渋谷 - Corn Barley
理不尽な叱責を受けたときに、誰もが冷静に即時釈明できるわけではない。怒りとともに反発する人もいれば、自分に非は無いのに謝ってしまうような人もいる。
どちらかというと反発するタイプの僕は謝ってしまうタイプの人に対して「そうやってすぐ謝るのやめようよ」と諭していた時期もある。けれどそれが改められることは余りないようだ。おそらくそれはその人の変えられない個性の一部に過ぎないから。改めるためにはその人の個性全体から、つまり根っこから改めなければならないんじゃないだろうか。そんな風に考えるようになった。
これまでの人生で出会ってきた「謝ってしまう人」たちは、僕の認識ではみな善良な人たちだった。「謝るクセ」を改めるために、その引き換えにその善良な個性全体がもし損なわれてしまうのであれば、僕はそのクセを改めなくていい、改めないでほしい、と願う。
怒りたくないのに怒らなければならない。そういう話を聞いた。仕事の話だ。簡単に言えば外注業者にナメられないよう高圧的な態度で接するように上司から強く命令されたということだ。
彼女が勤める会社は誰でも知っている外資系のファッションブランドだ。そのブランドイメージを傷つけないためにも毅然とした態度を崩すな、強い姿勢で臨みなさい、というのがその上司の言い分で、まあ理屈として理解できない話ではない。
最終的に彼女は、ミスをした外注に対して徹底的にキレて接することを余儀なくされた。その子は「謝ってしまうタイプ」で、おそらく怒りを表現することが誰より苦手だ。おっとりした雰囲気で、それがその子の個性であり魅力であると僕は考えている。
彼女は無理をして外注に対してかなり厳しく接したようだった。自分の父親みたいな年齢の人が頭を下げてるのに、厳しい口調で責めなければならないことに心を痛めているように見えた。
僕は彼女になんて言ってあげればよかったのだろうか。今なお考え続けている。正解がわからない。
「よく頑張ったね」とか「ビジネスなんだから割り切るしかないね」とか言うのは簡単だ。でもこれからもそうやって仕事を続けていくことでもし彼女の個性が損なわれてしまうのであれば、僕は「そんなことはしなくていい、しないでほしい」と思ってしまう。それが僕の本音だ。
でもそうしなければまた彼女は上司から厳しい叱責を受け、追い詰められていくだろう。
まあ、僕ごときが何を語ったところで、素晴らしく事態が好転していくことなどありえないのだろうけど。
僕にできることといえば、くだらない話をして馬鹿みたいに一緒に笑うことだけだった。
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