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哲学とは自分を救ってくれるもの

東日本大震災(2011年3月11日)の前年秋11月、仕事で福島へ行った。

どこも美しく、感動した。

会津若松市のホテルから。朝。

小学生の頃、野口英世の伝記を読んで、「努力の大切さ」を学んだ。
後にさまざまな批判を浴びたものの、この偉人はいまも尊敬している。彼のふるさと猪苗代湖へも行きたい、次は行こう、そう思ってた。そこへあの地震、津波、原発事故だ。

会川鉄工(福島県いわき市四倉町上仁井田字東山46番地)は福島原発からの仕事が8割だった。工場を津波が襲った。みんなで瓦礫(がれき)をかき分け、掃除していたとき飛び込んできたニュースが、原発の爆発。

会川鉄工の主力製品は放射線の遮蔽容器だ。

会川文雄社長は、「会社をたたまなきゃならない」とまで、思った。

 社員はみんな避難のため、各地へ散った。会川社長は一人残り、除染作業をして食いつないだ。
それにしても、「売り先」がなくなる事態だ。顧客が消えてしまった。

どうする。

会川鉄工の強みは何か。溶接技術だ。その技術あればこその遮蔽容器を作ることができる。

風力発電の風車を支えるタワーに目をつけた。あれは溶接でできている。

うちの強みを活かせる!

とはいえ、どうやって作ればいいのかわからない。

当時、風車はすべて海外から輸入していた。国産はなかった。ないなら、学ぼう。海外のメーカーへ出向き、教えてもらった。ドイツ、デンマーク、スペイン各企業の資料、図面、すべて取り寄せた。外国語だが、辞書を引きひき、専門用語を解読していった。社長室の棚はその資料でぎっしり埋まってる。

2014年、各地に散っていた工場のメンバー20人に声をかけ、自力でタワーの製造に取り掛かった。まずは陸上風力発電のタワー。4段を積み上げて作る。鍵は溶接だ。試行錯誤の上、成功した! 作ったタワーは採用先が決まり、見事受注できた。

会川社長、さらに攻める。2017年、総額20億円をかけて、タワー専門工場を建設した。

日経記事にもなった。 

タワーの壁を分割し、設置場所への陸送しやすいようにし、現地の港で組み立てる、という世界のどこにもない新商品を発想した。

原発事故で顧客を失う、という経営上最悪の危機。その時「うちの強みは溶接技術」と気づき、それを風力発電の風車タワー製造へとギアチェンジした。

もちろん会社を救ったのはコアとなる技術だが、その前に、会川社長の哲学が奏効していることがこの話の学びポイントだ。

会川社長は「何とかなる」「何とかしなければ、このままで終わるわけにはいかない」という歯を食いしばる哲学をお持ちだ。この哲学が、社長を、そして会社を、さらには新しい風力発電設置のあり方という点で、再生可能エネルギーの恩恵を受けるぼくたち生活者も救われたのだ。

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