わたしのさみしさについて

ひとりでいることのさみしさについて、少しずつ、変化を感じている。

亡くなってから一周忌までの1年は、正直なにがなんだかわからなくて何もかもの感覚が麻痺している状態だった。なので、「彼が亡くなってさみしい」と思うことは案外なかった。「さみしい」と思うことすら、思えなかったのだ。

一周忌を迎えたころ、からだを壊し、日々生活することが困難になった。(それまでは普通に生活し、旅行にも行き、それなりに楽しく過ごしていた)引きずるようにからだを起こし、無理やり会社に行き、それでも遅刻や早退、有休を使って寝込むことが増えた。一周忌から三回忌を迎えるこの1年間が、本当につらかった。

心も体も、どこにも逃げ場がないように思えた。思うように食べられない、眠れない。人と関わることがとにかく億劫だと感じる。死にたくないのに死にたいと常に思う。頭のなかは常に「さみしい」で覆われていた。ひとりで過ごしたくなかった。ひとりにした彼に怒ることもよくあった。そんな毎日だった。

三回忌を過ぎてからいま、そうした体の不調や、心の不調はあまり感じられなくなった。それでもやはり週末は、さみしさに駆られて具合が悪くなることはあるが、以前ほどではなくなったように思う。いまは在宅勤務で、日中は部屋でひとりで仕事をしているが、作業があるおかげか、さみしさはあまり感じない。強いて言えば、外食もできず、ひとりでこもって食べるご飯がおいしくないくらい。(食事は本当に、何を食べるかということより、誰かと食べること、が大事なんだと思う)

さみしさを感じることについて、少しずつ変化が起きていると感じている。彼がいなくなってさみしいことに変わりはないが、一人の生活、彼のいない生活に、少しずつ慣れてきた証拠なのかもしれない。それと、自責の念を抱えることも減った。というより、これは、意識的に抱えることを減らしている。どれだけ自分を責めても、彼は生き返らない。どれだけ彼を責めても、やっぱり彼は生き返らない。そう思うようにしている(とはいえ、急にぶり返すことはあるけど)。

時間薬なんてないと思っていた。それぐらい、涙も出ないほどに、彼が亡くなったことは悲しかったから。でも、淡々とでも生きていれば、変化することはあるのかな、とこの頃思う。

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