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友達の深度と頻度の話【インスタライブ振り返り】

こんにちは、 #右手に鉛筆左手に酒 #会いに行く画家  清世です。

毎週金曜22:00にインスタライブをはじめました。
@kiyosem_painter

先週はリアル先輩が来てくれたんですが、今回はnoteをはじめ別媒体からも来てくれた方がいてとても嬉しかったです。

今後、覚えてる限り初来場されたnoteの人は紹介していこうと思います。


初来場御礼 for noter

私も予約中。天下の無名人インタビュアー

(↑多忙な中ありがとうございました!わたしはドタキャンしません。体壊さないでね!)

さみしがり屋な時もある。お酒noter

(↑謙虚さが垣間見えるのに酒飲んでるって思うとめっちゃ笑えた。いいアイデアありがとう!)

18:00から飲んでた元小学校教員

(↑初めてではないけどあのライブで紹介しないわけにはいかない。いつもありがとう)

ほか、続いてご来場いただいたみなさん、ありがとうございました!
現状、ちゃんと覚えてますので懲りずに気軽に立ち寄ってくださると嬉しいです。

友達と頻度と深度の話

インスタライブで話そうとしたのにベロンベロンで上手くまとまらなかったので、ここで話したかったことをシラフで書く。

それは、「友達」ってなんだろう?ってことだ。

ここでの友達は便宜上の呼び方じゃなくてどのような概念を持ってるかってことね。

きっかけのきっかけは、こちらの記事と音声。非常にわかりやすく書いてあるのでぜひ読んで。

この記事にコメントしたところ、まき子さんが音声で以下の発言をしてくれた。

この音声をシェアした後にさらに色んな人の考えを聞くことができ、「友達」についてなんだか自分の考えも話したくなったのだ。

頻度と深度

私は誰かと連絡を取るのは、元来とても苦手なほうだ。友達も少ない。

なんというか、頻度に比例「させて」友達をつくる行為があまり好きではない。

ネット集客の記事や本を読むと単純接触効果うんぬんと書かれているものの、集めるために頻度を上げよう!も違和感を感じる。

わたしは人に対して作為的なことをするのが嫌いなんだと思う。

では何をもって友達と呼ぶかというと、深度である。


たとえ初対面の人でも、1回会って「この人と過ごす時間はとても素敵だ」あるいは「この人の考え方が、在り方が好きだ」と心が動いたら私は友達と呼んでいる。

noteでも同じで、記事を読み、なんらかの琴線に触れ、ほかの誰でもないあなたがここにいたんだねと気づけたら、やりとりの頻度は少なくてもわたしは友達だと思ってる。

たった一瞬でもわたしとあなたの時間はとてつもなく素晴らしくてあたたかなものだと想いあえたらそれはもう友達でいいじゃん。だって素晴らしいもん。


無論、頻度は重ねれば深度になるのだが、どちらかといえば瞬間の感覚や深度を大事にしたい。

この考えはわりと自分本位だ。自覚している。

でも、素晴らしいと想いあえているかの空気は、なんとなくお互いわかるものではないだろうか?


…ここまで書いてみて、友達というよりは人間関係全般において大切な人の定義だなと気づいた。

大切な人を細分化して友達も恋人も定義をすり合わせるのは時間がぜんぜん足りないし、野暮だからやらない。

が、とにかくわたしは人を好きでいられるし、そうで在りたい。

わたしとほかの誰でもないあなたがいまここにいて、そんな素敵なあなたを描いたり、「楽しい」を伝えあえたらなんだか人生アメージングだよね、っていう空間をつくりたい。

そのためのライブ配信やnoteであって、会いに行く画家への鍵としています。

あなたはどう思いましたか?

こんなわたしでよかったら、スキ・コメント・サポートおくってね。遊びに来てね。鉛筆と酒持って会いに行くから。




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清世/画家
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