ライモンド

日本語も人生もプログラミングと違うんです

 外国語の習得というと文系の分野ですが、意外にも私の生徒は理系の生徒、特にプログラマーが多くいます。仕事で日本語が必要だからと言う人も中にはいますが、たいていはアニメやゲームが好きという動機です。

 プログラマーの人達はロジカルな人が多いので、文法の法則を覚えるのが得意です。しかしその反面、少しその法則が崩れたり、文の一部が抜け落ちていると、非常に混乱することがあります。

 当初Mさんは、「日本語はプログラミングみたい」とよく言っていました。プログラミングに対する知識がゼロだった私は「そうですか?」と軽く受け流していました。しかしその後、少し興味を持ち、独学ですこしプログラミングにチャレンジしてみた時、なるほど日本語の文法の活用とプログラミングは似ているかもしれないと気づきました。

 例えば、英語の場合
Go->went, eat->ateと時制によってまったく変わります。日本語の場合は 行きますー>行きました、食べますー>食べました と文末をすこし変えるだけです。

 ただ、文法上は規則正しくても、話すときには文法が崩れます。また活用だけでなく、文全体は主語がなくなったり、助詞がなくなったり、また末尾を濁すことが多いのが日本語の特徴でもあります。

 Mさんは、プログラマーである上にドイツ人なので、そういったことがとても苦手らしいのです。私はドイツ語を勉強したことがないのですが、ドイツ語は一語でも抜けると意味が通じなくなるそうです。ですから、色々と抜け落ちてもなんとなくわかりあう日本人は、Mさんには不思議なものに感じるらしいのです。

 実は、Mさんは生活面でもそういった側面があり、ドイツ人らしく(ドイツ人に対する偏見だったらすみません)毎日同じことをするようにしています。毎日決まった時間に起きて会社にいき、週末にはお気に入りのカフェに行き、映画をみます。多少の変化はあれどほとんど同じです。

ある月曜に、私がいつものように「週末はどうでしたか」とレッスンの初めの挨拶に聞きました。するとMさんは、

カフェに行って、映画をみました。毎週同じです。つまらないですね!?

と、なにか怒りを含んだ感じでいいました。わたしに怒っているのではなく、自分の人生に対して怒っているようでした。

「私も毎日同じことをして同じコーヒーを飲みますよ。ははは」と私はすんなり答えました。
「でも、先生は毎日違う人にあいます。私は毎日キューブのなかで誰とも話をしません。毎日プログラミングだけします。そのプログラミングが表にでることもない。」とMさんは英語でまくしたてました。

 そう言われればそのとおりですが、新しい生徒に出会って失敗をすれば、わきの下に汗をかいたり、疲弊することもあります。さらに私生活でも子供や両親のトラブルもあります。

 私から見れば、Mさんはとても心配性でそういったい緊張や不快感を避けるために人生をプログラミングして、あえてその通りに進むようにしています。刺激が欲しいなら、あえてプログラムを自分で変えたいならそれを受け入れる勇気というか覚悟、そして失うものに対しての諦めも必要なんじゃないかなと思います。

 私は人生相談者でも何でもない、ただの日本語を教える人なので、そう思っても口には出しませんでした。

 たいていの人の生活は毎日同じことの繰り返しだと思います。それをつまらないと思ったらつまらないかもしれませんが、落ち着くと言えば落ち着きます。わたしは小さいころから今に至るまで不幸な事が多かったので、何もないつまらない日々はありがたいと思っていて、毎日がつまらないという人がちょっとうらやましくも思います。


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