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ただのデブなおっさんが超ダイエット、45kgも痩せて人生が好転した話

割引あり

 ただのデブなおっさんが
「ついてる」と言っていたら
45kgも痩せて
人生も好転して
いくつかの
奇跡を起こしてしまった話

楽しすぎる、ついてる思考とは


目次

第1章
エピローグ
ついてない人生
一筋の光
大数の法則
不思議な出来事
時間の不思議
未来ノート
過去は解釈で変わる
自信とは
自分を変える恐怖
食べ物に感謝する
波動の話
正しいより楽しい
悩みの解決法 
人間は腹ペコが丁度良い
カレンダーを使う
焦らずひとつずつ
機嫌よく暮らす
肥満は不満
人にとって欲とは
すべてある
人間の食べ物


第2章
16時間プチ断食
何を食べたらいいの
飲物は
ゆっくり食べる
お勧めのスープ
お腹が空きすぎたら
晩酌はどう
運動の効能
ネットで周りを巻き込む
睡眠をよく取る
減量の期間

第3章
現在の僕
僕の人生に起きた奇跡
ノートの発見
あとがき
ダイエット10か条

第1章


エピローグ

どこにでもいる中年のおっさんが、
なぜか突然、数々の不運に巻き込まれて、
ストレスを抱え、暴飲暴食の無茶な生活を送った結果、
身長163cmで、なんと最高105kgの体重に、
そんな、中年デブおっさんが、
劇的に、心と、意識を変え、肉体も改造、
5年間で、なんと45kg減のダイエットに成功。
今では、お腹もへこみ、
体重60kgの夢のスリム体型に。
10年たった今も、リバウンド無しの、
体型と健康を維持。
心が変わると習慣が変わる、習慣が変わると、
肉体が変わる。出す波動が変わると人生まで変わる。
その後、運命さえも大きく変わり、
数々の奇跡が起きました。
そんな普通のおっさんが、
いったいどんな方法で、
心と意識、体が変わったのか、
その時、どのように、
ついてる人生に好転させたのか、すべてお話します。

ついてない人生

中年に差し掛かる頃、僕は小さな食品会社を
経営していました。しかし、その頃、年中ほぼ休日が無く、
とても忙しい日々を送っていた上、 
日々の経営上のストレス、
新商品買い付けのための試食などの間食で、
不規則な食事、お付き合いでの夜の飲み会、
当然、体重は年々増えていきました。

学生の頃58kgだった体重は、10年間で、
見事に80kg代、
生活習慣が原因の、教科書通りの、
お腹ポッコリの中年肥満男性の出来上がりでした。

そんな頃、経理や事務方として、共に忙しく働いていた
家内が、ある日突然、体調の異変を訴えました。
病院に行ったところ、なんと、すい臓癌の末期と言われ,
余命3か月と宣告されてしまいました。
当時、家内は、まだ40歳を超えたばかりです。
今まで健康そのもののような彼女の突然の病、
「目の前が真っ暗になった」とは
こんな時に使う為の言葉だと思いました。
実は、結婚する時に、彼女と、ある約束をしていました。
それは、
「もし、万が一お互いに余命宣告されたときは、
正直にそのまま本人に伝える」という申し合わせです。
「それを周りが隠して、よそよそしくしていると、
本人だけ孤の孤独な戦いになってしまうから」という、
身内の過去の経験からの教訓でした。
僕は、そんな約束した事を後悔し、
胸が張り裂ける思いで、直接、本人に伝えました。
すると、彼女は、少し間をおいて、何かを決意したように、
「あと、どれぐらい生きられるか分からないけど、
私、前向きに生きる・・・」と、
僕に言いました。

その後、彼女は「病院でどうしようもないのなら、
入院しないで家に居たい」との希望で、
自宅で病気との戦いとなりました。
その後、彼女は癌は進行し、どんどん痩せていってしまい。
3か月後に、体重はついに40kgを切っていました。
そして、4か月後彼女は、ついに力尽きて、
帰らぬ人となってしまいました。
幸か不幸か、これまで僕たちには、
子供はありませんでした。

彼女は経理など会社の中枢を担っていたので、
その面でも、痛手は大きく、
その頃、大口顧客だった中堅スーパーの倒産も重なり、
喪失感から、何か糸が切れたように
僕の会社経営の意欲は、どこかに吹き飛んでいました。
その後悩んだ末、会社を一時休眠させる事を決意し、
従業員にはこれからの事を説明して、
同業者に、顧客、従業員、営業車両を、そのままの条件で
すべて移管して、業務ごと引き継いでもらう事になりました。

その後、気力だけで、なんとか体は動いていましたが、
49日の法要が過ぎ一段落した頃には、
僕の中の喪失感が最大になり、
完全に精神的にやられていました。

まるで戦友を亡くしたような気分になり、
なにより辛かったのは、
僕という人間を本当に理解してくれていた存在が、
もうこの世から永遠に消えてしまったという事です。
連続した、いくつもの不幸な展開に、
心にぽっかり穴が開き、生きている現実感も無く、
まるで自分が、ロールプレーイングのゲームの
中にいる不運なキャラクターか、
それとも小説の主人公のようだと感じていました。
「これ以上の不幸な展開って何だろう」
と考えてみても、気分はただ、底知れぬ闇に落ち続けるだけで、
そんな時は、死のうと思う気力さえ無いのです。

「最悪だと言っている間はまだ最悪ではない」
とは、シェークスピア、リア王のセリフだったでしょうか。

今日は、何日の何曜日なのか。徐々に昼夜逆転して、
時間の感覚まで無くなっていきました。
時々心臓が痛くなるので、右手の親指を、
拳の中に折り曲げて、胸の前でぐっと握り締めていると、
なぜか少し落ち着きます。
ある日ふと気づくと、血が通わなかったためか、
親指の爪が黒く変色していました。

僕は、プライドが高くて人に評価されたい、
よく見られたいという見栄っ張りの性格だったので、
自分が下に落ちると、人目や噂を気にして、
外に出て近所を普通に出歩く事が出来なくなりました。
世の常として、弱い人間が頼るのは、お酒です。
僕の場合は、寂しさや、強烈な不安感から、
いつのまにか飲み食いに走っていました。
暴飲暴食、毎日のお酒、3度の食事の他、間食、夜食。
そんな、投げやりな生活を続けていて、
4か月ほど経った頃です。

その日、買い物のため、近所の人と会わないように
隣町の大型モールに、渋々必要なものを買いに
買い物に出た時の事です。
150件以上のお店が入っている大型商業施設へ、
到着して車を停め、他の家族連れの客を見るだけでも辛かったので、
うつむき加減で、足早に店内のモールを歩き始めました。
ある、アパレルのお店の前を通った時、
なにげなく、ふと、お店の奥に目をやると、
知らない中年男性が一人で買い物をしている姿が、
目に入りました。その男性は背は低く、お相撲さんのように、
かなり体格が良い人でした
その人は、店の奥からこちらを見ていたので、
知り合いではないかと、その人をもう一度良く見ると、
それは、不覚にも、お店の奥の鏡に写った
自分自身の姿でした。
あまりに太っていて、自分の姿だと
認識できなかったのです。
そういえば、しばらく、手鏡以外使った
記憶がありませんでした。

ショックを受けつつ、帰宅してから急いで体重計に乗った所、
なんと101kgもの体重になっていました。
信じられずに、何回か体重計に乗り直しましたが、
やはり、結果は変わりません。
本人はせいぜい90kg代前半くらいかと思っていたのです。
163cmの身長で体重100k越えは、
普通に考えたら、まぎれもなく超肥満体です。

その後、軽い脳梗塞も発症して、
さすがに、これは、本当に精神的にも肉体的にも
やばい状態だと、自分でも気付き始めました
今の状態では自分に何の希望もチャンスも無い。
このまま、もし、自分が病気で死んでしまったら、
「皆の為に、あんなに頑張っていた家内に、あの世で会わす顔がない、
申し訳ない、情けない」と思い始めました。
「亡くなった彼女の分まで生きて、僕が爺さんに
なってから会いに行かなければ」と本気で思いました。
そして、自分なりに決意をして、頑張って、
食事や酒を減らし、何とか体重は90kgに減りました。
しかし、ダイエットは皆さんご存じの通り、
そんなに甘いものではなく、数か月後には元の体重に戻り、
教科書通のリバウンドを繰り返します。
たちが悪いのは、逆にリバウンド後、
体重がさらに増えてしまうのです。

そうして、何回かのリバウンドの後、
体重は、なんと、過去最高値の105kgに達したのです。
ここまでくると、信じられない話ですが、
トイレの便座が体重で割れたり、
玄関のスノコ敷板を踏み抜いたり、
体の重みで、両足のかかとの一番硬い皮膚が割れて、出血し、
痛くて家の中で歩く事もままなりません。
そして、動かないと体重が増えるという、悪循環のループに、
僕は見事に落ち込んでいきました。

これは、根本的に何かが間違っているに違いない。
引きこもっている自分の心の状態を何とかしなければ
外側だけ頑張っても、内側から自分を変えなければ、
すぐに元に戻ってしまう。と考え始めました。
すると、自分自身の今の境遇に怒りが湧いてきました。
もし、僕が小説の主人公なら、きっと自分の台本は、
自分で変えられるはずだと、自分に言い聞かせました。


一筋の光


その頃、ふと、自分の会社で扱っていた商品だった、
「銀座まるかん」という漢方系の健康補助食品の
会社の事を思い出しました。
創業者は、あの有名な斎藤一人社長で
関連する著作も多く、お名前を聞いた事がある方が
多いのではないでしょうか。
ご本人はもちろん一流の企業家で、
株、土地売買を除いた、
純粋なご商売での納税額日本一を
何度も連続して記録されている方です。
商品を扱っていたご縁で
講演などで何度か直接お話を伺った事があり、
その時、ひとり社長が話された、ある言葉が
心に残っ4ていました。
それは「ついてる」という言葉です。
これを自分の口癖にすると、普段からそれを
言っているだけで、
その人の運命さえ変えられるというものでした。
社長ご自身も「いつも、これで自分の運命を切り開いてきた」と
話されていました。

「自分はついてる」と、いつも心で思うと良い、という事ではなく
何かにつけ、いつも声に出して言うのです。
すると実際に、ついている事が、自分の人生に展開してくる。
というお話でした。
以前は、こんな話を直接伺っても、情けない事に、
聞きっぱなしで、ほったらかしにしてきた僕でしたが、
今の自分にはこれしかないと、
文字通り、藁をも掴む気持ちで、
改めて僕はこれを実践しようと心に決めたのです。

しかし、すぐに問題にぶつかります。
「ついてる」という言葉が、どうしても口から出てこないのです。
実際自分は今、何から何まで、どん底の状態です。
ついてる事など、何ひとつ見当たりません。
配偶者の死、会社は休眠、不健康な超肥満の
まともに歩けない身体。
経済的不安、心も体もボロボロ、孤独で、
家族や子供もいない。とことんついてない
みじめな中年男が、真逆の言葉を毎日唱えるなど、
明らかに自分に対して嘘をつく事です。

そんな時、再び、ひとりさんの言葉を思い出して
助けられます。
「今、自分についてる事が何も見つからない場合は、
自分で何が何だか分からないほど、ついてると
思えばよい」という言葉です。
そこで、僕は「今は全く分からないけど、
まだ分からないだけで、
人知が及ばない所で、自分は何故か、
とにかく、ついているのだ」
と無理やり自分に言い聞かせました。
すると「ついてる」と一言、口から搾り出すように
出す事が出来たのです。
一言出てしまえば、こっちのもので、
続けて何度も「ついてる」が出てきます。
僕はついてる。
何が何だかわからんが、とにかく、ついてる。
呼吸が出来て、ついてる。
水が飲めて、ついてる。
ご飯が食べられて、ついてる。
今日は晴れていて、ついてる。
雨が降っても、屋根付きの家がある。
寝る場所があってついてる。
太ってても、まだ生きてる自分が、ついてる。
ついてる、ついてると言っていると、毎日の細かい事に気付きが生まれて
不思議と、そこには感謝というものがくっついてきます。
そうして、真っ暗闇だった僕の人生に、
天上の雲間から差し込むレンブラント光線のように、
希望の光が少しずつ差し始めたのです。


大数の法則


もうひとつ、ひとりさんから教えて頂いた、
「大数の法則」というものがあります。
これは確率の話なのですが、例えば、
サイコロを振って1の目が出る確率は1/6です。
しかし、たまたま6回振って、1が3度も
出てしまう事があります。
しかし、6回ではなく、6千回振ったら、
おそらく1の目が出る確率は1/6付近に落ち着きます。
もし6万回振ったら、1の目が出る数は実際に
1万回に限りなく近づくはずです。
大きな数は、ほぼ確率通りに推移するのです。

人生で良い事と悪い事が起こる確率は、ほぼ1/2です。
人生はかなり長丁場です。振る回数は多いので、
大数の法則によれば、僕は、今まで連続して悪い事が起きて、
不運をかなり多く使い切ったので。次は幸運が、立て続けに、
雪崩のように起きてもよい事になります。

人生を振子に例えると、今回、僕は、大きくマイナスの方向に振れました。
そうだとしたら、揺り返しのエネルギーが、
上の方で溜まりに溜まりきった状態です。
これから、大きいマイナスからゼロを通って加速をつけて、
ブンと大きくプラスに振れ、
きっと、とてつもなく良い事が、これから沢山起きるはずだと、
とにかく信じて、毎日、実践する事にしたのです。


不思議な出来事


梅雨の合間のある日、暑くて天気の良い真昼間、僕は車で、
近くの河川敷沿いの堤防の上に作られた、まっすぐな道を走っていました
道路も空いていて対向車もあまりありません。
窓から、入ってくる風は草の香りがして、とてもさわやかです。
僕はいつものように「ついてる、ついてる」と言いながら。
とても気分よく、軽快に車を走らせていました。
横の堤防の、のり面には、一面新緑のツタの葉が、けども、行けども、
グリーンベルトのように、終わる事なく続いています。
マメ科のツタ植物「葛(クズ)」の群生です。

その時です。
「これらは、すべて小さな細胞の集まりだ」
という声が、僕の頭の中に突然入ってきたのです。
説明出来ない不思議な感覚でした。
そうだ、この何キロもずっと続いている葛という植物、
その何千万枚あるか数えきれない葉っぱ、茎、根のすべてが、
何億、何兆個かの細胞で出来ている。
これは気が遠くなるほどの膨大な天文学的数字で、
まぎれもなく、ある意味、ひとつの宇宙だ。
そして、一枚々の葉はすべてが完璧に、何かの力で
絶え間なく見事にコントロールされている。昼間は光合成を行って
エネルギーを生んでいて、これらすべてが、完璧なシステムだ。
それだけではなく。この植物の近くには、虫や鳥、
土中には無数の微生物が、
同じ仕組みのなかで何億、何兆と数えきれない命を育んでいる。
そうだ、人間もこの完璧なシステムの一員だ。
こんな数々の情報や考えが、わずか数秒の間に、
雪崩のように運転中の僕の頭の中を通り抜けました。

すると、胸が急に熱くなり、嬉しくも悲しくもないのに、目からは突然、
大粒の涙がボロボロと、とめどなく流れ始めました。
なぜ、急に自分が泣きだしたのか分からず、視界がぼやけて、
当然運転どころではなく、僕は、車を道路脇の広い場所に
ハザードを出して急停車させました。しかし、車を止めても涙は止まらず、
再び、座席に座っている僕の頭頂部から後頭部の首筋の方に、
波のような何かが通り抜けました。
「すべてが同じ、すべては命、すべてはひとつ」
こんな言葉が頭の中に響いたのです。
「そうか!そうだったのか!」と僕は何度も叫んで、
さらに、ワーッと声を出して号泣しました。

訳が分からず、そのまま20分ほど車を停めていると
やっと、涙は収まり、視界が徐々に戻ってきました。
何とか冷静を取り直し、
シャツの前を見ると、涙のシミだらけです。呆然としながらも、
運転して自宅に戻っても、いったい何が起こったか分からず、
考えても、実際に自分で体験したのに、まったく理解不能でした。

これをきっかけに、その後僕は、
数々の不思議な体験を、繰り返しするようになりました。
(詳しくは、他の機会にご紹介します)

そんな体験をした僕は、
それこそ人生のどん底の状態に居ながらも、
世の中の真理や法則とはいったい何だろう。
きっと、不幸な人には不幸になる考え方がある。
太る人には太るような考え方がある。
この宇宙には、何かの法則、真理があるはず。
と、思い始めました。
自分自身の内側の心の持ちようで、
いかに現実が変わるか。
これを確かめてやろうじゃないかと思ったのです。


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