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『稽古』2022 3/8

『稽古』は後半戦に入ってまいりました。「阿修羅のごとく」についてはいったん区切りをつけ、別役さんの本を数チームに分かれて稽古しています。さらに、新しい参加者の方を探すべく、稽古場にお越しいただいて話したり読み合わせをしたりもしています。私の気力が続く限り、会い続けていく予定です。自分たちだけの地味で静かな活動ですが、グツグツと湯が湧き上がるような感覚もあります。


新しい方のために新しい台本(自作)を導入してみましたが、まだ早いような気がしました。そして自作なら過去のものではないと思いました。自作なら今書いたものの方が良さそうだし、過去のものを使うのなら、今の自分が手を加えてからの方が自分にとって心地が良さそうです。質のムラが気になって仕方がないというのもありますし、なにより、脚本が外部のものであることには、全体の中心に脚本があり誰も書き手の真意を知らないと言うメリットがあります。試行錯誤の段階でどこかに偏って重心が乗ることは、結果の見極めを難しくしてしまいそうです。


以下、徒然に書きます。読みづらいかもしれません。



『稽古』にもマラソンで言う○○キロ地点のような、目処と言うか目星のようなものはあった方がモチベーションを維持しやすいのかしら?と考えたりしています。例えば、「観客」を募集するというのはどうか、とか。


観客役の方です。稽古、あるいは稽古の成果を見てもらう。それだけです。それは、演劇の人ではない方がいいかもしれません。この、密かに行われている演劇や稽古に興味はあるけど、ご本人が演劇をやっているわけではない。そういう方。そういう方の方が観客役に徹していただけるのではないかと想像します。草野球ならぬ草演劇ですから、観客もプロである必要はない、という考えでもあります。登録制にして、その時間、稽古に参加できる方に来ていただいて、ただ見てもらうのです。


あー、でもそういう方が見たものを例えば言語化してくれたりすると、何かが豊かに繁っていきそうな気もします。いや、俳優に対して感想を言ってほしいわけではありません。言ってくださってもいいけど。それよりも、記録をつけてくれるような。『稽古』をもう一つ別の形に写しとるような作業です。写真を撮ってくれるということでもいいのかもしれない。あるいは、クーラーボックスに飲み物を用意してくれるようなことでもいいのかもしれない。



あ、マネージャー?草演劇だけに。


最初は演者の関係者を招いて発表会のようなものを開催することも考えましたが、それではありませんでした。それじゃあ本番と変わりません。目の肥えた関係者の意見ももちろん重要ですが、見ず知らずの観客を感じることも重要でしょう。公演事業ではないからこそ、観客を選ぶことも許されるのかもしれません。目的に沿った形で。


『稽古』に関する記録を私以外の人が書いてもいいかもしれません。いや、むしろそうなることを目指したい。演劇を理解した書き方をする必要はなくて。でも、それはいわゆる広報用の「稽古場日誌」とどう違うのでしょう。……あ、そうか、見せなければいいのかそれも、外部に。『稽古』のメンバーだけが見る、純粋な記録。本当にただの日誌。それは面白いかもしれません。


しかし、それらもあと少し先の話でしょう。今はもっと俳優と『稽古』について共通言語を増やすことに専念するのが良さそうです。


何回かやるうちに、これは、この『稽古』だから良いのだろうなと思う瞬間があります。それはおそらく参加されている俳優さんたちも感じているところではないかと思います。不思議な感覚です。劇団でもない、サークル?でもない、もちろん、プロデュース公演ではありません。なんだろう。ずっと同じメンバーで稽古するとは限りません。形を変えながら継続するのか、あるいはある日プツリと消えてなくなる活動なのかもわかりません。でも少なくとも今、良い時間を共有しています。


自分でもどこへどう転がるのか、とても期待しています。孤独なまま、それでも演劇をやり続けるために試行錯誤は続きます。







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