ぼくたちは終わりなき消費を強いられている
ある女性雑誌、なんか違和感感じた。平日午後、リモートワークの合間、猫ちゃんを抱っこする写真。おうちカジュアル、レーシーニット267,000円、カットソー76,000円、パンツ172,000円、リング(3個つけてる)100,000、93,000円、248,000円・・・合計さていくら?
まあ、それがいくらになるかは今日の論点とはズレるので、計算しない。956,000円だけど(笑)
気づいたんだ。ぼくたちは終わりなき消費を強いられているって。そもそも世の中、誰かが売りたいものしか買えない。企業の場合、繰り返し消費するよう仕向ける。サブスクリプションがお安いですよ、お得ですよ。買い続けなさい、消費し続けなさい。初回一ヶ月無料! ポイント有効期限です、もうすぐ失効します、いま買いなさい。それが水であれ、ゲームであれ、服であれ、コンタクトレンズであれ、スマートフォンであれ、SNSであれ、ストリーミングサービスであれ、「記号化」する。ぼくたちは物体ではなく「記号」を消費し続ける。終わらない。満足しない。
記号化というのは;
魚釣り行く人に「魚ならあるよ」と魚をあげても喜ばれない。釣り人は魚が欲しいのではない。「釣りに行く」という行動を「癒やし」「週末の楽しみ」「オレの唯一の趣味」「自然に触れ合う健康法」などなど、自分が好きな記号へと転換し、その記号を消費している。そのために釣りに行く。
悩む人はいつも悩んでいる。悩むのが好きなのだ。人から「いやいや、それはこれこれこういうことだから、悩む必要なんてないっすよ」と言われたい願望もある。つまり、「悩む」という記号、「人から悩む必要なんてないっすよと言われたい願望」という記号を消費し続けている。
冒頭のリモートワークの女性に話を戻すと、そもそもリモートワークという仕事スタイルも、「仕事している充実感や生き甲斐」という記号を消費するためであり、「リモートワークの合間」に「おしゃれな部屋着で猫と過ごす」という「誰かが『いいね』押してくれる好感度高いシーンを演じる自分」記号を消費しているのである。つまり、仕事していても、休憩していても、消費し続けている。終わらない。満足は来ない。
スマホでSNSを見るというのは、時間を消費し続けることの強制であり、「何かをしている充実感」という記号消費をさせられている。あるいは、「人間関係の維持こそが現代の必須科目だ」という記号の消費。結果、自分自身を狭いせまい部屋へと追いやって。
では、ぼくたちは誰に「強制的に」「させられている」のか。自分自身に他ならない。
自分が自分を強迫観念的に消費へと追いやり、決して満足の得られない回転車を走り続けているのだ。
縄文人は、食料保存しない。食料獲得のための労働時間は1日3時間程度。農耕という発想はあった。あったが「そうなると、労働時間が比較ならないくらい長くなる」のがわかってた。かつ、「場所を固定することのリスク」を考慮して、敢えて農耕しなかった。その日に獲得した食料は余さずその日確実に平らげた。このスタイル、消費の最上級ではないだろうか。必要なものを、必要なだけ、誰かにもらうわけではなく、自分で獲得し、自分で食べる。
誰かが供給してくれたものの範囲しか買えず、消費できず、しかも消費し続けることを自らに強制している現代人より、よほど贅沢なライフスタイルだと思います。
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