だから出かけよう
めんどくさい世の中である。
音楽番組観てたら(BE:FIRST目当て)、Adoだか御堂筋だかが出て「初・生出演!」字幕が恩に着せよる。
出演ったって、牢屋みたいな中で顔も出さずシルエットだけで、本当に歌ってるのか音源なのかわからん。
あれで喜ぶやつがいるわけで、めんどくさい。あいまい。輪郭がはっきりしない。ところがね。世の中、それで喜んでるんですよあなた。
まあ、ほんとうにXにこういう投稿があったのか提灯記事かわからんが。
週末エーちゃん(矢沢永吉)会いに大阪城ホールへ行く。エーちゃんの声・顔・汗・動き・演奏の全体を浴びに行くわけで、あれがシルエットだけだったらエーちゃんはここまでビッグになってないし、そもそもエーちゃんはそんなことやらない。
コロナ真っ最中のとき、ZOOMミーティングやってて顔出しなし、音声のみの新入社員がいて、気に入らないから出ていけと言ったのを思い出した。お客さんの社員だが知ったことか。いまから思えばあいつAdoってたわけで先進的なのかもしらん。
何がめんどくさいんだろう。
カチッとしてるところかもしれない。
突然、だれかが来る、というのは、まず、ない。
必ず「アポ」というのがある。まあ、互いに貴重な時間、ムダにしないようにしましょう、というわけで合理的ではあるが、それでは物語が生まれようがない。
物語は、アポなしでこそ、始まる。
トトロが「失礼します。わたくしトトロというものなんですが、いまから出て、いいですか?」と仁義切ってから登場したら物語が転がらない。突然立ってるからいいのだ。
長屋のはっつあん・くまさんがご隠居へ事前にLINEでアポイントメント取ってから行ったんじゃ、落語がZOOMミーティングになっちまう。
「何か用があるから出かける」「用を足すために出かける」てのが当たり前になってるのも世の中を面白くなくしてる。
思い出した。内田百閒先生。
百閒先生は漱石の弟子。同じ弟子でも芥川龍之介は如才なく世に出たが、そもそも「世に出る」という発想がない。そこが好きだ。
昭和25(1950)年ごろの列車の旅。車内販売ある。
新幹線の車内販売が消えた。
駅で弁当買おうとすると「袋5円ですがいりますか?」聞かれる。ハダカで弁当もって、ホーム上がれってのかい。「旅情」という言葉も、「顧客サービス」と共に、消えていく時代なのだろう。
空見た。なんだか曇ってる。
だから出かけよう。
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