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エンプティ(empty)

エンプティ(empty)。

日本語にすると「空(くう)」。「無」とは違う。

中に何も入ってない・・・ということは、側(容れ物)がある。その意味で無とは違う。

「Hungry?」で書いた「飢え」と似てるけど違う。

飢えは、「満ちていたものが減って、満たしたい」という感覚。

たとえばこのグラス。残ってるのは一割程度だ。残り九割満ちていたのに飲んでしまった。無い。無。

ではなく、空(から)のグラスが「空(くう)」。

空(くう)であるからこそ、開ける。
外のものがどんどん入ってくる。どんどん出せる。

今朝、以前バンドでやってた『MEZAME』という曲が突然浮かんできて、歌いながら歩いてたんだけど、あの曲の不思議なところは、外に開いていく感覚がある。

思わず、歌いながら、空(そら)を撮った。空へ飛んでいく感覚があった。

可能性というのは、英語にするとpossibilities(ポシビリティーズ)、開くことで出会える。

自分にフォーカスしていると、この、とんでもなく広大な可能性を限定してしまう。

でも、誰のためでもなく、自分のために行動すると、楽しめる。これって、矛盾してないかというとしてない。

「初心に返れ」というが、言い換えれば「空(くう)の姿勢でいましょう」。

生きて、仕事してると、積み上がる。経験とか、ノウハウとか、知識とか。

それらを一切「なかったこと」にして、いまこの瞬間に浮かんだことで生きる、仕事する。

最近セミナーでスライドを用意しなくなった。作ろうと思えば秒でできる。AI使ったりしてね。でも、そうなると、「過去の自分の出したものを現在の自分が解説する」ことになる。それって、瞬間に生きてない。

とはいえ、受講生は何かアウトプットを持ち帰りたいだろうし、会社への報告資料も必要かもしれない。なので、レジュメを用意する。するが、当日その通り話さない(笑)

意図的に話さないのではなく、話せないのだ。瞬間降りてきたアイデアを話すから。

このnoteもそうで、降りてきたものを書いてる。

書き始めたとき「empty」という文字しかなかった。そこからアイデアが降りてくるにまかせて。

これって、実は二元論から脱却するための「ものの見方・考え方」なんです。

人が悩むのは二元論の枠組みで考えるから。

色即是空、空即是色。
カタチあるものは空であり、空はカタチあるものである。

二元論やねん、この般若心経のサビ。

そして二元論って、人の悩みを生み出す。ひょっとすると般若心経がベストセラーだから、二元論が広まったのかもしれん。

ありたい自分の姿はこれなのに、いまの自分はそうではない

「ありたい自分の姿」と「いまの自分」と、二つに分けてるよね?

「スキルアップで転職、キャリアアップしませんか」とビズリーチちゃんが囁きかけてきたとしよう。

たとえば一番左の「年収1,000万円以上の求人が3分の1以上」

「年収1,000万円ある」「ない」の二元論。

一番右「一定の基準を満たした優秀なヘッドハンター」

これ、文章講座的には良くない文章です。なぜなら、形容詞が二つある。
「一定の基準を満たした」「優秀な」が「ヘッドハンター」を形容している。良い文章、伝わる文章を書きたければ、どっちか一つにしましょう。

文章はヨコに置くと、ここでも、
「一定の基準を満たした」「満たしてない」
「優秀な」「優秀ではない」
という二元論の世界。

人を苦しめるのは、二元論なんです。あ、知らぬうちに「ですます」になってる。まあいいか。

瞬間に生きると、二元論の入る余地がなくなる。一瞬一瞬生きる。いまここを楽しむ。

悩み、というのは、「いま」ではなく「未来」についてのもの。

つまり、「いま」と「未来」の二元論。

「この子ったら、勉強もせずゲームばかりやって、大丈夫かしら」

「勉強」と「ゲーム」を分けてる。二元論。

現象的には、子どもが集中してゲームに没頭している。つまり子どものほうが「いまここ」を生きてる。瞬間に生きてる。親より生きてるといえる。

子どもの心配する瞬間があったら、自分の瞬間を楽しみましょう。味わいましょう。

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