コロナの影響
ある受診日。
金切り声で泣き叫んでる声
抵抗してる様な音と
それを宥める数人の看護師さんの声と
慌ただしい足音が
診察室越しに聞こえてきた。
今回の騒動で、皆が皆
振り回され惑わされ、疲弊してる。
相手はウイルスという
太刀打ちできないもので
SNSで
個々が奮起する姿や、思い思いの投稿を
見る機会も多くなりました。
それが、なんだか
辛いのです。
心の中で、苦しくてのたうち回ってる自分がいるのは何故でしょうか。
批判や中傷や偏った思想を見るのも怖い。
言葉の暴力性が垣間見えるから
それに、嫌悪感を感じてしまうから。
ただ、『希望』という名の元に
立ち向かう姿を見るのも
何故か私には辛いのです。
それはきっと、
私が不屈の精神論の波に
乗れていないのか
打開策を打ち出せない事や
私のやること成すこと茶番と化して
微塵も上手くいかない
自分を恥じているのか
はたまた
強く在ろうとする者への羨望か
嫉妬心というやっかいなものか。
ただ単に、
目に留まる
情報量を処理しきれてないのか。
正直、わかりません。
SNSをそっとログアウトして
必要最低限の情報はニュースで
把握して
追加のお薬を飲んで
1日、1日を
何とかこなすだけが
今の、私の限界です。
ポジティブの波は、私達にとって
全てに良い影響をもたらすのかどうかは
各々と違ってくるでしょう。
吐き出す場所を失っていく。
タイミングを見逃してゆく。
躊躇するんです。
溢れだしそうな不安。焦燥感。
それを、口にしてしまえば
逆境に立ち向かう雰囲気を乱す
「メンヘラ」「かまってちゃん」
と煙たがられるのがわかるから。
耐え忍ぶ事もできない弱虫だと
言われるのがわかってるから。
ただ、それを抱えきれなくなった時
何かが、切れて
私もまた診察室で聞こえた声と同じ様に
絶望の淵へと落ちていくのも
痛い位にわかっているから。
立ち向かう者が
称賛されるのが世の常ですが
ただ、この状況をじっと耐え忍ぶ
者も私からすれば称賛すべき人達です。
ネガティブなこの御時世に
追い討ちをかける様に
鬱々とした投稿になってしまいました。
だけど、
希望は強いられるものではないし
皆が皆、前向きでいられるわけじゃない。
だからといって
そのフラストレーションが
匿名での批判や中傷に繋がる事が良いわけでもない。
だから、正直な所
正解はわからない。
私自身も混乱してる。
ただただ平穏な日々が訪れるのを
切に祈っています。
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