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思い描く力

鹿児島、仙巌園・尚古集成館へ17年ぶりに行った。

『リーダーシップの教科書』(日本実業出版社刊)

執筆取材以来。

当時は尚古集成館本館・別館くらいで、今日歩いた大庭園はなかった。

すごかった。

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ちょうどいま、幕末と時代の空気が似ている。

確かなものなど何ひとつない。非連続。

なので、いまの時代に一番必要なビジネス力は

処理

ではなく

思い描く力だ。

ところが組織は基本的に「慣性の法則」で動いている。

見ているのは「内」と「上」。

昨日と同じことを今日もやっていたいし、「上」に気に入られるような企画をどうするかばかりにエネルギーが注がれる。

幕末も同じ空気だった。

そんな慣性の法則にストップをかけ、斬新な着想をし、いきいきとビジョンを描き出す。業界の常識にとらわれない発想で、実際に組織を動かして成果を出す。

薩摩藩藩主・島津斉彬がまさにそんな人だった。

幕府(東京本社)は、1840年に起きたアヘン戦争の日本にとっての意味を理解する語彙も文法も持っていなかった。唯一、斉彬だけが分析していた。彼は『阿片戦争始末記』というレポートを書いている(尚古集成館で実際の彼の手書き文書を、見た)。

1840年代、産業革命後のイギリスは生産物のはけ口を求め、アジアへ進出した。イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカといった列強がアジアをグローバル市場と見て植民地化しようとしていた。

琉球は当時王国だったが、薩摩藩の管轄で、しきりにドアを叩く欧米列強の対応を迫られていた。

これまでの幕府(東京本社)のフレームワーク(思考の枠組み)では解が得られないことは明らかだった。

そこで斉彬は次のように思い描いた。

◎日本は開国し、外国と外交をする

◎貿易で国富を増強するため、殖産興業を推進する

◎積極的に外国の先端技術を学び、取り入れ、富国強兵を推進する

斉彬は着眼大局、着手小局を実行した。

#1 . 集成館という近代的な工場を作った

#2 . 日本初の製鉄に成功した

反射炉だけではなく、薩摩焼の匠の技も取り入れた。

#3 . 日本初の洋式軍艦を造船した

#4 . 日本国旗「日の丸」を創った

ぼくはブランドを「旗」と呼ぶ。

当時の日本は各藩に分かれ、みんな「お家大事」であり、日本全体を見渡す国家観のある人物は、ほとんどいなかった。

だから「国旗」という発想もなかったのだ。

斉彬の思い描く力はすごい。何しろ、当時繁栄を誇るイギリスと戦争しちゃうんだから。

斉彬が2020年の今生きていたら、何をしただろう。

おそらく、現代のテクノロジー4種の神器(IoT、クラウド、AI、ブロックチェーン)を取り入れ、グローバルな新しい施策を打ち出したと思う。

そのバトンは、ぼくたちに委ねられている。

だからこそ、楽しい。

桜島は、いつ行っても、ゆったり堂々としていて、エールを送ってくれている。そんな気がする。

ありがとう。

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