行き着く先は「ありふれ」だから
書店を窮地に追いやったのは書店ではなかった。
外野も外野、ウォールストリートの株屋ジェフ・ベゾスだった。
「本をネットで売る? あり得ないよ」書店は思った。
フタを開けたら、「大いにアリ」だった。
「電子書籍? 小さな画面で、誰が読むの?」
Kindle、みんなから大歓迎された。
いまや子どもの学校教育にも使われている。塾のテキストも、タブレットだ。
トヨタを焦らせたのは車メーカーじゃなかった。
外野(テスラ)。
えんぴつや消しゴム、ノートなどの文具を崖っぷちに立たせたのは文具ではなかった。
外野(タブレットやお絵かきソフト)だ。
DVDレンタルショップの雄だったブロックバスターを倒産させたのは他のDVDレンタルショップではなかった。自滅した。
ネットフリックスもDVDレンタル事業をやっていた。ブロックバスターに買ってくれ、と依頼したこともある。ブロックバスターは「高すぎる」と蹴った。
やがて映画などのソフトウェアは「一つずつ借りる」から「定額サブスクリプション」になった。ネットフリックスはサブスク一本で勝負した。資金が足りず、ブロックバスターに買収を断られたときは「もうダメかも」だった。
結果、ブロックバスターは社会の流れ・・・DVDレンタル事業は「ありふれ」化し、借りて、返す手間の要らないストリーミング・サービスを定額契約する・・・に適応することなく、自滅していった。潤沢にあった資金はアメフト頂上決戦スーパーボウルへの広告費などに浪費し、消えた。
ガラケーを追いやったのはガラケーメーカーではなかった。
外野の、りんごという名前のコンピューターメーカーだった(iPhone)。
メーカーは品質会議をする。品質をより良くするためだ。
しかし、品質会議をやっている会社内に、「社会」は流れていない。
多くの日本企業が平成の30年、落ちていくばかりだった理由は、ここにある。
「外野」の視点がなかった。「内」しか見てなかった。
すべての製品・サービスはありふれ化する。
DXは作業を標準化し、属人性を排し、人間すら排した。
ロボットが料理を運び、芝刈りし、家を掃除してくれる。
ロボットを鍛えるのはアプリ。
ところが、これの行き着く先は「ありふれ」である。
コンビニ、ドラッグストア、回転寿司チェーン、ファミレスはみんなデジタルのおかげで「ありふれ」への道へまっしぐらに進んでいる。
ありふれは利益をどんどん減じていく。
宇宙が始まったころは、物質がぎゅうぎゅうに詰まっていたからエネルギー密度はめっちゃ大きかった。
でも、宇宙は膨張していっているので、空間ができ、密度が低くなり、比例して、体積当たりのエネルギー密度は減じていく。
一方、真空は膨張しようが縮小しようがどうしようが真空のままなので、エネルギー密度は変わらず一定。
時間の経過と共に、物質のエネルギー密度と真空のそれとが一致する点に行き着く。
現在ぼくたちが生きている宇宙は、まさに、この、奇跡の交点にいる。
少し早くても、少し遅くても、生物は存在し得ない。
ビジネスも同じで、需要と供給が奇跡的に一致したとき「購買」が生まれる。でもこれも、「ゆく川の流れ」と同じく、かりそめでしかない。
やがて時の経過とともに、購買は消える。理由は、「ありふれ」化するからである。
どうすればいいか。
「外」へ行く。
宇宙の外へ行く。
自分のビジネスを脅かす存在は、宇宙の「内」にはない。
外からやってくる。
外へ、出よう。
外を見よう。
やったことのない体験を、しよう。
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