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「いい人」で人生を終えたいから、「政治」の話をしようと思う

先日、内田樹さんの「隣組と攻撃性を読みました。(オススメ!)
私が前から感じている自分の中の危うさが、ここには書かれているように思って、そう、これこれ!と納得するとともに、怖さを感じました。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html

たぶん、私はそれなりに「いい人」だと、周りの人から思ってもらっている気がします。(違う?)。それは、私が「いい人」でいられる環境にいるからで、本質的にはあまり自信がない。大きな悪を故意にやるほどの頭は無いし、はっきり犯罪行為をしたことはない(はず)だけど、性質に小狡さがあり、これは弱さだと思っている。

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例えば、

私が戦時中にムスメちゃんと生きていたとする。

敵軍がいる中、近所の人々と隠れていたとする。

そんな時でもムスメちゃんは泣いたり大声を出す。


こんな時、どうする?

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ムスメを黙らせる(殺す)のが忍びない母は、ムスメを抱えて2人で隠れていたところを飛び出す、なんてことを美談風に語られることもあるけれど、まず、ムスメを黙らせる=殺してしまう母も多かろう。

そして私は、黙らせる方を選ぶかもしれない。いや、きっと選ぶだろう。「仕方がないんだ、みんなのためだ」と自分に言い聞かせて。もしかしたらそんな良心さえ持てず、サクッとウルサイと手にかけるかもしれない。そうしないでいられるほど、自分が高潔だとは信じられない。

そんなことを妙に想像して怖かったのは、2015年の安全保障関連法案(安保法案)の時。あの時はとても戦争を身近に感じた。(今でも状況は変わっていないけど)。たぶん、戦争も紛争もなく自分の生き死に打撃を与えるような事柄が無いまま人生を終えられたら、私は「いい人」でいられるだろう。だから、そのために、ちゃんと政治を見張っていよう、臆せず煩すぎない程度に話題にしよう、と決めた。

でも、今回のコロナでも、やっぱりたくさんの苛立ちや不安、恐怖、生活苦があって、とても危うい。マスク10万円検察庁法改正案種苗法改正も、とにかく危うい毎日だ。SNSは癒しにもなるが捌け口にもなって、凶暴性を帯びている。


私は「いい人」のままで人生を終わりたい。だから政治に関わり続ける。

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