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曖昧な言語:日本語第二言語話者の問題

キーツの有名なオードの最初のスタンザは、題名にもなっている壺に語りかける形で始まる。

Thou still unravish’d bride of quietness,
おまえは静寂と結ばれて,まだ清らかな花嫁,
Thou foster-child of silence and slow time.
おまえは沈黙と悠久の時が養い育てた子供。
Sylvan historian, who canst thus express
森の歴史家、そのように表現できる者
A flowery tale more sweetly than our rhyme.
我らの詩よりも甘美に花咲く物語を語る。

ここで「still」の意味は何だろうか?

これは一つの解釈に限らず、複数の意味がある。「still」は「動かない」という意味もあるが、「常に」や「絶えず」といった意味も含まれる。このような語彙の曖昧さは、読者に異なる解釈を想像させる余地を与える。

曖昧さはすべての言語に共通している。それは、発言の意図する意味が不明確であり、聞き手や読者が文脈を用いて複数の理解を導き出さなければならない状況を指す。

日本語においても、曖昧さはさまざまな文脈で現れる。日本はしばしば高文脈文化と呼ばれ、日本語話者は直接的な言語・コミュニケーションを控え、文脈に依存して意味を伝えることが多い。例えば、日本語とドイツ語の母語話者を比較すると、曖昧な俳句を評価する際、認知的な曖昧さによって美的評価があまり下がらないことがわかっている。

本記事では、言語における曖昧さと、それが日本語学習者にとってどのような意味を持つのかについて考察したい。

日本語における曖昧さとは

日本語には、音韻的、統語的、文化的な曖昧さが内在している。文中の複数の意味が、文脈から正しい解釈を導き出せない場合、特に学習者にとって困難をもたらす。例えば、タイン・トゥの論文では、日本語の文における曖昧さの種類として以下の四つが挙げられている。


さらに、曖昧な文に加えて、構造的な曖昧さの四つのタイプが特定されている:1) 並列構造による曖昧さ、2) 名詞修飾構造による曖昧さ、3) 述語修飾構造による曖昧さ、4) 原構造の違いによる曖昧さ。以下の四つの例は、これらの曖昧さを示すのに役立つ。

例1:「私は太郎と次郎を訪問した。」

並列構造による曖昧さから生じている。話者が太郎と次郎を一緒に訪問したのか、それとも別々に訪問したのかが不明確である。「太郎と次郎」という並列構造が、この曖昧さを生む。

例2:「可愛い子供の服にボタンが三つ付いていた。」

名詞修飾構造による曖昧さに由来する。日本語では、「可愛い」が「子供」を修飾しているのか、それとも「服」を修飾しているのかが不明確であるため、文が二通りに解釈できる。

例3:「太郎は花子に健が書いた手紙を渡した。」

述語修飾構造による曖昧さに起因する。「健が書いた」が「手紙」を修飾しているのか、それとも「渡した」という行為を修飾しているのかが不明確であるため、二つの解釈が生まれる。

例4:「猫は家内が好き。」

原構造の違いによる曖昧さから来ている。この文は「猫が家内を好き」と「家内が猫を好き」という二つの解釈が可能であり、構造が曖昧さを引き起こしている。

統語的な曖昧さに加えて、日本語における曖昧さは文化的な規範からも生じることがある。例えば、間接的なコミュニケーションスタイルのように、曖昧さが対立を避けるために用いられることがあると、韓 喜善の研究(2022年)で指摘されている。これは基本的に、日本語話者が他者の感情に配慮し、自分の意見を押し付けず、集団の調和を維持するために採用する意図的なコミュニケーション戦略である。

このような微妙で控えめなコミュニケーションへの文化的傾向は、日常のやり取りにおいて曖昧な言葉遣いが広く使われる結果となっており、この文化的なニュアンスを深く理解しなければ、非母語話者にとって理解が難しくなることがある。

つまり、第二言語にとして日本語を学ぶ人々にとって、日本語の曖昧な側面を理解し、習得するためには、単なる言語知識だけでなく、日本文化の規範やコミュニケーションの心理的背景についての深い理解が必要となる。

曖昧さが言語処理に与える影響

心理言語学の研究では、曖昧さが情報を処理するために必要な精神的努力である認知負荷(cognitive load)や、何かを理解するために脳が使用するリソースである処理コスト(processing cost)をどのように増加させるかが、さまざまな文脈における神経的および認知的な反応を通じて示されている。

例えば、一度に多くの情報を処理できる読者(高スパン読者)は、通常、認知的努力の増加と関連する前方否定性の増加を示す。これは、特に難しい課題に取り組む際に、彼らがより多くの精神的努力を使っていることを示唆している。一方で、一度に少ない情報を処理する読者(低スパン読者)は、代わりに頭頂部陽性を示す。これは、彼らが異なる戦略を用いて課題を処理していることを意味している (Bornkessel et al., 2004)。

同様に、人々が不明瞭で難解な表現を理解しようとすると、脳はより多くの領域を活性化させ、特に言語処理と関連する左半球を含む領域がより多く働くことがわかっている。これにより、課題がより負担の大きいものになることが示されている (McMillan et al., 2013)。

話し言葉や不明瞭な、あるいは歪んだ音声を処理する場合も同様に、脳の負荷が増加し、音や言語の理解に関与する前側頭葉の活動が減少する一方で、複雑な課題や感情の管理を助ける前部島皮質の活性化が増加する。これにより、言語を理解するために必要な精神的努力が脳の異なる領域にどのように影響を与えるかがさらに示されている(Ritz et al., 2022)。

これらの発見は、言語の曖昧さやそれを処理する際の精神的負荷が脳機能にどのような影響を与え、不明瞭な言語を理解する上でどのような困難が生じるかを浮き彫りにしている。

言語における曖昧さはしばしば誤解や誤訳を引き起こし、学習者がテキストの意図を理解するのを難しくする。この曖昧さは、情報を処理するために必要な精神的努力を増加させ、学習者にとってより困難で疲労を伴うものとなる。

学習者が文脈から深い意味を理解するのではなく、表面的な文法的手がかりに過度に依存することによって生じる。日本語の曖昧な文を正しく解釈するためには、文脈が非常に重要である。

日本語学習者にとっての曖昧さ

以前に述べたように、日本語は曖昧さが多い言語であり、会話の中で意味を解釈する際には文脈が重要になる。この曖昧さは、日本語の表現が明確でないことから来ており、同じ文化的背景を持たない人々にとって「空気を読む」ことが難しくなる原因の一つであるかもしれない。

この点で、第二言語習得において第二文化習得が重要となる。文化変容モデル(Berry, 2017)は、第二言語を習得する過程を説明するものであり、文化変容には三つの段階がある。

文化変容の動機 → 文化変容の学習 → 個人的な変化

このモデルは、日本語を学ぶ理由や態度、日本語を学ぶためのツールやメンター(多くは日本語話者)を含み、個人のアイデンティティや行動の変化を伴う。

言語使用が話者に対するさまざまな印象を伝えるだけでなく、言語の変異が異なる文脈において異なるアイデンティティを反映することも指摘している。話し方の変化や社会的・感情的な快適さは、主要な言語に慣れる際の言語エゴにとって重要である。

堀場 裕紀江は次のように述べている:

「アイデンティティの構成要素として重要なものとして、言語があります。私たちは、他者について、その人がどういうことばの使い方をするかをもとに、その人がどういう人であるかを認識し判断します。」

言語はアイデンティティ構築の重要な要素である。私たちは、他者がどのように言語を使用するかを基に、その人を認識しし、判断する。

堀場さんはこれをいくつかの例で示している:

A:「私は近所の人からお菓子をたくさんもらいました。お菓子はとてもおいしかったです。あなたもこのお菓子を食べてください。」

例Aでは、書き方が初心者向けの教科書のようで、繰り返される単語や代名詞が不自然に感じられるかもしれない。

B:「ご近所の方からお菓子をたくさんいただきましたの。とってもおいしかったわ。あなたもお召し上がりにならないかと思いましてね。」

例Bでは、より丁寧で敬意を表した言葉遣いが使われており、上品な年配の女性のような印象を与える。

C:「近所の人に菓子をようけもらったんだわ。うまかった、うまかった。あんたも食べやあ。」

例Cでは、方言が使われており、話者の出身地を示唆することができる。また、この言葉遣いはカジュアルで直接的なので、友好的に聞こえるか、あるいは文脈によっては無礼に感じられることもある。

堀場さんは、言語の使い方が話者のさまざまな印象を伝えるだけでなく、異なる文脈で異なるアイデンティティを反映することができると指摘している。話し方の変化や社会的、感情的な快適さは、支配的な言語に慣れる際に重要な要素である。小泉 令三(2011)も次のように述べている:

「自分の認識と他者の認識をふまえて形成および再構築される、個人が選択・決定する自己に対する可変的な認識」

ある意味で、目標言語と接触することで、第二言語学習者はその言語集団にアイデンティティを移し、文化変容を図っている。しかし、これは個人だけに依存するものではなく、自分自身を表現し、それに対する相手の反応を解釈するという相互作用も含まれている。

理解のための文化的背景が不足していると、「空気を読む」ことが難しくなる。しかし、曖昧さが解釈にかかる認知負荷を増加させる一方で、日本語の曖昧さは文化的文脈の理解が深まることで軽減される。

私の目標は、研究者として透明性を保ちながら、外国語学習や心理言語学に関する興味深い研究を共有することです。研究をより多くの人に届けるため、学術論文が読みづらかったり、オープンアクセスで発表できずにジャーナルの有料壁の背後に隠れてしまう場合には、こうした記事を執筆する予定です。