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名前のつかない日常に春をもってくるためには、始めればいい

映画『高野豆腐店の春』。こうやどうふ、ではなく、たかのとうふてんのはる。

「春」は主人公の娘の名前だが、この映画のテーマを表している。

春は、ワクワクする季節。なぜワクワクするかというと、「何かが始まる予感がする」から。

映画のストーリーでも、主人公である高野豆腐店店主・高野辰雄(演・藤竜也)と、娘の春(演・麻生久美子)に、それぞれ新しい異性との出会いがある。何かが始まる予感。

辰雄は、心臓に疾患があり、医師からは手術を勧められている。気が乗らない。
「いつアウトになるかわからない」状態だ。

春は、一度結婚したが、戻ってきた。豆腐店を手伝っている。

豆腐は、大豆と水とにがり、それだけで製造される。

春のセリフを借りると、「豆腐の性格は、にがりで決まる」そうだ。

にがりは固める役割をしている。海水から塩を精製する際に残る液体で、主成分は塩化マグネシウム。

「(豆腐を固めるには)塩化マグネシウムだけを入れればいいのに、大豆の分量をごまかすために、何やら風味といって、混ぜる。そうすると、大豆の風味が損なわれたり、消えたりする」

と、昨今の大量生産の豆腐について春が怒るくだりがある。

人生の「味」を決める「にがり」みたいな役割をしているのは、きっと「春」成分じゃないかな。つまり、何かが始まるワクワクがあるか、ないか。にがりって、苦味と音が似てる。うん。人生には苦味もある。

映画は尾道が舞台。商店街の理髪店、定食屋、タクシー運転手なども主人公の仲間としてストーリーに絡む。

映画冒頭「平成から令和に移る時代の話」と断りが入る。

ということは、コロナ前だ。

商店街の理髪店、定食屋、タクシーといった個人事業主たちにとって、大きな試練がやってくることになる。ただそれは、別の話。別の要素が入るから、「コロナ前の話ですよ」と断りを入れたのだろう。

辰雄は、スーパーの清掃のパートをしているふみえ(演・中村久美)と出会う。ふみえも心臓に疾患があり、ペースメーカーを入れている。電池の交換手術をそろそろしないといけないらしい。さらに、がんが見つかる。

ふみえも、辰雄も、そして商店街のみんなも、自分たちの先に20年も30年も残されているなんて考えていない。

いつか終わりは来る。

知っている。知っているけど、「いまを春として生きる」。

何か笑えるもの、楽しいものを見つけて、生きる。

といっても、何か大きなことがあるわけではない。特に名前のつけようがない日常が淡々と繰り返されるだけだ。

名前のつかない日常に春をもってくるためには、始めればいい。

商店街通路にピアノがある。
辰雄に勧められ、ふみえは弾くことに挑戦する。始める。

このあと尾道の商店街がどうなっていくのか。辰雄の豆腐店がどうなるのか。

誰にもわからない。でも、始めることで、春がくる。

これは、ぼくたちも同じじゃないですか。

生きる勇気をもらいました。良い映画でした。

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