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オープンイノベーションにおける「雪かき」という仕事について

2011年にeYekaというフランスのオープンイノベーションのスタートアップと勤め先との提携を担当し、日本でのビジネスを推進を始めました。欧米では数々のグローバル企業が顧客になっているので、日本でもすぐに成功するだろうと信じて疑いませんでした。結果は惨憺たるもので、数年経っても鳴かず飛ばずの状態で、多くの人に迷惑をかけてしまいました。それでも、彼らが目指すビジョンは僕が追い求めていたものとほぼ一緒だったので、諦めきれず、形を変えて、彼らとは関係を維持しつつ、僕なりのオープンイノベーションの仕事を作っていくようになりました。今、55歳。ようやくオープンイノベーション領域で自分が役立つスペースを見つけることができました。僕のビジョンはシンプルです。「日本企業がダイナミックな多様性を受け入れることでビジネスモデルを転換していく。その試みに貢献できるよう、あらゆる本を読み、世界を旅をして、人と出会い、世界中で自分が日本に紹介したい企業や人とつながっていく」この役割が最近ようやく認められるようになってきました。

オープンイノベーション領域で見つけた文学部卒の男の役割

でも、この役割は、自分で言うのも何ですが、ちっともクールでないし、憧れられる商売でもないし、お金持ちや成功者になるための職ではありません。僕は大学でフランス文学を学んでいて、ひたすら人間心理を学んでいて、テクノロジーも財務会計も学んでおらず、MBAも取ってません。eYekaとの協業を機に、一発奮起して、30代の同社のファウンダーをメンターと決めて、彼にアドバイス受けながら、オープンイノベーション周りの知識と英語とグローバルビジネスの基本を無我夢中で学んできました。そんな僕が今、具体的にできる仕事と言えば、海外スタートアップと日本の大企業が協業しようとする上でのコーディネーション業務です。両者が接触、協議、テスト、本格ビジネススタートしようとするプロセスにおいて、日々の雑務が生じて、それに関する業務を自分で対応できる範囲をすべて請け負うことで伴走していく仕事をしています。広告会社に勤務していますので、専門領域は戦略広報や、ブランディング、広告、ワークショップやセミナーのアレンジ等コミュニケーション周りが主ですが、協業プロジェクトを推進するときには想定外の話が次から次へと来ますので、専門外でも自分のネットワークを駆使して対応するようにしています。大企業と海外スタートアップが協業しようとする際、お互いが「異人」「よそ者」なので、両社の心の奥底にはどうしても警戒心があります。この警戒心が、なにかのきっかけで膨らむとプロジェクトは頓挫してしまいます。この警戒心をできる限り抑えることが必要で、その役割を、あらゆる雑務をやることで、両者から信頼を獲得して、警戒心コントロールキーパーの役割を担うことになります。

オープンイノベーションの雪かき

僕はこの種の仕事を総称して「雪かき」と呼んでます。これは村上春樹の小説の中に出てきた比喩を使わせてもらってます。初期の作品で、主人公が雑誌のライターの仕事をしていて、記事を書くという仕事を「文化的雪かき」と表現していました。社会が回っていくためにだれかがやる必要のある仕事。今でいえばエッセンシャルワーカー。オープンイノベーションにも、裏方で、誰かがやらなければいけない仕事というのがあるのです。イノベーションというのは、既存の構造を壊していくプロセスなので、それに抗うエネルギーは半端ではありません。大抵のプロジェクトはこれに負けてしまいます。多くの日本企業がここ数年オープンイノベーションプロジェクトのスタートして、大々的にニュースリリース配信してますが、その後、そのプロジェクトが、担当者がどのような状況にいるのか、メディアで取り上げられることは多くありません。多くの人が、きらびやかなスタートの後、闇夜に沼地や谷に突き落とされるような日々が続いているのだと思います。このギリギリのところで、第三者が彼らのために汗を掻く仕事というのがあります。僕は自分自身が同じ経験をしたので、そういう彼らが今、何が必要なのかが見えるようになりました。ブローカーとしてオープンイノベーション周りのプロジェクトに携わるのではなく身銭を切った者として手伝わせていただくという事を評価してもらえるようになりました。

僕は、日本の若者が、日本企業がグローバル市場で所を得るビジネスを創造することを願って、情熱を持って雪かきをしています。こういう仕事を見つけられて心底嬉しいです。






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