けばじろじろとした視線を向けられる。

中学生と思しき少年たちとすれ違えば、「チノ!(中国人)」と叫ばれ爆竹まで落とされる。

相手の負の感情に、気づかないふりを装って堂々と笑顔を返していれば、違ったのかもしれない。

「みんなこの国の不況を誰かのせいにしたいのよ。」

語学学校の授業前、教室で愚痴を言い合うわたしたちに先生はそう言った。頭では理解できても、心では納得できなかった。大学4年目の春。今より、ずっとずっと狭い世界しか見えていなかった。

だから、開幕が迫るワールドカップでスペインを応援しようと盛り上がるクラスメイトのことも、はじめはなんとなく冷めた目で見ていた。

この国を愛する心、サッカーを愛する心、代表チームを愛する心。その3つのうちのどれ一つとして、わたしは持ち合わせていなかった。

とはいえ、留学生活は余白の時間が多かった。放課後、ステイ先の小部屋にこもり1人Youtubeを観て過ごすのも気が進まなくて、結局友人たちに誘われるがまま、スクリーンの設置されたバルへと向かった。

応援してるわけじゃない。いま自分が暮らすこの国のことを客観的に「見る」だけ。誰に向けたんだかわからないそんな言い訳を、心の中で呟いていた。

スペインはリーグ初戦でいきなりスイス相手に負けた。画面に映し出される選手たちの顔には、焦りと落胆の色が滲んでいた。バルの店員も、店で観戦していたほかの客も、誰もががっくりと肩を落としていた。代金を払い、「次の試合もまた観に来るよ。」と友人が言うと、店員は「ありがとう」と力なく笑っていた。

たかが、なんて言っちゃいけないのは分かっている。それでも、試合ひとつでここまで落ち込むか?と言いたくなるほど街中、いや国中が落胆していた。

学校の帰り、友人に素直な感想を口にすると、彼はこう言った。

「スペインの人たちにとって、サッカーは生きることそのものなんだ。プロ選手、ましてや代表選手ともなれば、小さい頃から憧れ続けてきたヒーローで、老若男女を問わず誰もが誇るこの国のサッカー文化の、象徴みたいな存在だ。」

そして、彼はこうも続けた。

「そんなスペインにとって、ワールドカップは鬼門なんだ。強豪国でありながら、過去優勝したことがないどころか、ベスト8が最高。UEFAユーロ選手権で優勝したメンバーで臨む今回が無理なら、きっとこの先も無理だ、って自分たちで追い込んでんじゃないかな。」

友人は熱烈なサッカーファンだ。この街で同じ留学生として同じような日々を送ってきたはずなのに、彼はサッカーというスポーツを通して、わたしの知らないスペインを見ているようだった。

初戦以降も、スペイン代表は調子がなかなか上がらなかった。グループリーグ残り2試合になんとか勝ち、決勝トーナメントへの進出を決めたものの、街の人々も、連日ワールドカップを報じるテレビ番組も、膨らむ期待と不安でどこかそわそわとしていた。ここから先は、負けたらそこで終わりだ。

いよいよトーナメントが始まった日、学校から帰り昼食を済ませて、街の中心へ向かう。川の横を歩き橋を渡っていつものバルへと急いでいると、よくバルで見かけるおじさんが数メートル先を歩いていた。少しだけ見える横顔が心なしか緊張で強張っていた。わたしももしかするといま同じ顔で歩いているのかもしれない。ふとそう思うと、なぜだかちょっと嬉しかった。

決勝戦に辿り着くまでの3試合は、まるで高くそびえる山を登っているような感覚だった。ポルトガルとの1回戦、パラグアイとの準々決勝、ドイツとの準決勝。立っている場所を見ると怖くなる。でも頂上からの景色をどうしても見たい。試合を重ねるごとに、気がつけばわたしは傍観者から当事者へと変わっていた。

そして、7月11日、オランダとの決勝戦を迎えた。泣いても笑っても最後の試合となるこの日、バルの外の巨大なスクリーンで、大勢の地元客と一緒に試合を観ることにした。

少しずつ太陽が傾いていく夏空の下、代表カラーの赤に身を包んだ観客がずらりと座り、祈りにも似た眼差しで試合を見守っている。スペイン代表が攻め込むたび、巨大な歓声が波のように寄せては引いていった。両者得点のないまま延長後半に突入する頃には、空気が張り詰めて呼吸が浅く感じられた。

その空気がぶち破られたのは、延長後半11分だ。

イニエスタが右45度から蹴ったボレーシュートがゴールに吸い込まれていったその瞬間、地鳴りのような歓声に足元から全身を揺さぶられ、気がつくとわたしは声にならない叫びをあげて、立ち上がっていた。それが決勝点だった。

そこから先は、もうめちゃくちゃだった。ぶつかり合うように次々とハグをして、そのまま誰かの車に乗り込んで街の中心にある大きな噴水を目指した。誰彼かまわず車の窓から国旗を振り、クラクションを鳴らし合う。広場に着くと、噴水が見えなくなるほど大勢の地元民がそこに集まっていた。

「スペインの人たちにとって、サッカーは生きることそのものなんだ。」

友人の言葉がよみがえる。

ああ、いまこの人たちは、最高に生きている。身体中に生きるエネルギーがほとばしっている。

そしてわたしも、いまここで生きている。家族でも、友人でもないただの外国人だけれど、この瞬間は彼らと同じ景色を見て、同じ喜びを分け合っているんだ。

赤いユニフォームで埋め尽くされた噴水の前で、そう感じながら鳥肌が止まらなかった。

あの日を境に劇的に何かが変わったわけではない。街を歩けばやっぱり「チノ!」と叫ばれたし、店では釣銭を放るように返された。

それでもわたしは、なぜだか以前ほど彼らを嫌いになれなかった。

それはきっと、あの日わたしたちが同じ喜びを分かち合ったからなのかもしれない。

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