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【大河ドラマ】鎌倉殿の13人 第40回&第41回感想

のんびり書いている大河ドラマ感想。今回は10月23日放送の第40回「罠と罠」、10月30日放送の第41回「義盛、お前に罪はない」の感想です。

第40回

後鳥羽上皇から幕府に閑院内裏修復のための協力が依頼され、負担の増える御家人に不満が高まるという描写がありました。
閑院内裏は天皇の政庁であり日常的な居住空間。
つまりは皇居であり、ドラマだとわからなかったと思いますが、使用するのは後鳥羽上皇ではなく、順徳天皇。
これは前年の承元4年(1210)に土御門天皇から順徳天皇への譲位を受けての修復事業でした。
「代替わり徳政」として善政を成さねばならない機運が高まっていた時期であり、幕府も積極的に協力をしたものと考えられます。

なお、同時期の対朝廷政策としては御家人が京の市中を警備する京都大番役の強化が挙げられます。理由なく京都大番役を怠った場合は3か月の期間延長を指示します。
新天皇になって突然治安が乱れては幕府のメンツに関わります。
これも「代替わり徳政」の一環です。

大番役は平家が武士の頂点だった時代から見られますが、頼家・実朝政権期になって武士の役目としてしっかり定着するようになったと評価できると思います。

三浦兄弟。後に敵味方と別れることに。

和田合戦に向けて走り出す鎌倉。
このドラマ上の三浦義村が私はあまり好きではありません。でも、時折見せる野心とそれを押し殺して最後は選択を誤らない、その心の動きは面白いなと思っています。

第41回

第41回は和田合戦。
幕府成立後、はじめて鎌倉が戦場となった戦いです。

鎌倉幕府最後の古兵=ふるつわもの

合戦の描写はおそらくリアルではなくて、当時は騎馬と弓矢の戦いが基本。ドラマのような刀の斬り合いはおそらくかなり限定的であったろうと思います。
和田合戦は平野ではなく鎌倉での市街戦ではありましたが、当時の武芸とは原則「騎射」を意味するということは押さえておきたいポイントです。

あとドラマの脚本で触れたいのは巴御前
和田義盛の側室になったという説を採用するのはなかなか面白くはあったんですけど、やはり自分は巴御前は木曾義仲への純愛を貫いてて欲しい派かなぁ。
義盛の側室となったからには和田合戦で戦場に復帰するのかなと思いましたが、それはなかったですね。戦場からは遠ざける義盛の優しさよ。

唐突な大江広元の殺陣シーンはちょっと笑ってしまいましたね。
たしかに毛利氏の祖だし、息子の代には武人となる者も出てくるんですけど、広元はやはり文官でしょう。
あんなに強いのはおかしい笑
これは後に繋がる話ですけど、広元から政子への単なる「忠」ではない隠しきれない思慕。これはこれで良い。

私は源実朝と和田義盛の祖父と孫ぐらい年の離れた主従の話が好きなので、両者の交流のシーンも多く、この点は上手くドラマにしてくれたなぁと思います。
いわゆる「13人」の中では私は和田義盛が一番好きです。
第三代鎌倉殿の一番の忠臣。

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