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ライフとイノベーションを求めて。今こそ知りたい「ケイオディック・パス」|ピンチからチャンスを探るオンライン対話・開催レポート(3/4)

こちらは、シリーズ記事の3つめです。

ケイオディック・パスと参加型リーダーシップ

「もしあなたがヒーローなら、ケイオディックパスから落下してしまうだろう。」

私の別の友人はそう言いました。

ここにおけるヒーローとは、誰かの問題を代わりに解決してあげたり、誰かの進むべき方向を提示をしてあげたりする人のことです。

そのことを「特別な素質や権限を持った一部の人」として、ボスやカリスマとも言う人もいます。行き先が決まっている、まっすぐなハイウェイを行くならそれでもよいのでしょう。

しかし、ケイオディックパスを歩むことは、多くの場合、「多様なメンバー、できれば全員の参加」ということと組み合わせて語られます。

なぜなら、オーダーとカオスを行き来するために、私たちは他者を求めるからです。特に、オーダー➡︎カオスへの移動の際に、他者といることは賢いことです。なぜなら、私たちは「自分にとっての秩序」に囚われてしまうことが宿命的に起きます。「あなたと私の当たり前は違う」を、カオスを味方につけるために活かしましょう。

あるいは、カオス≒ライフと捉えたとき、多様性は賢いことだということは明らかです。ライフは、生き延びていくために、多様性を求めます。その逆パターンを説明したほうが、わかりやすいかもしれません。例えば、私はかつて自分の花壇で、単一種の花を植えたことがあります。そうしたら、同じ病気で一気に死んでしまいました。管理されていない雑草は、花と一緒に枯れたものもありましたが、ピンピンとしているものは繁栄を続けました。

ケイオディック・パスは、多様で凸凹した仲間たちが、共に生き延びていくために、それぞれの力を発揮しながら進む、冒険の旅路です。

空から状況を俯瞰するならば、鳥に。川を渡るときは、カバの背中に乗って。海の中は魚に見てもらい、過去の教訓はクジラに教わる。バナナを取るときは、サルに任せる。風が吹いた時には、森の中にかくまってもらい、狭いところにはネズミに入ってもらう。

こんな絵が描かれたことがあったので参考にシェアしますね。

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そのような旅ならば、変化の激しい道のりで、絶望の奈落へと落下することはないでしょう。

むしろ、それは語り草になるほど、美しい冒険になりそうですよね。

多様なメンバーが違いをパワーにしながら、変わりゆく世界に適応しつつ、試行錯誤して学び合い、望ましい方向へと進んでいくこと。つまり、ケイオディック・リーダーシップを、チームとして発揮している状態のことを、「参加型リーダーシップが発揮されている」といいます

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ちなみに、統制によって秩序をもたらそうとする道は、「管理(マネジメント)」と呼ばれます。白い矢印がそうです。

これは、まっすぐに伸びた高速道路のようなものです。たとえば、カリスマやボスをトップとした中央集権型・ヒエラルキーのシステム、指示命令、というのはその代表的な関わり方、はたらき方かもしれません。これの道は、取り組む課題に、ベストの答えが既に見つかっている場合で、それを同じように安定的に量産する時に、力を発揮します。

私は、飛行機や電車に乗って移動することが多いのですが、その管制システムには、ぜひケイオディック・リーダーシップではなく、マネジメントを発揮してほしいと思います。事故を起こさないために、一切のカオスと失敗を招いて欲しくないのです。「今日はなんだかいつもと違うやり方をしてみようかな」とコントロールシステムが試行錯誤を始めたとすれば、私は乗客として恐ろしい思いをするでしょう…。

このように、言えるのかもしれません。

マネジメントは「統制によって、秩序をもたらす道」
ケイオディックパスは「自由を大切にしながらも、秩序をもたらす道」

ワーク②物語から学ぶ : あなたは今どこを歩んでいますか。

皆さんの働き方、つながり方、生き方は、どの道を歩んでいる感じがしますか。

あなたのストーリーを聞かせてください。

オンラインでの講座はここから、参加者がお互いの経験談をシェアして、その内側にあるLIFEの力に耳を済ませました。

問いはこうです。(なお、オンラインでは3人組でやりましたが、以下は1on1のペアでやってみることを想定しているので、問いを少し変えています)


■話し手への問い(8分間)
これまで、または、今、あなたの人生で、ケイオデイック・パスに触れている経験・出来事について教えてください。
その時、あなたは、何をしていて、どんな気持ちでしたか(ですか)。

聞き手は、漫然と聞くのではなく、相手の中にある可能性を探るように聞きます。

■聞き手への問い(3分間)
物語の中に、どのようなケイオディック・リーダーシップ、あるいは、ケイオディク・パスを進むための知恵や実践が見つかりましたか。

運用のポイントは、まずはお互いがフレームワークを知っていることです。

また、ストーリーに、じっと耳を済ませることです。ストーリーというのは、どこかの誰かが言ったかっこいいこと、あるべき論、一度聞いたら全てがわかるようなプレゼンテーションでは、ないということです。あなたのリアルな感情を伴って、経験した出来事、実体験のことです。

そして、お互いの持ち時間の中で、沈黙を恐れないでください。話し手が無理してかっこいい言葉を紡ごうとすること、あるいは、聞き手がむやみな質問をしたり、「ウンウンウン!」と、強いうなづきをしたりするのは、「間の質」を侵害するのは、野暮です。野暮な空間からは粋なことや、新しい発見は生まれません。

私たちが安心して探求を進めることができれば、そこで初めて話されることがあるはずです。そこから、魔法のような瞬間が訪れることがあります。

ちなみに、このフレームワークは「この事象は、誰にとってもカオスだね」などと、事象を分類して、整理整頓するためにあるわけではありません。同じ事象であっても、このフレームワーク越しに語ってみると、人によって異なる見え方があります。ある人にとってはカオスなことも、ある人にとっては秩序の中に見えることがあります。そのお互いの見え方、お互いにとっての文脈が共有できた時に、よりお互いにとって納得のいく課題設定や意思決定がしやすくなるはずです。

ぜひ実際に相手を見つけてやってみてくださいね。

私のストーリー

とはいえ、もしこのワークをする相手がすぐに見つからない方もいるかもしれませんので、私が「物語の話し手」の役割をやってみます。

ケイオディック・リーダーシップ : イケメンは階段へ

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2015年のことでした。私は150人ほどが参加するイベントを開催するために働いていました。その会場が5階だったのですが、エレベーターが小さく、ゆっくりと稼働するおっとりちゃんだったのです。しかも、イベントの開場からスタートまでは十数分ほどです。参加者全員がエレベーターを使用すると、オープニングの時間が遅れてしまうという状況でした。

その時にあるマネジメント型のリーダーは、「エレベーターの使用を一律禁止」にしようとしましたが、もう一人のケイオディック型のリーダーは、このようなアイデアを思いつきました。それはたった一枚の張り紙で、こう書いてありました。

イケメンは階段へ」。

その結果、驚いたことに、参加者のほとんどが、自発的に階段を利用しました。参加者に不快な思いをさせることもなく、むしろ、意気揚々といい表情で「イケメン」たちが会場入りしたことで、会場の雰囲気も明るくなりました。一律禁止ではないので、車椅子の方は遠慮なくエレベーターを使うことができました。しかも、押していたスケジュールがむしろ撒いてしまうという奇跡も起きました。

参加型リーダーシップ : 2014年2月関東地方の豪雪の日

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2014年2月、関東地方で観測史上最深の雪が降ったときに、私はいくつかの現場を手伝いに行きました。ある現場では人に指示命令するボス、自己犠牲を厭わずにがんばるヒーローがいました。

みなが楽しそうだったかといわれると疑問ですが、作業として終わることにはそれで終わりました。

一方で、別の現場は、もっと複雑でした。前日にかいた雪のあとが凍ってアイスバーンになったり、物理的な制約で歩道と車道のどちらかを犠牲にしなくてはいけなくなったり、それ以外の業務も多忙であったりと、「あっちを立たせるとこっちが立たない」「決まった答えがない」という状況でした。

そこには、ある聡明な女性が2人いました。彼女たちは「みんな、どうやってやったらいいか一緒に考えない?」と呼びかけました。全員ではありませんが、それに応じた人による話し合いが生まれ、ざっくりした計画と、基本的なルールだけが決まりました。自分なりのやり方で貢献する。わざわざ一斉に休憩時間とはせず、みんな代わりがわりで休憩する。「雪かきしない人は、だめ」は言わないことにする。お菓子は用意しといたんでどーぞ。

そして、作業が始まると、マッチョな兄さんが「ここは俺に任せろ!」と言わんばかりに、硬い金属のスコップでアイスバーンを壊します。

しかし、そのままリーダーには居座りません。そのスコップも兄さんも、砕いた雪を運ぶのにはどうも向いていないからです。

そこで、別の頼りになるお姉さんたちが一歩前に出て、プラスチック製の軽い幅広のスコップでそれらをどかしていきます。疲れたときは、世話好きのおばさんがお茶を入れてくれます。

途中で、「ちょっと、あんた誰に許可とってやってんのよ!」と、文句を言う人が外からきました。その時は、体は弱いですが、消防なんとか規則について詳しい人の登場です。

結局、雪かきをしなかった人もいますが、そうぜざるを得ないほどの別の作業がありました。彼を無理やり雪かきに出したとしたら、その損失は大きかったでしょう。最後は、やっぱり宴会部長もいます。人々の協力プレーを労って、祝福をし、笑顔にする技があるのです。

考えてみましょう

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物語の中に、どのようなケイオディック・リーダーシップ、あるいは、ケイオディク・パスを進むための知恵や実践が見つかりましたか。

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この学び方だと、聞き手の数だけ知恵が生まれてくるということが想像できますか。

実際に今回、「自分自身のストーリーを、誰かにじっと聞いてもらうことで自分に発見があった。」など、様々な発見があったという声がありました。それは「他者に聞いてもらうことを通じて、自分で自分の話を聞いている」そして、それによって「自分自身とのつながりの質が変わる」という体験だったのかもしれません。

思えば、私たちは、「人の話を聞きなさい」とは言われるのですが、「自分の話をききなさい」は、もしかしたら練習をする機会が少ないのかもしれません。今回、たったの10分ほど自分の物語と丁寧に向き合うことを通じて、そんなにも豊かな気づきがあるならば、私たちはもっと自分の話を聞てみるのがいいのかもしれません。

このように、それぞれのものの見方の違いを活かして、学ぶことができると、私たちのチームやコミュニティは、より集合知に触れやすく、共に賢い選択と行動をしやすくなります。

さて、続きは、シリーズの最終話で。今回の体験を踏まえての所感です。


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