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日本語を定期的に書くリハビリ

アメリカ・マサチューセッツ州ボストンの大学院にきて1年になる。

留学前に他サイトでブログを立ち上げて記事をいくつか書いたりしたのだけれど、大学院の授業や課題に追われ、あまりに忙しすぎて日本語で文章を書く時間が取れなかった。

結局そのブログは留学ブログによくある「現地に到着したところで途絶えた」状態になってしまっている。放置状態のブログをどうするかはずっと気になっているのだけれど、ひとまずいまは忙しさが少し落ち着いたので、ここで日本語を書くリハビリをしたいと思った。

この1年で、これまでの人生とはだいぶ違う経験をしていろいろと考える機会に恵まれたので、それを形に残さずに雲散霧消させてしまうのはもったいないかなと思った。

海外にひとり暮らし、しかもお金のない大学院生なので、そんなにリッチな生活ができるわけではない。そもそも部屋にTVがないのでその手の娯楽には触れずに生活しており、時間ができる長期休暇の時のみ、YouTubeで日本のTV番組を狂ったように再生し続けていた。それに加えてiTunesとiBooksで日本の音楽と本を購入して楽しむのがささやかな喜びだった。

そんな中で、ボストンに家族が来た時に持ってきてもらうよう頼んだのが星野源のエッセイ集「いのちの車窓から」だった。(購入は自分でAmazonで手配)現在自分の手元にある数少ない日本語の書籍のひとつだ。

星野源は以前から音楽も俳優業もずっと好きで見ていたのだけど、このエッセイ集は本当に文章がうまくて素晴らしいなと思った。それを読む誰のことも傷つけないプレーンな文章。繰り返し読んでいくうちに、そこに彼自身の心情すらあまり多くは語られないことに気づいた。どちらかというとそのエッセイ集のタイトル通り、周囲の人たちや近々の出来事について丁寧に言葉を紡いでいる。けれどもその描写から、彼自身の心の動きが垣間見える気がする。

わたしが日本語を書くリハビリをしようと思ったきっかけの一部には、彼のプレーンで優しい文章に触れたからというのもあると思う。こういう文章を書ける人になりたいなと思った。わたしはどちらかというと「その時こう思った」「この時なぜこう思ったのか」と、自分の心情の描写と探求にフォーカスしがちなので、なかなかあのレベルまでたどりつけなさそうだけれども。

あんまり書きすぎると息切れしそうなので、最初のリハビリとしてはひとまずここまで。

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