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だから出かけよう

めんどくさい世の中である。

音楽番組観てたら(BE:FIRST目当て)、Adoだか御堂筋だかが出て「初・生出演!」字幕が恩に着せよる。

出演ったって、牢屋みたいな中で顔も出さずシルエットだけで、本当に歌ってるのか音源なのかわからん。

あれで喜ぶやつがいるわけで、めんどくさい。あいまい。輪郭がはっきりしない。ところがね。世の中、それで喜んでるんですよあなた。

同時間、Xでは「Adoちゃん」がトレンド入り。「Ado出てるけど顔出さずに工夫してるな。レコ大と大晦日の紅白も同じようにするだろう」「やっぱりホンモンは違う なんちゅう声色なん 発狂ものじゃん 歌唱力ももはや暴力並 最強じゃのぅぅうううう」「Adoさんお台場に降臨!レインボーブリッジを背景にド派手!パフォーマンスカッコいい!」などと書き込まれていた。

日刊スポーツWeb版記事 2023.12.6

まあ、ほんとうにXにこういう投稿があったのか提灯記事かわからんが。

週末エーちゃん(矢沢永吉)会いに大阪城ホールへ行く。エーちゃんの声・顔・汗・動き・演奏の全体を浴びに行くわけで、あれがシルエットだけだったらエーちゃんはここまでビッグになってないし、そもそもエーちゃんはそんなことやらない。

コロナ真っ最中のとき、ZOOMミーティングやってて顔出しなし、音声のみの新入社員がいて、気に入らないから出ていけと言ったのを思い出した。お客さんの社員だが知ったことか。いまから思えばあいつAdoってたわけで先進的なのかもしらん。

何がめんどくさいんだろう。

カチッとしてるところかもしれない。

突然、だれかが来る、というのは、まず、ない。
必ず「アポ」というのがある。まあ、互いに貴重な時間、ムダにしないようにしましょう、というわけで合理的ではあるが、それでは物語が生まれようがない。

物語は、アポなしでこそ、始まる。

トトロが「失礼します。わたくしトトロというものなんですが、いまから出て、いいですか?」と仁義切ってから登場したら物語が転がらない。突然立ってるからいいのだ。

長屋のはっつあん・くまさんがご隠居へ事前にLINEでアポイントメント取ってから行ったんじゃ、落語がZOOMミーティングになっちまう。

「何か用があるから出かける」「用を足すために出かける」てのが当たり前になってるのも世の中を面白くなくしてる。

思い出した。内田百閒先生。

用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。

用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。

内田百閒、特別阿呆(あほう)列車

百閒先生は漱石の弟子。同じ弟子でも芥川龍之介は如才なく世に出たが、そもそも「世に出る」という発想がない。そこが好きだ。

20年愛読してる

昭和25(1950)年ごろの列車の旅。車内販売ある。

何遍でも若い娘が食堂車の方から水菓子を売りに来た。手さげ籠(かご)の手に花を飾り、色色の果物を美しく盛ったのを片腕に掛けて、黙ってしずしずと足音を忍ばせて、前を通って行く。

内田百閒、特別阿呆(あほう)列車

新幹線の車内販売が消えた。

駅で弁当買おうとすると「袋5円ですがいりますか?」聞かれる。ハダカで弁当もって、ホーム上がれってのかい。「旅情」という言葉も、「顧客サービス」と共に、消えていく時代なのだろう。

空見た。なんだか曇ってる。

だから出かけよう。

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