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アメリカで覚えたステージの仕事

2003年にロサンゼルスの広告代理店で働いていた時はプロモーションのプランニングやクリエイティブの仕事を主に行っていました。
しかし、2009年の独立後はイベントや展示会の依頼が多くなっています。
恐らくイベント・展示会の仕事は苦労が多い割に利益が少ないのでそこに手を出す会社があまりなく、また特殊なスキルが求められる為競合が少ないという事が理由だと思います。

日本の代理店時代の経験の無さ 

イベントでの代理店とプロダクションの仕事内容は大きく異なります。
日本での代理店時代はプロダクションに制作はほぼ任せて、自分達はクライアントのケアと全体管理(らしき事)をしていました。
しかしロサンゼルスで就職した代理店は規模も小さいので、イベントも映像制作も色々と自分で行わなければならず、アメリカで働きだしてから現場作業の大変さを身に染みて学びました。
特にステージ関しては日本の代理店の経験では制作のノウハウは殆ど無く、進行を自分で行った事も無かったので、アメリカに来てから数々の現場で様々なミスをしながらひとつひとつ学んでいきました

2週間で仕上げた大変なステージ制作

アメリカで行った一番最初の大きなステージの仕事は某航空会社の新機材ローンチイベントです。会場はリチャードギア、ジュリア・ロバーツ主演の映画「プリティウーマン」の舞台となった「ビバリーウィルシャーホテル」のボールルーム。

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なんと声がかかったのが本番2週間前

当初は主催者が自前で行おうとしていたけど結局何も決まらないまま時間が過ぎてどうしようもなくなり、直前になって私に声がかかりました。
大手企業のマネージメントクラスや主要メディアを含め450名程度を招き、B777と新サービスを発表する大事なイベントです。

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私が呼ばれた時点でフロアプランはおろか当日のプログラムもマッサラ。
そこから2週間、睡眠時間を削りながら映像の編集、フロアプラン作成、運営マニュアル制作、進行台本制作、等々必死で段取りをし、何とかカタチにしました。
この怒涛の2週間で成功に導いた経験が自分のステージの仕事に大きな自信を与えてくれ、それ以降は「人間やる気になれば何でもできる」と考えられる様になりました。

現場をこなしながらノウハウを学ぶ

独立してから最初のステージの仕事は、NPO団体の50周年パーティで会場はロサンゼルスダウンタウンのJWマリオット。
900名規模の着席パーティでロサンゼルス地元議員や日本から元衆議院議長も来る結構大変な現場でした。
この時は自分の経験だけでは対応が無理と判断し、たまたま知り合った日本でステージプロダクション経験がある女性に手伝ってもらいました。
その方は日本の最大手自動車会社の数々のステージマネージャーを行った経験があり、自分がhireしたその人から自分が知らなかったステージの知識を色々学ぶ事ができました。

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その後、日本から来た鬼太鼓座ワールドツアーのステージ進行をロサンゼルスの劇場で行い、その翌週はロサンゼルス日本国総領事館の依頼で100名以上の出演者やYOSHIKIが登壇したステージの制作を行いました。
実はこの時はAVの素材管理も全くできていないまま本番を迎え、現地スタッフに怒られながらなんとか現場を終える事ができました。

10年の経験の結果

そんなこんなでステージの仕事も増えいろいろ経験を積むことができた結果、今ではJ-POPやアニメ等のエンタメから、セールスミーティング、ワールドコンベンション、年次総会等々柔らかいモノから固いモノまで幅広く行っています。




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