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『稽古』2022 3/7

3月の『稽古』について少し。



今日で四日連続『稽古』をしています。毎日ブルドッキングヘッドロックの岡山くんに手伝ってもらっていますが、手伝ってもらわなかったら大変なことになっていたはずです。劇団員で最初に手を挙げてくれた人でした。彼はいろんな方向にアンテナを張っています。足で稼ぐタイプの刑事みたいに現場に赴くタイプです。ありがとう岡山くん。


本番もないのに本当にみっちり稽古をしていて、「阿修羅のごとく」の1シーンについては、とても引き締まったものができました。参加された俳優陣の献身と集中力にも頭が下がります。ドラマとはまた違った、演劇としての活力のある場面になったと思います。お見せすることはありませんが。


でもそうなると、そのシーンの前後も見たくなるから困ったものです。あのシーンもこのシーンもと言っていたら、それはもうすっかり上演作品のようなボリュームになってしまうでしょう。本番もないのにです。やるのか俺は…?この『稽古』はがどこへ辿り着くのか。まだまだ全貌は掴めません。


別役さんの本も大変楽しく読み解いています。わかっていてもできないことがあったり、できてるはずなのにピントがぼやけていたり、とても厄介です。だからこそ大変やりがいがあります。そしてやはり身体の重要性を考えます。本の中によりかかる材料が少ないということもあるかもしれませんが、それにしても身体、そして身体から出る音、声ですね、さらに身体の使い方がものを言うように感じます。個性はあるが余計なものはない。そんな身体が必要です。日々積み重ねることでしか手に入らないもののように思います。


今回、ブルドッキングヘッドロックにも数回出演していただいた外村道子さんという女優さんに参加いただいています。今回、外村さんの「こうだったら面白いのに」というところがよく出ていてとても素敵なんですが、それを自分の本でももっとうまく引き出せなかったものかと、稽古をしながら自分の筆の腕について考える瞬間があります。それも『稽古』の良い効果だと思っています。


扉座の有馬自由さんにも参加いただいています。別役さんの本を一緒に読み解いていただいていますが、もちろん本の中に仕掛けられた小さな凸凹を見逃さない方なので、稽古が良い意味でスリリングです。軽妙に形を変えながら、答えらしきものを探して揺れ続けます。ですが、そもそも答えを見つける気がないようにも思えて、そんな曖昧なところに立っていながら、瞬発的に次のニュアンスへ狙って変化できるところが動物的でびっくりします。


準備したもので渡り合おうとするのはよした方がいいかもしれません。でも、よした方がいいかもしれない準備を、繰り返し繰り返し積み重ねていかないことには、まるで、今ふとやってみた、というような形には辿り着かないのかもしれません。本番のない稽古だからこそ、たくさん失敗するチャンスがあります。しかし、できない人のレッスンをする場にはしたくありません。それでは私がやりたかった稽古の時間が減ってしまうからです。考えはあっちに行ったりこっちに行ったりしながら、少しずつ形を確かにしていくようです。

『稽古』には、公演事業と切り離したことで得られる学びがたくさんあります。『稽古』に来る前にやっておかなければならないことがたくさんあることにも気づかされます。俳優も、作家も演出家もそうです。





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