見出し画像

水瓶座の憂鬱

How to write about me

今回は僕がものを書くようになった理由、自分にとって書くこととは、みたいなのを残しておこうと思う。

始めたのは小学生の終わり頃からかな。詩を書いたり空想の物語をB5ノートに書き溜めるようになって、中学の頃は家にいる時間、自分の手で文字を綴るようになった。高校生になる頃、音にのせて歌詞を書くようになり、バンド活動をしていた友達にお願いされて一曲だけ贈った。その曲は結局完成したのか、どうなったのか今も不明。

専門学校に行こう、となんとなく将来を考え始めた頃には、手首に痛みを感じるくらいあんなに長時間握っていたペンはキーボードの文字をタイピングする指にその役目を終えて、僕は自分の心の中身をオンラインの宇宙に葬るようになった。
無数のサイトが存在し、誰が目にするともわからない世界中に繋がったスペースに言葉を残していくことを、痛みや悲しみや苦しみの浄化作業とするかのように没頭する日が続いた。

その最中のいつだったかは定かではないのだけど思ったことがあった。
見てきたことや感じたことをそのままの言葉で書き出していこう。できるだけ、嘘や偽りで飾ることがなくありのまま。自分の言葉で表現しようということ。どんなに綺麗事でもどんなに下手くそな言い方でも全部、自分の中身を吐き出すようにして残していこう。そうして言葉は普段口にしないような空気をまとって紡がれていった。さしずめ小説や演劇の台詞を考えるように。自分にとって聞こえの良い言葉を選んで文章をつくる癖があるのは、そのせいなのかもしれない。

ある日サイトを見てくれていた人と直接会う機会があり、サイト上で想像していた僕と実際の僕のイメージにギャップがあると教えてくれた。
その人は悪い意味でそう言ったのではなくて、サイト上では繊細で言葉の使い方が綺麗な人だけど、実際に会った僕は意外と率直にはっきりと物事を言う人だと感じたと言う。
それからこれは後にその人だけでなく他の人にもよく言われたことなのだけど「変わっている」と。

唯我独尊と、そのおわり

何が変わっているのか。
どこが他の人と違うのかなんて正直わからなかったし、変わっていると言われるのはむしろ嬉しかった。誰かと同じじゃなくていいし、つまりは独特で唯一無二で代わりがいないということだと自分の価値を見出そうとした。

でもそれは年齢が若い間の無知な期間の、無謀な生き方が許されていた上で存在していた僕であって、その後進学したり社会に出て多くの人と出会い、少しずつ経験が増えていくのとともに変化していく。

世間の常識や周りを取り巻く世界に合わせていくようになると、結局のところ自分は唯一無二なんかではないことを思い知った。
自分以外にも紆余曲折の人生を送ってきた人や不思議な性格をしている人はもっとたくさんいるし、逆に自分なんてなんのこっちゃない。
あの人はすごいし、この人もすごいし、自分は才能なんてない大したことのない存在だな、と悲観することもあった。

主人公は僕だった

そんな感じで、何となく平凡ながらも自分をかたどるものを認識しながら生きてきた。
この年齢になると今まで見てきた世界は、僕よりも年上の先人が作り上げてきた舞台の上にすでに用意されていた世界だったことを実感する。その舞台の上で自分はただ揺られて出番を待って立っていたかのよう。

いざ出番が回ってきた時、同じシーンで出会った同世代の人間とやりとりを交わして、共に過ごしてみる。すると、それぞれ違う台本を読んできたけれど、どこか似たよう台詞を覚えて似たような傷口を抱えてきたことに気づく瞬間があった。
特にたくさんのgayの人と触れ合うことでその思いは強くなった。

誰かが変わっているんじゃなくて、誰もが変わっていた。
その上でみんな違う喜怒哀楽のベクトルで台詞を言うし、ものを感じるし、そうしながら日々生きてきて、これからも生きていく。

ただそれをリアルタイムで演じている人生の最中には、例えばgayかもしれないと気づいた時や、失恋の痛手を負った時なんかに、それが自分にだけ襲いかかってくる苦境のようにひどく困難なこととして感じて、立ち向かわないといけなかったことが多かっただけだ。

この用意されていた舞台の上の演劇で、輝かしく目立つスター的存在に憧れながら、ただ出番を待つ通行人Aとか同級生Aとかの脇役を演じていたつもりが、この台本は自分のために用意されていたものだったこと、書いたのは自分自身だったことと、憧れの存在こそが脇役で主人公は自分自身だったことに気づく。

シナリオライター

誰もが自分で書いた人生のシナリオに気付き、主人公の自覚を持つ瞬間がある。いつか自分が感じていた孤独は、他の誰もが抱えてきたことと似ている、あるいは同じだったかもしれないことを知る。

知った上で、息継ぎの仕方や台詞の間の取り方を工夫するようになる。隠された設定が露出して迷いもするけれど、結局は自分の演じ方ひとつで何とでもなる。逃げさえしなければどうにかなる。アドリブだってできる。

そして無数の主人公たちは、持ち寄った台本は違ってもその本の中でクロスオーバーする瞬間があったからこの世界で出会った。それぞれが主人公の別の劇中で、それでも重なり合う運命がそこにあったから出会った。

僕は思いの丈を外に出す作業によって、自分だけのスクリプトを作り上げていた。だとしたら誰かや何かとの出会いには偶然のようでも意味がある、僕はそう思いたい。そんな物語を書いていきたい。

Chapter 35

自分の人生の台本を構成する、台詞を考えるように言葉を残す。それは虚構が混じるかもしれないけれど、誰かを騙したり陥れたりするような嘘とも偽りとも違う。
心の震えや声にならない想いを、僕のやり方で見つめ直すための推考。

じゃあ、人から見える自分はどんなだろう。本当の自分はどんなだろう。
本当にこんなこと思っているか?適当に選んでいないか?
その適当さえも真実なのかもしれないけれども、答えは絶対に出ない。綺麗事のような言葉もまだ思い浮かべる。
その綺麗事こそが自分の心の純粋さなんだと自信を持って言えるなら。
恥ずかしいけど素晴らしい度胸だ。「綺麗事でもいい」と根拠なく言い切ることができた若かりし自分を褒めてあげたい。
大人になるとそれは世間知らずな子供だったことを露呈するみたいでやっぱり少し恥ずかしいよ。評価されるのはいつだって怖い。

いくつになっても冒険心や探究心や遊び心は忘れずにいたいものだけれど、そろそろ自分にとっての正解を何個かは決めてあげて、登場人物設定に力強く書き記したい気持ちでもある。
Age35・いつまでもチャレンジ精神旺盛な2月生まれのゲイ、とか。
唐突だけど、早生まれは何かと損なのだ。
ちなみに今回のタイトルはそこからつけてみた。水瓶座は憂鬱なんだ。

あとがき

こうして自分のやってきた通り道を振り返ってみると、コロナ流行に加えて転職活動期間中の今の僕の生活は、舞台袖に引っ込んで次の出番を待っている、まさにその時なのだと思う。一休みしたらまた出番が来る。命が尽きるまでは誰もが自分の舞台の上で、自分の役を演じきらなきゃいけないから。

次は誰と出会うだろう。どんな景色に出会うだろう。どんな展開に心を動かされるんだろう。
この後のお話はまだ執筆中。次から次へと生まれてくる言葉を、キーボードに打っては打って削除して、また途中から考え直す。少しでも成長できているって信じたいし、演じながら書いてきた今までとも違って、あらかじめ書いてみたシナリオに沿って展開していけるように書き進めていけたらいい。

僕の新章は、今このステイホーム期間の最中からということで。



この記事が参加している募集

熟成下書き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?