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雑記2023 03/24

演劇の脚本というか上演台本というか、と、映像の脚本というかシナリオというかは、やっぱり違いますよね。書き方も形式も重心を置くべきところも違う。同じ登場人物が同じ心情を吐露するとしてもそれを示す台詞が違う。


上手に上演台本が書ける方が上手に映像脚本も書けるかというと、そうでもない。もちろん両方上手に書ける方がいないということではありません。いらっしゃいますよね、両方上手な方。あの方やあの方、あの方も。でも、皆が一様に書けるということではないと。


それって慣れていないからではないような気がするんですね。言語化しないけどそこは。文藝の海は広く、奥も深い。外海に出るならそれなりの装備で、という話かもしれません。


雑記ですからね。脈絡はありません。


思えば20年〜22年にかけての私は、演劇の上演台本を年に一本のペースでしか書けていません。一本かあ減ったなあ、と思います。でもよく考えたら劇団で年に3本書いたら本当に死にそうになってたんですよね。02年と05年と10年に書いたかな。08年は外部と劇団合わせて3本。2010年代に入ってからはもう無理。だし、3本書いたあとは大体ペースダウンして結局5年くらいを平均したら年2本程度だったりする。だから、年に一本書けてるならまあいっかって、今これを書きながら思いました。


じゃなんで少ないと思ったか。本数じゃねえんだな結局。実感だな。その辺、わかったような気がしないでもないことがあるから、この先取り組むものにちゃんと反映させようと思います。ていうかすでにそうしています。依頼する側にしたらとにかく書けよって話なんですが、こっちからすると書けばいいという話でもないんです。


そんなに遠くない未来、脚本や台本もAIに任せる時代が来るのかもしれないですけど、最初に書いた「違いの話」とかAIにわかるのかな。実感の話も。わかるということがそもそも必要ないのか。そうだよな、わかるわからないじゃないんだよな。そういうの良いな。


『桐島、部活やめるってよ』なんて、なんで書けたんだろうな。誰も映画の脚本の書き方なんて教えてくれませんでしたよ初めてなのに。もちろん書くということ以外でたくさん助けていただきましたからね。助けがなかったら書けてないんです絶対あんな。でもだから人も結局わかるわからないじゃないんだな。人のそういうところも良い。なんなんだよつまり。


あー雑記楽しい。Twitterもねー、なんだか、役に立つもの、気の利いたもの、思想や主義の綱引き、人気者の何気ない呟きなどに埋め尽くされて、どうでもいいもの(褒め言葉)を見つけるのが難しいくらいです。かと言って自分がそういう呟きをできるわけでもなく。誰も興味がないだろうことを呟いて、実際誰も興味がないとわかる数値がはじき出されるのも、わかっちゃいるけど切なくもなる。頭も使う気も使う。


でもやめると繋がりが途切れるじゃないですか。せっかく繋がってるんだから。繋がっていたいですよそりゃ。でも固執しちゃいけない。任意でやってんだから自由でいないと。その塩梅を探るためにやっぱり雑記に戻ってきました。


じゃあまた。






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