自分の人生の上に何を置く?

ミートたけしさん良いこと言うなあ

YouTubeでミートたけしさんが
「夢を諦めた人は負け組か?」
という質問に答える中で

「音楽の上に自分の人生を置くな」
という言葉がありました。

音楽の上に人生を置くと言うことは音楽に依存すること。
つまり、仮に音楽が無くなれば
「音楽がなければ自分に価値はない。」
そんな風に考えてしまうかもしれないわけです。

実際はそんなことありませんね。
人間の価値は人そのもの。
つまり、音楽が無くなってもその人の価値は何ら変わらないはずなんです。

だって、「その人」が音楽をやってただけ。
「その人」自身は音楽が無くなってもそのまま生き続ける。

これは他のことにも言えますね。

僕の人生の上には何があるのか

僕の人生の上には何があるのか考えてみました。
プログラミング、絵、DTM…
熱中しているのはこれくらいでしょうか笑

プログラミングは大学の方でやるので最近はあまり自主的にやってません。
そもそもプログラミングは中学の時からやっててレベルが上がってくると高度な数学の知識や
プログラミング言語以外の知識(APIやデータベース、アルゴリズムなど)
が必要になってくるので面倒なんです笑

最近は大学も冬休みなので画力と作曲力を上げようと
1日の大半を絵とDTMにつぎ込んでます。
楽なことばかりではなく、悩んだりしますがそれも楽しいので。

これらの趣味(本気で取り組むタイプの趣味)が
仮に僕から全部消えたとしても、僕の価値は何ら変わりません。
「趣味が僕の一部」ではなく
「僕が趣味をしている」だけなのですから。
たぶん、僕は趣味が消えてもまた新しい何かを人生に載せようと
探し回るでしょう。

能力こそが人間の価値?

仕事(勉強)ができない私は無能
顔が悪い僕はイケメンの彼よりずっと無価値
(どちらも昔の僕ですね)

そんな風に考えることがあると思います。
実際僕もそうですから。
でもこれらの考えは
「ある1つの観点からすればそういうことが言える」
というだけで
多角的に見るとそうでもありません。

「仕事ができない」は資本主義的な価値観からすれば
マイナスであることは事実です。
しかしだからといって
「仕事ができない人は無価値だ」とレッテルを貼る輩は
極めて短絡的です。

その人が生きていることを願う人や死んだら悲しむ人もいます。
生んでくれた両親や友達などですね。
何かができない、何かが劣るだけで人間の価値は消えたりしません。
あなたが生きてくれているだけで喜んだり、
死んだときに悲しんでくれる人がいるというだけでも
あなたには価値があると分かるはずです。

人は生きてるだけでも価値があります。
生きていて、誰かと挨拶をしたり
話したり、笑ったりするだけで
お互いの存在に価値を感じるのですから。

他のものに自分の価値を求めてはいけない

先ほどの文はあくまでも他人や周りからの観点での価値
を考えてみましたが、
今度は自分の内側から作る価値を考えてみようと思います。
見出しの一文はミートたけしさんも言ってたことです。
アドラー心理学に通ずるものがありますね。

単刀直入に僕の考えを書きます。

自分の価値を他のものにあると考えてしまうと
精神がすごく不安定になって
自分のためになりません。

例えば、あなたが好きな人に告白して振られたとします。
だとしたら結構ショックを受けると思います。
(自分だったら泣いてます)

それはなぜかというと、
相手に自分という存在を否定されたような気持ちになるからですね。
(一概にそうとは言えないですが、大体はこれにまとまるはず)

ある意味、これは告白した相手に
「おまえの価値なんてねーよ。ばーか」
と評価を下されたようなものですね。

他のものや他人に自分の価値を求めるということは
自分の手の届かないところで価値が決められるということ。
毎日毎日、周囲からの目を気にしながら
ガクブルして生活するというわけです。
(高校時代の僕)

「でも実際そうじゃん!」
と思う方もいるかもですけど、
よく考えてみてください。

あなた自身、クラスの人全員に対して
「うわ、あいつキモー」とか
「あの人めっちゃいい人!」とか
常に評価下したりしてるわけじゃないですよね。
他人の行動に常に目を光らせたりしてませんよね?
(してたらちょっと……うーん。ドン引き)

要は、人間って他の人に興味が無いんです。
誰もあなたのことなんて見てないんですよ。
(イケメンと美女のぞく)

ああ、可哀想。
みーんな、
僕のことなんて全く興味も無いし、
見てもくれないのね。

だから肩の力抜いて
人の目なんて気にせずに好きに振る舞えば良いんです。

他人は、
迷惑で無ければ
あなたが何をしても、あなたのことなんて見ません。

そんなわけで、
自分で自分の価値を作り上げることが大切なんです。

自分ができることを自分の価値にする人もいます。
しかしそれだと、結局他のものに価値を依存することになります。

なので僕は
「自分の良いところも悪いところもすべて受け入れる」
ようにしています。
一見簡単に見えますが、僕の場合は時間がかかりました。
1年くらいかかりました。
でも、できるようになると、それだけで生きるのがぐっと楽になります。

失敗しても、それが僕。そんな日もある。
努力してるのはいいこと。だれも見てないけど僕自身が見てるから大丈夫。
見た目が良くなくてもそれはしょうがない。それも含めての僕だから。
劣等感もしょうがない。僕が変わろうとしてる証拠だ。

あれ?でもそれって…

勘が鋭い人は気づいたかもですけど、つまり
逆に
「周りをある程度ちゃんと見て
他人の良いところを見つけてあげれる人」

になれば誰とでも仲良くなれますね。
なんかラノベやラブコメのヒロインなんかには
そういうキャラが多い気がします。

僕が最近はまってる「久保さんは僕を許さない」の
ヒロインである久保さんも白石君の良いところを
たくさん見つけてますしね。

まあ、でもそういう人間ってあんまり見かけませんよね。

じゃあ、あなたがなっちゃいましょう。
ひとまず身の周りの人の名前を覚えて、
なんか一つでも良いことしてたら、

例えば、
落ちてるゴミを拾うとか
電気消してくれたとか
してたらその人に一言

「○○さんていつもしっかりしてますね」とか
「いつも気配りをされててすごいです」とか
伝えれば良いんです。

普段の何気ない会話でも
「○○、いつも△△してくれてありがとう」
とかしっかり伝えられる人になれば良いんです。

あと、普段一緒にいる人やクラスの人の良いところを
一人3つくらい挙げるように練習すると良いです。
「いつも積極的に動いてくれる」とか
「聞き上手」とか「気配りできてる」とか。

できない人めちゃくちゃ多いですよ(体感)
できるようになると他の人の良いところが見えて、
なんか明るい気持ちになります。

これができるようになるとたぶんモテます。
おそらく女性ならモテます。
僕はそういう他人の良いところを見つける人好きですね。

男性ももちろんモテ…うーん。まあ、わからん。
まあ、都合の良い男?みたいなのに分類されるかもしれんし。

でも、言動や性格を見ないで
勝手に上から目線で評価を下す女性となんて
付き合ったり、深い関係になりたくないですよね。
そんな人と付き合っても長続きしませんし。
じゃあ、男もやろうぜ。

「現実」は「理想」じゃない

僕の考えを言語化したいので。

私たちの身の回りで起こることは幸せなことばかりじゃないし
人生の大半はアニメや漫画みたいに感動的じゃない。

誰も僕を見てくれない。誰も僕に興味は無い。
ずっと大好きなあの人も僕に興味なんて全く無い。

友達なんて僕のことをわかってくれない。
でもきっとそれは友達も同じかもしれない。

言葉にしても表せない思いの方がずっと多くて苦しかったりする。
そういう苦しみも理解できるようになりたい。

一人で泣いていても手を差し伸べる人はいない。
苦しくても誰も助けてはくれない。
手を差し伸べるのも、助けるのもいつも自分。

ギブアンドテイクなんてない。
ギブアンドギブじゃ何も返ってこなくて苦しいだけ。
テイクアンドテイクじゃ誰も何もくれない。
だったら僕は、
幾分マシな、幸せを分け与えるギブアンドギブになりたい。

きっと僕の考えも、僕の行動も、僕の善意も
誰も褒めないし、誰も認めないし、誰も見てない。
でも自分が見てるから僕はちゃんとして生きていたい。

誰かの考えも、誰かの行動も、誰かの善意も
誰も褒めないし、誰も認めないし、誰も見てない。
だったら近くだけでも僕が認めたい。

僕が死んだって世界は変わらない。
僕が生きてたらどこかで世界は変わるかもしれない。

僕の代わりなんていくらでもいる。
僕にしかできないことはない。
でも僕は僕として勝手に生きる。

終わり

書いてる間に0時になりました。
だいぶぐだぐだ書きましたが、
最後まで読んでくださりありがとうございます。
自分の中で言語化しておきたいものが吐き出せてスッキリしました。

僕はまあ、苦しくてもなんだかんだうまく逃げてやっていきそうですね。
最近、「久保さんは僕を許さない」を読んで
「なんかこういうこと高校時代にしたかったなー」とか
「久保さんみたいな人がいたらなー」とか
思ったりして。
まあ、あり得ませんけど。

たぶん僕は周りの人よりもずっと苦しい人生になる気がするんですよね。
なんとなく、漠然と。
でもそうなったとしても
なんだかんだ言いながら
自分の人生をばかにして笑いながら歩いて行く
僕の姿がなんとなく見えてるので
多分大丈夫ですね。

あー久保さんみたいな人がお嫁さんにほしー(棒読み)

ただ、僕みたいな
絵描いて曲作ってとかいう人間って大体
人格狂ってるとか、なんかやべーみたいな部分があるので
多分誰とも付き合えませんね。

僕自身そういうところは無いと思ってるのですが、
まあこのnoteの記事見ると…
なんとなくまあ、狂ってんのかなとか思ってしまいますね。

まあ、狂ってる僕も僕だし、
「久保さんみたいな人がお嫁さんにほしー」と思ってる僕も僕だし。
まあもう全部含めていろいろ狂ってる僕でした。

おしまい。
4000文字の記事を最後まで読んでくれてありがとう。🙌

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