ただの自分
歌舞伎町ホストクラブに入って、ホストが一番最初に教えられるのは
「お客さんの年齢と職業を、聞いてはいけない」
「目の前のライターで1時間話せるようになろう」
お客さんの女性は、日常から離れたくて店に来ている。
彼女の日常とは、「枠」だ。
娘
誰それさんの奥さん
なんとか会社の社員
年齢
結婚していたとしたら「子どもはまだ?」
社会常識がほんらい多彩な人間の個性を単純化する。個性を殺し、刷り込む。
この社会常識というのは、ある一定の年齢になったら学校に入り、ある一定の年齢になったら就職し、ある一定の年齢になったら結婚、ある一定の年齢になったら出産・・・
という、近代以前の女性のあり方が刷り込まれ、「枠」として残ってしまっている。
歌舞伎町のホストクラブはこの20年来最高の数で、およそ250軒、ホストは5,000人在籍しているという。市場規模およそ600億円。
つまりそれだけ需要が高まっている・・・ホストクラブへ行く女性が増えている、ということであり、言い換えれば「枠」や「刷り込み」に息苦しさを強く感じている。
こんなに社会が変化し、発展したというのに。
ホストクラブでは、「何者でもない、ただの自分」になれる。そこに開放感を味わう。
気づいた。「社会通念からフリーになり、何者でもない、ただの自分」になるのは、禅寺で座禅組む成果と同じだ。結跏趺坐(けっかふざ)。ただ、壁に向かって座る。
道元「自己をわするるなり」。これは、刷り込みでレッテルベタベタの「自己」ではなく、まっさらの、他の誰でもない自己を取り戻そう、という意味。
『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ)「あなたのこころと対話しなさい」
これも同じで、「こころ」というのは、「生まれてきた意義、これがやりたい、楽しみたい、と思って生まれてきた意義」を知っている。でも、生きていく中で、俗世間に流れる通念が刷り込まれ、レッテルだらけになる。
ホストクラブで遊ぶことは、禅寺で結跏趺坐し瞑想するのと同じだし、自分のこころと対話しながら砂漠を歩くのと同じだと学びました。
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